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対話企画:障害者雇用の『ここっておかしいよね?』 #3 根井 義弘さん

障害がキャリアを積む上で”障害”にならない社会を実現する会社、Connecting Pointの阿部潤子です。

対話企画「障害者雇用の『ここっておかしいよね?』」の3回目は、根井 義弘さんです。
根井さんとの出会いは、私が前職で就労継続支援A型/移行支援事業所で支援員として働いた時に遡ります。出会いの当初、根井さんは「A型事業所の利用者」として在籍されていましたが、私が2015年に退職する頃には、利用者の皆さんはもちろん、支援職員にも頼られる存在になっていらっしゃったのを覚えています。その根井さんが、利用者から、事業所の正社員へとキャリアチェンジをされたと伺い、嬉しい気持ちと共に、今回の企画を通じて、是非、根井さんの想いを寄せて頂きたいと思い、お声がけさせて頂きました。
最後まで、お楽しみください!

根井さんのプロフィールから:
阿部:今は、神奈川県内で障害者就労支援施設Bi-z Laboを運営している株式会社ソーシャル・スパイス・カンパニー(以下、SSC)にて、職業指導員として働かられていますが、そこに至るまでのキャリアを含めてお聞きしたいです。

根井:はい。もともとは、2013年にA型事業の利用者としてBi-z Laboに入って、2017年に正社員になりました。ちょうど父が他界したタイミングだったことを覚えています。なので、A型の利用者時代から含めると、2013年に入社したので、今年で10年経ちますね。

対話相手:根井 義弘さん(写真中央)

阿部:A型から、直接雇用でSSCの正社員になるというのは、なかなかないキャリアの築き方だと思うので、是非、今日は、その根井さんの視点から語って頂きたいと思います。

根井:そうみたいですね。しっかりとお答え出来るか分かりませんが、よろしくお願いします。

阿部:まずは、根井さんが、障害者雇用の枠組み(A型事業所であるBi-z Labo)を活用するに至った経緯を教えて頂けますか。

根井:私はもともと一般企業で、接客業務を中心に20年程働いていました。おそらく40歳を過ぎた頃だったと思いますが、病院で検査したところ、脳腫瘍が見つかりました。

阿部:それは予期せぬ出来事だったのでしょうか?

根井:普段よりもひどい頭痛があって、会社の人から「病院行った方がいいんじゃない?」とすすめられて、そのノリで病院に行って検査をしたら、結構大きな腫瘍が脳にあることが分かりました。このままであると脳を圧迫して命にも影響するので、なるべく早く摘出の手術に入った方が良いですよ、と最初の先生に言われました。

阿部:それからすぐに摘出の手術をされたのですか?

根井:いえ、2ヵ月くらいは休職して、自宅にこもっていました。
手術するのが怖かったので…。

阿部:怖かった…

根井:診断を受けた時から手術後の後遺症の説明を受けていました。
後遺症としては、片麻痺の症状を最初に伝えられました。摘出する脳の場所にもよるのだと思いますが、絶対に片麻痺は出るよと。いやーそれはもう怖かったですね。

阿部:計り知れない怖さです。

根井:後遺症は残るけれども、手術は受けなくてはいけない。その重い現実を受け止めきれなくて、色々な病院に行ってセカンドオピニオンをもらったりしていました。でも、どこの病院に行っても同じ診断で、もう仕方ないな…と思うようになりました。

阿部:診断を受けて、手術までの2か月間というのは、大きな不安を抱えつつ、これが本当に現実なのか?と思いながら動かれていたということですよね。
手術の決断をする、その背中を押したものは何がありましたか?

根井:いやーもう覚えてないですけど、せざるを得ない、という気持ちでした。

阿部:そうでしたか…そのスタートから考えると、今の根井さんのご活躍ぶりは、同じような病気をされた方にとってのロールモデルであるなと思います。
差支えのない範囲で構わないので、術後からリハビリ、そしてBi-z Labo(A型事業所)を利用するまでのお話を伺わせて頂けますか?

根井:病気になって、主治医から高次脳機能障害の中の「失語症」という診断を受けたので、そこで初めて、

あぁ私は「障害者」になったのだという実感をもちました。

今となっては、私の場合、身体にそこまで重い後遺症がないのですが、最初は、言葉が出ませんでした。頭で分かっていても、言葉がすらりと出てきませんでした。なので、病院を退院してからは、訓練の一環として横浜市総合リハビリセンターに通っていました。

阿部:リハビリセンターでは、どんなことをされていたのですか?

根井:言葉の訓練(ST)もやっていましたし、身体はそんなに不自由さがあったわけではないので、B型事業所内の軽作業をやったりして工賃をもらうような活動をしていました。また、将来的な企業就職に向けて、通勤の練習という意味合いもありました。病院を退院してから、リハビリセンターに通い、Bi-z Labo(A型事業所)に入るまで1年くらいの時間があったと思います。

阿部:その1年間は、とても大変な1年だったのではないかなと思います。
「障害とともに生きていく」という現実を受け入れるのと、更にそこから「働く」というステージに一歩を繋げていくということは、私には想像しきれないぐらいの大きなステップではないかなと感じました。それを約1年でやり遂げられたとのことですが、その時間の中で、根井さんはご自身の気持ちをどのように整理されていたのですか?

根井:リハビリセンターには通っていましたが、やっぱり収入もないですし、リハビリを始めた1年前よりかは、ある程度、人の言っていることも分かるようになって、自分なりに言葉が出るようになってきたので、「就職したいな」という次のステージへの気持ちが生まれました。

阿部:その段階で、障害者雇用というのが1つ、見えてきたのですね。

根井:そうですね。リハビリセンターのケースワーカーの方にお勧めされたのも、一つのきっかけです。

阿部:そして、A型事業所であるBi-z Labo川崎を見学、利用開始に至ったのですね。今から10年前、Bi-z Laboの利用を始めた時、どのような気持ちでしたか?

根井:正直、そこまで長くいるつもりはありませんでした。

今はもう感じていませんが、私の中で病気になって手術をして、急に「障害者」になったことで、自分自身の障害をどこかで隠したかったり、後ろめたさを感じていたのだと思います。

阿部:Bi-z Labo(A型事業所)に来たことに後ろめたさを感じていた…?

根井:Bi-z Labo(A型事業所)に来たことは私にとって、良いことではあったのですが、当時は、前職で一緒に働いていた仲間に、

俺は失敗者になって、障害者雇用になったのだと正直に伝えるのが恥ずかしかった…

それが当時の率直な気持ちだったと思います。

阿部:「失敗者になった…」「隠したかった」「後ろめたさ」というのは?

根井:私が勝手に考えていただけかもしれないですけど、前職で一緒に働いていた仲間とはもう会いづらいなと当時は感じていました。

阿部:前職は、接客業だったということですよね?

根井:はい、販売店の店長をしていました。

阿部:そのお仕事を選ばれていた理由ってありますか?

根井:販売店の前の仕事も接客業だったので、やっぱり接客が好きでした。販売だけではなく、お客さんの相談にのったりするのが楽しかったです。

阿部:人と接する仕事を長く続けてこられた根井さんにとって、病気になって「失語症」の診断を受けることで、そういった仕事も出来なくなるという不安もどこかにあったのでしょうか?

根井:最初は、言葉が出なかったです。
頭で分かっていても言葉がスムーズに出てこなかったです。
もちろん、不自由さは、それだけではないですけど、やっぱりマンツーマンでお客さんと話すのは、無理だなぁと自分でも感じていました。

阿部:根井さんご自身が、自分自身の難しさを感じられたからこそ、「後ろめたさ」や「隠したい気持ち」も生まれたのでしょうか?

根井:そうかもしれませんね。とはいえ、やっぱり20年近く接客販売の仕事をしていたので、それ以外の仕事を1から覚えて新たに始めるということが、当時は全く考えられなかったです。だから、リハビリの段階から、接客に携わる仕事がしたいなとずっと考えていました。

阿部:根井さんが、初めてBi-z Labo(A型事業所)に来て下さった時に、接客をやりたいと仰って下さっていたことを覚えています。

① 根井さんにとっての「『障害者雇用』のここっておかしいよね?」とその理由を教えてください。

阿部:接客業務でいきいきと働かれていたところから、ご病気になり、B型からA型、そして、正社員になるキャリアの中で、当初、Bi-z Labo(A型事業所)に入られたときには、そこまで長くいるつもりはなかったと仰っていたのは、なぜでしょうか?

根井:言い方は適切ではないかもしれないですけど、作業のレベルが低いなと感じました。仕事の内容が物足りないと思いました。

阿部:物足りなさ、というのは?

根井:今から10年前のBi-z Labo(A型事業所)は、軽作業が多くて、かつ利用者さんは、最低賃金の減額特例を受けていたので、そこに物足りなさを感じていました。もちろん、会社としては仕方のない状況であったことは十分に理解していますけど、それならば、普通に働いて最低賃金がもらえるところに就職し直したいと考えていました。

※最低賃金の減額の特例許可制度https://jsite.mhlw.go.jp/nagasaki-roudoukyoku/hourei_seido_tetsuzuki/saitei_tingin/seido-19111102.html

阿部:当時を振り返って、「最低賃金の減額特例」を受けていたことが、根井さんにとっての「障害者雇用のここっておかしいよね」ポイントですか? 

根井:そうですね。私自身も、かつてアルバイトの方とも一緒に働いていましたが、そのような最低賃金の減額特例申請のシステムがあること自体を知りませんでしたし、その対象に私自身がなっているというショックも当時はありましたね。

阿部:そうですよね。「後ろめたさ」や「隠したい」気持ちをさらに強めてしまう出来事であったということですよね。当時、私もその場にいたので、申し訳ない気持ちです。
それ以外に、何か「おかしいよね」と感じられることが教えて下さい。

根井:今のBi-z Laboは、すべてのA型利用者が最低賃金を保障されていますが、その中でも、作業効率性が人によって大きく異なります。
それでも、今のところ、

みんな賃金が同じであるというのは違うよね

と、感じます。

阿部:もう少し教えてください。

根井:作業効率もそうですが、同じ作業に配置されているAさんとBさんで、どうみても作業内容が異なることがあります。Aさんは、XXX作業の1工程しか出来ないけれども、BさんはXXX作業の2工程以上(複数)出来るといった具合です。それでも、賃金はいまのところ一緒です。

阿部:はい、たしかにそうですよね。それについて、根井さんは「おかしい」と感じられていらっしゃる。

根井:はい。とはいえ、そうした現実は、

福祉事業所だから仕方のないことなのかなと感じていたり、ある意味、それが認められる世界なのかなと思います。

取り組める作業の幅や作業スピードもそこまで高くない利用者であっても、ある意味、平等に同じ賃金をもらえて、また、そのような方が福祉事業所には、多くいらっしゃるのだろうなとも思います。

阿部:興味深いご意見ですね。最低賃金は最低限、すべての人に保障した上で、作業効率の高い人には、もっと時給を上乗せして良いのではないか?というのが根井さんのご意見でですよね。

根井:はい、その通りです。

阿部:多様な業務に取り組める人は、賃金に差別化がされないと働くモチベーションが下がりますよね。それは、A型の利用者さんをまとめる立場におられる今の根井さんだからこそ、思うことですか?

根井:はい、その通りです。

② その「おかしい」ポイントは、なぜ変わらないままなのだと思いますか?

阿部:根井さんが2つ目にあげて下さった「おかしいよね」のポイントは、障害のある人が働く場において、長年の課題でもあると思います。
では、なぜ、このポイントは変わらないままだと根井さんは思われますか?

根井:作業の質も関係しているのかなと思ったりします。

阿部:作業の質というのは?

根井:作業品質の高さというよりも、先ほど申し上げた作業の難易度のイメージです。

障害者が携わる働く場は、そんなに難しい仕事がなかったり、少なかったりするものだと一般的に考えられていることも関係しているのかなって。

阿部:求められる作業レベルが低い、ってことですね。いま根井さんが仰って下さった「障害者が携わる場には、そもそも作業レベルを求めるような仕事が集まってこないからではないか?」というご指摘は、とても興味深いです。なぜそのように感じられたのですか?

根井:やっぱり私が最初、Bi-z Labo(A型事業所)に入ったときの作業内容とか、私の知り合いで障害になった方が2人くらいいますが、同じような仕事内容の会話が当時あったので。そこから、

「障害者=簡単な仕事」

と、私自身も考えるようになったのかもしれません。

阿部:根井さんのお話を伺っていると、ご自身の体験や経験を通じて、「障害者が取り組む仕事は、こういうものなのだ」と自分自身が思うようになったというのは、きっとそう思わせる社会でもあったのだろうとも思います。

根井:(大きくうなづきながら)そうですね。

阿部:では、そんな根井さんがいま、A型利用者の皆さんと働いていて、
「もっと出来ることが沢山ある人たち」であると思いますか? 
それとも、
世間一般の「障害者=簡単な仕事」という認知は、
妥当なものかなと思いますか?

根井:今の仕事だけを見れば、後者であると思います。
なぜなら、そこまで難しさを要求される仕事も現時点ではないし、利用者さんの秘めた可能性を感じられる仕事というより、いまある力で十分にできる(=“簡単”とされる)仕事を常にやっているので…。

阿部:なるほど。
難易度の低い仕事しかやったことがないし、簡単とされる仕事しか目の前にないから、その仕事に従事する人たちは、「簡単な仕事しか出来ない人たち」という風にやはり見えてしまうということですね。

③ 「おかしい」ポイントは、どうしたら解決できると思いますか? 解決には何が必要だと思いますか?

阿部:もしも、今よりもストレッチした難易度の高い仕事をすることになって、その仕事を根井さん筆頭に、利用者の皆さんと取り組むようになって、成果が出始めたら「障害者=簡単な仕事ではない」と根井さんも言い抜く自信が生まれるのかなと思ったのですが、いかがですか?

根井:はい、そうですね。そうなれると思います。

阿部:それ以外にも、根井さんの考える「おかしいよね」のポイントを解決に繋げられる手段はありますか?

根井:やっぱり、売上が上がらないと給与があがらないのは当然ですよね。
弊社の事業であれば、メインでやっている飲食事業の唐揚げ製造販売が、今以上の稼ぎ頭になったら影響力が大きいだろうと思います。

阿部:確かにそうですよね。根井さんが10年働いていて、Bi-z Labo(A型事業所)の仕事で「変わったな」と感じるポイントはありますか?

根井:仕事の種類でしょうか、事業所以外での仕事が増えたなと思います。

阿部:事業所以外での仕事というのは?

根井:この10年で、事業所内での軽作業に限らず、唐揚げ店の営業であったり、餃子の製造販売の仕事も始めました。

阿部:そうですよね。事業所として、最低賃金の減額特例を止めて、全員に最低賃金をお支払いするために、仕事の幅・内容が「変わった」のですね。
現時点では、個々の頑張りによって賃金を変えられる程の余裕はないのかもしれませんが、仕事の幅、種類が増えることは、「おかしいよね」のポイントを超える大きな打ち手になりそうですね。先ほどの話に繋がるなと思います。

根井:はい、10年前に比べたら、仕事のレベルは難しくなっていっていると思います。前は比較的、軽作業がメインの印象でしたが、いまは飲食・印刷事業に加えて、製造工程における細かな検品作業であったり、組み立て作業も増えてきていて、その隙間時間に軽作業をやっているというイメージです。

阿部:根井さんご自身に焦点をあてると、最初にBi-z Labo(A型事業)に入られたときとは、仕事内容が大きく変わって、受託業務の管理であったり、利用者の皆さんに作業手順を伝えていく役割になって、労働条件が変化する1つの大きな要素になったと思います。やはり、活躍の幅、仕事の幅の広がりは、賃金の幅を決める大事な要素になりそうですね。

根井:そうですね、そう思っています。

④ 「おかしいポイント」を越えた先にある社会/障害者雇用の姿は、どのようなイメージですか?

根井:うーん、難しい質問ですね。

阿部:根井さんご自身に置き換えてもらって、いま、根井さんご自身が障害者手帳を持って働きながら、作業内容が物足りないとか、給料が物足りないとか、感じれられることってありますか?

根井:今は全然ないですね。
病気になって大変な時期もあったし、仕事が「物足りない」と感じた時期もあったけど、現在はこういう生活を送れているんだって前職の仲間にも、今なら言えると思います。

阿部:10年前に感じられていた「後ろめたさ」ももう感じていない?

根井:はい、後ろめたさを感じる気持ちはわかるけれども、そんなことを感じる必要はないんだよって思います。もちろん、今だからそう言えるのですが…。

阿部:うわーそれって素晴らしいことですね。
では、かつて「接客の仕事につけなくても仕方がない…」と思っていた「あきらめのような気持ち」も、今はもうないのでしょうか。

根井:そうですね、当時は、あきらめていました。言葉の部分で不自由さがあって、手術前の自分とは違うということを自分自身が感じていたので。今の状態では、たぶん、このくらいのレベルの仕事しか出来ないのだろうと思っていました。でも、もう今は、あきらめていないです。

阿部:いつからそのような気持ちになったのですか?

根井:社員になって、しばらく経ってからかなと思います。正社員として、責任もって仕事に取り組む中で、気持ちにも変化が生まれたと思います。
正社員になったタイミングで父が他界したこともあって、亡き父のためにも頑張らないとなぁと思うきっかけにもなりました。

阿部:正社員への登用は、根井さんにとって大きなターニングポイントだったのですね。

根井:はい。その意味では、今の会社には大変お世話になっているし、正社員になるきっかけがなければ、今こういう自分がいなかったなぁというのは感じています。

阿部:これまでのお話伺っていると、根井さんご自身が、自分事として「おかしいポイント(賃金が低くて、個人のアウトプットによる差がない)」を感じてこられたし、それを自ら乗り越えられたのだなと感じています。
だからこそ、今は、あきらめることもなく、「今は満足です」と自信をもって言える、ということでしょうか?

根井:そうですね、はい!

阿部:すごいですね。
根井さんのストーリーから考えると、「おかしいよね」のポイントをこえた先にある社会というのは、「今が満足です」と言える人たちが増えていく、ということでもあるのでしょうか?

根井:そうですね。

「今が満足です」と言える方が増える社会になったら嬉しいです。

⑤ 様々にある「おかしい」を抱きながら、根井さんにとって、何をしたら今の仕事をやり遂げたと思えそうですか?

阿部:最後の質問です。
根井さんご自身が、当事者であることを代表して、これからも「今が満足です(今の仕事をやり遂げた)」と言えるために、これはしていこうと考えていらっしゃることがあれば教えてください。

根井:これまでは自分のチームとか、目の前のことしか考えが及ばなかったけれど、

これからは会社全体の売上とか、少し先の未来も一緒に考えていきたい

という思いを持っています。
生意気で恐縮ですし、今の仕事に余裕はないんですけどね。
でも、自分の中のステップとして、そう考えています。

阿部:根井さんのこれまでのキャリアの中で、今は余裕がないけど、次はこのステップに進もう…といつも考えながら、キャリアを築かれてきた感じでしょうか?

根井:いやぁいつの間にか、という感じで、あまりそこは上手にお話が出来ないですけど。

阿部:B型では終わりたくない、A型では終わりたくない、と常に一歩先を見据えて動かれているようにも感じていて。病気になられる前も店長職をされていたくらいなので、成長していこうとするマインドセットをお持ちの方なのだろうなと感じます。

根井:意識はしていないけど、そうなのかもしれないですね。

そうしないとつまらないじゃないですか。
自分が仕事をする上での目標がないと、つまらないかなぁって思うんです。

阿部:根井さんは、自らの体験として「おかしいよね」のポイントに遭遇して、それを乗り越えてきた方。
だからこそ、「今が満足」だって言える人が増えていくことが良い社会なのだろうなと感じられるのだろうと思いました。
そして、何よりも凄いのは、その感覚を味わい続けるために、常に一歩先を考えながら、今は今で大変だけど、少し先を考えられる“余白”を常に自分の中で作って来られたことだなと感じています。
そのようなキャリアの築き方が、根井さんの10年後の「今が満足」を作っているような感じがしますね。
本日は、長い時間ありがとうございました!

インタビューを終えて:
対話企画は、今回で3回目になりました。根井さんが、この10年で実体験を通じて感じられた「ここっておかしいよね」とそれへの向き合い方は、根井さんだからこそ語れることで、きっと根井さんをロールモデルにしたい!という方もいらっしゃるだろうと思いました。

「『今が満足』と言える人が社会の中に増えること」(根井さん)、
「お互いが、これが今、自分にとって一番いい働き方であり、ライフスタイルだと思っている状態」(平野さん)、

お2人の語りに共通点を感じながら、これからの社会づくりには、根井さんや平野さんのような実体験に基づく語りが欠かせないのだろうと、お話を伺いながら考えていました。

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