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何かが見えそうな予感~音読の底力

カタカムナから始まる古典音読をするようになってから、シンプルに物事が見えるようになったような気がします。感覚が研ぎ澄まされたような。
誰かから何か話を聞いたとして、色々盛られた説明から、何が大事なことがくっきり見えるようになりました。もちろん、わたしの目線での話です。
以前に比べたらハキハキして意志も強くなりました。融通はさらにきかなくなりました(;'∀')

今週ミクマリ音読道場は金曜に3名、今日3名の大人の生徒さんを迎えてレッスンをしました。
ひとりはカタカムナを発声した後、その心地よさに感嘆の言葉を述べ、仕事が忙しくてキャンセルを経て今日久しぶりに来た方は基礎発声練習の後、「来るとやっぱり自分に必要だなと思う、もっと来るべきですね」と、2回分の予約をして帰りました。次の方は生(なま)の声を合わせた時の「響き」を知っていることが自分にとってとても強みになっていると語りました。最後に来た方はあまり自覚はないようですが、以前に比べて音読がとても上手になっていて、楽しそうに読んでいる様子が印象的でした。いずれの方のコメントも様子もわたしたち指導者にとっては嬉しく、これからの活動のヒントになりました。

それぞれの生徒さんが「音読をしてこんないいことがあった」とはっきり自覚できるように日本語音読指導者として仕事をしていきたい。

カタカムナ80首の音読を始めて、テキストにある古典の文の力を以前より感じられるようになりました。その相関関係に驚くばかり。
音読して自分の声を聞く、その声が音読によってどんどん強く鍛えられていく。響かせられるようになる。

子どもの音読やサイコロ暗算は学力が上がるといったわかりやすさがありますが、大人はわかりにくい。そして大人は何か感じても「〇〇なような気がする」と謙虚だったりします。

音読の底力に驚かされ続けています。
日本語の音の源ともいえるカタカムナ。
そこに触れることにより様々なことが見えてきそう。
カタカムナの音とリズムが生きている古典。古代の日本人が音をどうとらえていたか。
深海?宇宙?
とてつもないかもしれない。




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