【高校入試19点だった僕が10年間毎日勉強し続けてるワケ】


昨日山梨に帰ってきましたが、もう暇で暇で…

話し相手が欲しくて昨日は岐阜の経営者のお友達にお電話して3時間半も話しこむという…

思考が止まらないのでアウトプットのために話したいんですが、話し相手がいないので文で書き留めるようなことを毎日やってます。

それでもフラストレーション。

今日は自分の店で朝ごはん食べて、バイクで湖行って紅葉を見て帰って高菜先生と昼寝して、これから美容サロンへ行き、夜はどっかで一人飲み…みたいな1日。

もう老後のジジイみたいになりつつある。

今紅葉がキレイなのでぜひ山梨へ遊びに来てください。

経営者は孤独だって昔からよく聞いてたけど、最近ほんとにその意味がよくわかるようになってきました。

夜ってセンチメンタルになると思うんですけど、もうホント夜がやばい。

正直めっちゃ寂しい。うさぎかな。

これほんと逆に病むんじゃないかと思ったりするけど、なんか確かにそういう雰囲気の経営者の人もいるんですよね。

夜飲み歩いてるのってみんな寂しいからなんじゃないかな。

子供のときはみんな同じ目線で生きていたから、みんなと仲良くなれた。

それって【共通言語】があるってことだと思っていて、部活でも勉強でも何でもよくて。

話題を共有できない場ってつまらなくないですか?

例えば自分一人だけ引っ越してきたのに地元トークに花咲かされると「〇〇先輩って誰やねん!!」となってしまう。

場の空気を考えてだまってニコニコしてるあの時間って結構苦痛だと思うんですが、話してる人たちは共通言語があるから楽しいんですよね。

もちろん周りの環境に左右されるし社会的立場だったりもしますが、いろんな言語が存在している中で子供のときは割とみんな同じだったと思います。

大人になるとその共通言語が変わっていきます。

大学に進学してパリピになったやつは「ウェーイ」しか言わないし、結婚して子供ができれば家族や子供がメインの話題になるし、美容師になれば美容師の話題になるし。

それぞれが選択した道と環境がその人自身を作っていくし、その周りにもきっと同じ言語を持つ人が大勢います。

ひとつひとつの環境、言語が良い悪いというのは判断のしようもなく意味もないことです。

それぞれの言語が"ただ互いに理解できなくなる"という状況が生まれるというだけ。

人って久しぶりに集まるとみんな昔話しますよね。

あれは「今何してんの?」から始まって、ひと通り今やっていること聞いてみたけどよくわからなかった。

共通言語がなかった。

なので元々みんなで使ってた言語を使って会話をしよう!と言うことになる。

部活の話であったり、先生の話であったり、誰かの失敗や笑い話であったり。

共通言語を持てるのだから、やっぱりその時間は楽しい時間です。

人間の狂気の1つにリピートというものがありますが、毎日毎日訪ねて来て同じ話をし続ける人がいたら4日目くらいから迷惑通り越して怖くなってきますよね。

同じことを無意味に繰り返すのってかなりストレスなので、共通言語をもっているからと言って明日も明後日も来週も飲もう!とはならないものです。

同窓会や友達との飲み会が年1とかたまーにしかないのはそのためです。

あるときそれに気がついて、僕は勉強を始めるようになりました。

23歳のときでちょうど11年前。

共通言語を増やしたらいいんだということを思って、歴史や英語や社会のことを学ぶようになりました。

すべて独学なので教科書があったわけでも先生がいたわけでもないし、机に向かってノートになにか書いてたわけではありません。

様々な分野に興味を持ち、話を聞き、自分で調べ、こうして文字に起こしたりまた人に話したりして記憶する。

気がついたらあらゆる学問をちょっとずつはかじっているし、いろんな仕事に対しても問題や課題ややりがいや将来性などやらないとわからなそうなことも理解ができるようになってきました。

美容師プレイヤーをやめた30歳の時までは、お店に本当にいろんな人が来てくれて、今思えばあの環境は良かった。

学校の先生が来れば校則、学校のあり方、子供との接し方の話をし、僕もそれに興味があり学んでいたから僕なりの意見をだしてディベートを行う。

ブロガーが来ればブログとSEOの話、旅人が来れば英語と旅の話、変態が来れば変態の話、バンドマンが来ればギターや音楽の話。

あちらはプロ、こちらは知識をかじっただけ。

それでも話が成立するのはなぜか?

共通言語がない状態というのは、何もそれそのものを全く知らない状態ということでもなく、例えば小学校2年生と中学校2年生は日本語話すけど"そもそも話し合わんよね"っていう感覚のことも言います。

ポケモンはポケモンでも151匹しかいなかった初代ポケモン赤・緑と今のポケモンはもう比べようもないほどの違いがあります。

どのくらい違うかというと、きゅうりと猫くらい違います。

その世代間で「ポケモンの話しよう!」は基本的には無理なのです。

でもそれを成立させる方法が2つあって、これを覚えておくと仕事でもなんでも活かせるし人生がうまく行くと思います。

■1つ目

1つはポイントだけを学ぶこと。

英語を学ぼうとする人がいたとします。

Aのつく単語を片っ端から記憶することや、文法を勉強し全部平均的に伸ばすことを普通すると思いますが、あれはめちゃくちゃ効率が悪いです。

全部100点満点を目指すのではなく、1個30点くらいまで伸ばして、あとはやりながら覚えていくと効率が良いです。

ディベートやディスカッション、つまり議論の何がいいかというと「相手の意見や思想が知れる」ということなんです。

良い悪いじゃない。

例えば安楽死についてとか正解はありません。

自分のボキャブラリィが30点しかなかったとしても、とりあえず会話は始められます。

すると相手から返事が来ます。

この返事が知らないワードの場合「???」こうなってしまいますが、それを教えてもらったり調べたりすれば自分の知識になります。

わからなくても、会話の中で理解していく。

虫食いゲームのように単語がちょこちょこ抜けてても、前後の単語を知ってれば想像ができる場合もあり、話は続けられます。

大事なことは「止めないこと」と「ハッタリ」なのです。

学校の先生が生徒との接し方で悩んでました。

詳細など知るわけもありません。

でも僕は僕の得意な30点すでに取れてる部分を話題にふります。

「ツーブロックってやっぱ禁止?校則どーなってんの?」

相手の土俵で僕のペースに持っていく。

すると先生は聞いてもない情報までバンバン話してくれる。

その過程で「なるほどね~」とか思いながら、次のトピック考えるというようなことをしています。

そのときに先生から現在の生徒の進学の問題、先生同士の問題、部活の顧問がきついなどの話を聞けるので、僕は学校教育という分野で1つ賢くなれるのです。

気になったことは返ってからググる。

読んで調べて覚えて解釈して、知ったかぶりで【今の学校教育問題について】とかタイトルつけてこういうとこに持論を書いちゃう。

もう全部ハッタリで作られています。

でも最初から「学校のことわかんないんで、ごめんね」ってやってしまうと、なんにもなりません。

会話終了。

この思考と行動で人は本を読むより効率よく知識をつけていけます。

■2つ目

2つ目はフレーズを数パターン作ることです。

僕は英語学んでたとき最初全然喋れなかったので、発音とフレーズだけに全リソースをふりました。

単語は知ってる単語の使いまわし。

Do you speak English?

英語話せますか?というこのフレーズは4個の単語でできています。

Do /You/ Speak/ English

Do はCanとかDidに変えることができます。

YouはIとかHeに変えることができます。

Speakは動詞なのでEatとかMeetとかに変えることができます。

最後はまあなんでもいいのです。

このパターンを覚えてひたすら使い回せばわりと普通に会話になります。

あと数パターンのフレーズがあって、100個くらい単語覚えてたらとりあえず言いたいことや聞きたいことは話せるようになります。

それやるのに何日かかりますか?

まともに中学で勉強してれば1500単語は覚えるといいます。

サボって勉強してなかった僕は高校入試まさかの19点、解答はあみだくじで選んだ答えを入れて奇跡的にとれてそれだったので多くの単語はしりませんでした。

23歳でBe動詞が何かわからなかったレベル。

それでもハッタリで英語話せるよって雰囲気出して外国人の飲み会とかに潜入して会話し続けたら話せるようになったんですね。

【学ぶ】

この本質は何なのでしょう?

僕はコネクトだと考えています。

世の中には様々な概念があり、様々な仕事があり、様々な人間がいて、様々な考え方を持っています。

年代、時代、過ごした環境、国籍、信ずるもの、あらゆる要素で人は構成されています。

そのあらゆるものとできるだけ接続することは幸せなことだと考えています。

相互理解が深まれば、仲良くなれます。

僕も僕を理解しようとしてくれる人は嬉しくなるし、話したいことが話せる相手との時間は楽しいし好きになります。

自分自身がアップデートし続けることによって、様々な共通言語を持つことができる。

その結果さらなる知識を得られるし、いろんなチャンスも与えてもらえる。

英語19点の僕が23歳から今日まで学びをやめなかった理由は、楽しかったからです。

いろんな人と出会えて、いろんな事が経験できた。

その経験と知識がさらなる接続をうみ、さらに知識が増える。

雪だるま式に頭が良くなっていってる感覚があって、別にテストも何も受けたりはしないんですが、1年2年前にわからなかったこともわかるようになったりするんです。

人と会って要点を聞くと3秒で概要を理解して自分なりのアイデアを話すことができる。

それが楽しくて楽しくて。

30代40代になっていくと、当然肉体は衰えます。

行動や体力とか、若いゆえかわいがってもらって成立してたことが破綻していくことが簡単に想像できます。

僕は会社をやめてしまったから、自分でそこにすごく危機感がありました。

若くなくなっても、雇われてればいいのかもしれないけど、もしその会社が潰れて社会に放り出されたら知識と経験と技術がないと終わるなという感覚をずっと持ってました。

美容師は体力勝負だけど、そこを知能での勝負に切り替えたのが6年前。

40代になってからもやれる気がしなかったけど、勉強なら続けると思ったからです。

ハサミをおいてもうすぐ4年になりますが、僕にとってはこっちが正解だったと思ったのが日々の仕事が学びになり糧になっていく実感があったのこと。

美容師も最初の頃は知識や技術を身につけるため必死でしたが、ある程度なれると極論見なくても切れるようになる。

そこに学びがあるとしたら、細部を研究するか、続けた結果どうなったかということを知れるかどうかくらいだと思っていました。

なので美容師の中では薬剤やカラーやパーマの方を勉強するようになる人もたくさんいます。

僕の場合はそれがマーケティングや仕組みやサービス作りという観点でした。

けどそれさえも最近はもう学びつくして学ぶことがないなと感じてて、それことこれって英語のフレーズをいくつか覚えた状態に近いと思うんですね。

もっとより複雑なものというだけで。

そして使用する単語も複雑なものというだけで。

次はもっと難しいことを学ぼうと思ってここ数年はずっと哲学、歴史、犯罪、宗教、経済、法律、食、睡眠などなどなど…

もう仕事とかではなく「人間とは?」とか「世界とは?」とか「生きるとは?」とか「働くとは?」みたいなとこがテーマになってきてます。

ぶっちゃけ今の僕の中では英語の勉強とか、美容師としてカットがどうとか、物価がどうとか、新車がどうとか、そういうのは全然興味がなくなってしまってて、現在進行形で仕事としてやっている経営と経営にまつわることか、これらの分野にしか興味がありません。

経営者も周りに多いというだけで、別に好きかどうかはよくわからないし、人によるとしか言えません。

哲学的なことであれば6歳の子供との会話も楽しかったりして、年齢もキャリアも関係なくて。

あと猫かな。

人間、猫、経営や仕事

この分野をもっともっと学びたい。

もっと人と話したい。

いろんなことを教えてほしい。

そう願ってもなかなか家でゴロゴロしてればそうはいきません。

なんで東京にお引越ししようかななんて思って。

昨日経営者仲間と電話して話してて「東京住んだら面白そうじゃん」みたいな話になって、確かにとりあえずしばらくいてもおもろいかもなぁなんて思い始めて。

湘南か横須賀かもわかんないですけどね。

大阪かもしれないし。

とりあえず近々山梨は出ます。

それだけは決めました。

高菜先生は会社の寮にいるので安心だし、僕もいうて高菜先生にあわないとか無理なので週末は帰ってこようかなと思ってるし。

わかんないですけどね。

話があっちこっち行きましたが、勉強はおすすめですよ。

今は僕はあらゆる共通言語があると思うんで、ぜひ山梨に遊びに来たらお誘いください。

2014年世界一周の旅を始め世界40カ国で1300人以上カットし帰国。3ヶ月後東京に美容室Up to Youをオープン。本出版、テレビ出演、講師、コンサル、ブログなどやりつつ美容師コミュニティサロカリも運営。超超エリート株式会社の社長。ギャル男ではありませんネクラです。