任意後見やリビングウィル(終末期医療についての事前指示書)について
今回は、「リビング・ウィル」と「任意後見」について書きます。
【リビング・ウィル】
リビング・ウィルという考え方は、米国ではかなり一般的なもので、遺言書を作成するときに合わせて作ったりします。これは、終末期医療に関する指示書のようなものです。
2024年8月現在、Googleで「リビングウィル」と検索すると、法律関係よりも、医療や看護関係のページがたくさんヒットします。
日本ではまだ、「リビングウィル」があった場合、その書面がどのような法的な効果を有するか、法律上は決まっておらず、また、そのような法律を定めてほしいという意見もそこまで多くないようです(下記URLのPDF36頁参照)。
https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001103155.pdf
(厚生労働省、令和5年6月2日、「令和4年度人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査の結果について(報告)」)
◇ ◇ ◇
昨年夏、パートナーの親族が亡くなりました。亡くなる前の2年ほどの間、その親族本人(以下、本人)は、意思表示がほぼできない状態でした。家族は、たびたび、難しい決断を迫られました。
治療方針について、施設について、介護方針について。本人だったら何と言うだろう、どう思うだろう…?と想像しながら、また、現在の状態で本人の回復について実際のところ何をどこまで望むことができるのかを踏まえて、そのたびに皆、考え、悩み、相談して、選択をしてきました。
もし、このとき事前に本人の気持ちが明確に分かっていたら、
あるいは、何か書き残されたものがあれば、
家族はもう少し気楽になって、自信をもって決断を下せていたかもしれないと思うのです。
先日、パートナーと改めてこのときの話をする機会がありました。私は、そもそもこの質問をしてみるかどうか悩んでいたのですが、思い切って、「もし、事前に何か書面があって、”こうしてほしい”と書いてあったら、もう少し決断は楽だった?」と聞いてみたところ、「絶対に楽だったと思う」という明確な返答が返ってきました。
そもそも、本人にも家族にも、もともと終末期医療に関しては、事前にある程度しっかりした考えがありました。それでもやはり、本人が書いたものはまったく残っていなかったので、家族はその都度、時間をかけて悩み、話し合い、決めてきたのでした。そして、悩みに悩んだ結果、本人や家族が当初話していたのとは異なる結論を出しました。パートナーは、いまでは、あの決断の時にもし戻れるなら、違う決断をしていたかもしれない、と思っているようです。
複数の医療関係者にお聞きしましたところ、本人により書かれたものが残されていたとしても、現在の医療の現場では、それだけで判断をすることはせず、家族の意見を聴くということです。また、日本におけるリビングウィルのひな形は簡略なものが多い一方で、結局のところ、実際に家族にはリビングウィルには記載されていないような微妙な判断が求められることも多くあると思います。しかし、やはり、本人が書いたものが残されてあれば、その家族の意見は、それを尊重した上での判断になるのではないかとも、思うのです。
現在、各地域の医師会などがひな形を出しておられます。臓器提供などについては免許証の裏に記載欄などがありますが、延命治療についての意思表示も、一緒に考えてみてはどうでしょうか。家族やそばにいる人たちは、本人のその考えをもとに、そのときベストと考えられる判断を、してくれるのではないかと思うのです。
【任意後見契約】
任意後見契約は、自分自身で意思表示ができない状態になった際に、任意後見人(自分に代わって財産管理等の仕事をしてくれる人)をあらかじめ決めておき、その人との間で、財産管理等の代理権を与えて仕事(法律行為)をしてもらうことを委任する契約です。これは公正証書で行うものとされています(任意後見契約に関する法律第3条)。
任意後見人となる人は、基本的には、親族や家族でも良いですし、逆にお友達などの特に親族関係のない方でも問題ありません。(ただし、法律上、家庭裁判所で法定代理人・保佐人・補助人を解任された者、破産者・行方不明者、本人に対して訴訟をし、またはした者およびその配偶者ならびに直系血族、不正な行為、著しい不行跡その他任意後見人の任務に適さない事由がある者はなれません)。また、弁護士や司法書士などの専門家でも構いません。
ただ、この人に任せたい、この人の判断であれば自分は従えるな、という信頼を寄せることのできる方が望ましいと思います。また、居住地域・距離も関係があります。あまりに遠いところに住んでいる方だと、実際の事務処理に支障が出てくる場合もあります。特に思い当たる人がいないという場合には、市民後見人や、市民後見人型のNPO法人その他の法人という選択肢もあります。
任意後見人は、任意後見監督人の監督を受けながら事務をしますので、公正という点も担保されると思います。
相続のご相談などをお受けしていると、生前同居していたご家族とそうでないご家族との間の色々なもめごとや考えのすれ違いのお話を聞くことが多いです。
また、お一人で暮らしておられる方の将来の不安の声などを聴くことも多くあります。
任意後見の制度は、このような場合に客観性を担保したり、一人暮らしの不安を多少なりとも少なくすることができるのではないかと思っています。
【終活について】
自分の死や死期が迫るときのことを考えるのは、あまり気持ちのいいものではないと思います。でも、本人の考えがきちんと書面として存在することで、のこされた側も、自信を持って判断に臨むことができるのだろうと思います。
リビングウィルを書いたり、任意後見契約を作ったり、遺言書を作ったりするのは、物理的にも精神的にも、くたびれる作業です。でも、元気なうちにえいやっと作っておいた方が、間違いなく良いものです。勝手ながらこのあたりに日本のケ(穢)の文化のマイナス要素を感じることが多いのですが、これら書面を作ることは、自分が尊厳を保ちながら、自分らしく老いて死んでいくために必要なことでもあり、まったく後ろ向きなことではないと、強く思うのです。
とはいえ当職自身はまだ遺言書を書いていないのですが、葬儀については明確にこうしてほしいという段取りがあるので(あと その段取りに応じてかける曲のセットリストも)、近いうちに書き残しておこうと思っています。本当は今年のお正月に作業しようと思っていたのですが、あっという間に夏が終わっていってしまいました。2025年になるまでには、葬儀の段取りを書いたメモを作っておこうと思います。少し前に、古い友人がなくなることがあり、葬儀って、自分のために集まってくれた友人や大事な人たちが再会する、数少ないとても貴重な機会だということを痛感したので、近いうちに、葬儀にきてくれた方々へのビデオメッセージなんかも、作っておこうかなと思っているところです。
では、また。
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