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【イーゼンハイム祭壇画】最終段階を迎えた修復作業レポート

コルマールのウンターリンデン美術館に所蔵されている「イーゼンハイム祭壇画」は世界的に知られる16世紀前半の傑作です。絵画部分をマチアス・グリューネヴァルト、彫像部分を二コラ・ド・アグノーによって作られた16世紀前半の傑作です。2018年から始まったこのイーゼンハイム祭壇画の修復一大キャンペーンもとうとう最終段階に入りました。修復のために取り外されていた絵画部分や彫像は、7月にいよいよ元の位置に戻されます。
それに先立って3月に行われた、ウンターリンデン美術館の館長による一般向けプレゼンテーションがありましたので、今回はその中でも特に目を引いた点についてここでご紹介していきたいと思います。

その場で修復作業 2019年6月、ウンターリンデン美術館
その場で修復作業 2019年6月、ウンターリンデン美術館

イーゼンハイム祭壇画とは?

1512年~1516年にかけて作られた複数の絵画と彫像からなる多翼式の祭壇画で、コルマールから約20㎞のイーゼンハイム村の修道院にありました。(そこからこの多翼式の祭壇画をイーゼンハイム祭壇画と呼びます。)当時流行していた麦角菌中毒に侵された患者を救うために注文され、ここの施療院付属の礼拝堂に飾られました。当時は不治の病として恐れられ、祈る事がその治療、救いとなったのです。祭壇画はこの病の守護聖人である聖アントニウスとキリストに捧げられたものになっています。
体が火が付いたように熱を持つことから「聖アントニウスの炎」として恐れられていた不治の病は17世紀になると病気の麦を使ったパンを食べることによっておこる中毒と判明し、徐々に聖アントニウス信仰が薄れていきます。
その後、フランス革命の混乱期に破壊から保護する観点でコルマールに避難・保護され、1853年のウンターリンデン美術館開館からこの美術館で展示されています。(作品の詳しい紹介は是非現地でご一緒に!)

磔刑図(中央)聖セバスティアヌス(左)聖アントニウス(右)修復前

過去の修復記録

もう500年以上が経過した作品ですので、過去に修復作業が施されています。一番古い記録では1794年で、絵画部分の修復が行われたそうです。絵画部分はおよそ50年に一度の割合でニスの塗り直し(おそらく軽減洗浄)が行われ、1990年が最近年の絵画修復の年になります。一方、彫刻の部分に関しては、1889年と1987年のみで、修復は殆どされてこなかったそうです。

今回の修復プロジェクトは、絵画部分、額装、彫刻、厨子に至るまで全てを修復する記録史上に残る一大修復キャンペーンになります。

ただし一度だけ別の場所に祭壇画を移動して修復したことがあるそうです。
1917年、ちょうど第一次世界大戦中でアルザスがドイツ帝国領だった当時の事、ミュンヘンで絵画部分の修復と虫食い防止の措置が施された際に2カ月だけアルテ・ピナコテークで展示されたそうです!コルマール市以外で美術品として展示された唯一の珍しい記録です。

アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン(ドイツ)

世紀の一大修復キャンペーン

今回の大修復プロジェクトはまず2013年~2014年にかけて、約10人からなる修復家による状態調査が行われました。この調査で得られた情報を精査し、全体の修復計画が練られ、2018年9月に正式に修復作業に入りました。絵画部分の修復は美術館で行われ、修復の進捗状況により、間近で修復作業を見学しながらいつもと違った角度から鑑賞することが出来る貴重な体験が出来ました。
彫像についてはパリの研究・修復センターC2RMF(le Centre de recherche et de restauration des musées de France)にて修復が行われました。

修復作業チームは約30人で構成され、彫像部分が9人、絵画・額装部分が19人、絵画部分の30箇所の定点観測をして記録に収めるカメラマン1人、木のフレームの専門家、ニス塗装の専門家それぞれ1人です。細かい修復方法などはその都度、国際的な研究者・専門家で構成された諮問委員会にかけて決定していきました。

新しい発見、オリジナルに近づく祭壇画

絵画部分は黄ばんだニスの軽減除去をして、傷などで色が削れてしまったところも修復していきます。その際はオリジナルと修復の部分をコーティングで分けて、オリジナルと修復の区別がつくようになっているそうです。
既に鑑賞されたことのある方は特に、この黄ばんだニスによって隠されていた描写が除去作業によって鮮明に浮かび上がってきた様に驚かれることと思います。磔刑図のマグダラのマリアの髪のたなびく様子、その横で卒倒する聖母マリアの纏うヴェールのひだのボリュームや質感、側翼の聖アントニウスのひげ一本一本の描写に至るまで、今まで黄色くて目視出来なかった細かい描写がつまびらかになった今の姿に特別な感動が湧く事でしょう。

聖アントニウス(磔刑図の側翼、部分)黄ばんだニスを除去した部分が鮮明なのが分かる。
閉館後に行われた修復作業についてのガイドの勉強会。講師はドゥパップ館長。
ウンターリンデン美術館2019年11月
ウンターリンデン美術館は広くその価値を広める活動を活発に行っている美術館の一つ。

彫刻部分に関しては、新しい発見がありました。
聖ヒエロニムスの着衣(チュニック)の袖は赤色でしたが、その下層から紺碧の青色のオリジナルカラーが発見されたのです。詳しい年代は断定には至っていませんが、赤い色はおそらく18世紀後半のもので、その当時のスタンダードだったカーディナル(枢機卿)の色である赤に塗り直されたのだろうと推察されています。また、聖アントニウスの鎮座する足元は鮮やかな緑色だった事が判明し、それぞれ上層部の色を取り除いてオリジナルの色に戻すことが諮問委員会で決定されました。

聖アウグスティヌス(左)と聖ヒエロニムス(右)2022年4月、ウンターリンデン美術館
聖アントニウス 2022年4月、ウンターリンデン美術館


12使徒の彫刻群についても調査が行われましたが、当初考えられていたよりも16世紀当時の色が多く残っている事が分かりました。12使徒それぞれの肌色の色づかいの繊細さには目を見張るものがあります。化学薬品によって上層部の灰色がかった色が取り除かれると、使徒ヨハネの像は本来の明るい肌色が現れ、そのみずみずしい若さを取り戻しています。12使徒は彩色部分と同時に細かな手指の修復も行われており、過去の修復で少しいびつに接着されていた指もより自然な形に直されました。

12使徒とキリスト(部分)2022年4月、ウンターリンデン美術館

密接な連携が垣間見られる絵師と彫刻家の仕事

今回の修復に伴う調査では、彫刻の作成と絵画部分の作成がとても近いと考えられることも分かりました。彫刻部分は二コラ・ド・アグノーにより作られましたが、色を塗るのは絵師で彫刻家ではありません。これまでどこで彫像に色が付けられたか、確固たる記録も証拠もありませんでした。それが今回、磔刑図の空と聖ヒエロニムスの着ている毛皮に付いているオコジョのしっぽの黒い点から同じ色素が見つかりました。つまりグリューネヴァルトの工房で色を塗った可能性が高くなったという事です。一つの作品を作るうえでどのように作業を進めていったのか、どのような仕事をどこでしたのかを知るうえでとても貴重な発見と言えるかもしれません。

いよいよクライマックスを迎えた修復作業

修復作業も終盤を迎え、目下、磔刑図の部分の額装の修復作業が美術館で行われているところです。大理石柄のような模様が付けてある額は1933年に施されたものだそうで、それを取り除く作業をレーザーを使ってしています。
祭壇画が展示されているすぐ横に簡易的な工房を作って、来館者がその作業を見学できるようになっています。

仮設の工房で修復の様子が見学出来る。
奥の磔刑図(右側)はセピア色の仮の絵が設置されている。2022年4月、ウンターリンデン美術館
レーザー光線による修復の専門家をイタリアから招へい。2022年4月、ウンターリンデン美術館

今後のスケジュール
レーザー照射による額装の修復は6月中旬までと予定されています。厨子部分の修復は一部残っていますが、7月1日からはいよいよ本来の姿に戻すべく組み立て作業が始まります。

それまでは、厨子部分にある彫像は床におろして展示してあり、修復から帰ってきて鮮やかに蘇った姿が間近で鑑賞できます。普段とは異なる角度から見る聖アントニウス、聖アウグスティヌス、聖ヒエロニムスの表情は必見の価値ありです。また、前述の色の違いも近くで確認が出来ます。

彫刻が納まる厨子の部分。2022年4月、ウンターリンデン美術館

「聖アントニウスの炎」に侵され、死の絶望にある人々の心の支えとなったこのイーゼンハイム祭壇画は、修復の前後に関わらずその前に立つとそこに宿る強大な力と、何とも言えない迫力に圧倒される作品です。今回の修復作業では、プレデッラも含め絵画部分、額装、彫刻群が当時の鮮やかさを取り戻し、祈りを捧げていた人々の見ていた祭壇画に限りなく近づいた事になります。
実際に鮮明になった祭壇画の前で心が震える体験をしました。

是非、ご都合許す方は修復作業中の見学もお勧めします。
また、ウンターリンデン美術館では、この修復作業についての情報を多くホームページで公開しています。ご興味ある方はそちらを是非ご覧ください。(仏語)

それでは、皆様、ウンターリンデン美術館でお会いしましょう!!

ウンターリンデン美術館、外観

Musée Unterlinden (musee-unterlinden.com)
Place Unterlinden, 68000 Colmar
休館日:火曜・1月1日・5月1日・11月1日・12月25日


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