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どうして?の秘めたる力~土佐日記と禅問答

子どもがオモロい人生を送るために、幸せになるにはどうしたらいいか。
どんなことを息子に授けていけばよいのか、そのことばかり毎日考えていて、「こうしたらどうか」「ああしたらどうか」と色々アイディアを閃いては行動して、息子が置いてけぼりになっている疑惑がw

どう考えても毎度考え至ることは、子どもに何かをする前に、親である自分が勉強しなくてはならないということです。
子どもは着せ替え人形ならぬ着せ替え人間ではない。この塾よさそうだから行かせよう。行かせていればなんとなく安心。これがよさそうだから買ってあげよう。その外付けのワンアクションだけでよいのか。植物も水さえあげていれば育っていくけれど、根詰まり起こしていないかなど色々と面倒を見ます。

子どもに高等教育を身に付けさせ誇りに思うお母さんも多いと思います。
その教育はその子にくっついているだけではいつかはがれてしまう。その子が体の内部から引き込んで自分の血肉にできたらいいかなと思っています。そうするにはどうすればいいか。引き込む力をつけさせなければならない。そうできる身体と脳、気持ち。よい食べ物や脳のウォーミングアップ。そこは親の出番。わたしに関していうと、そこには己の勉強が必要です。

昨日は身体にも脳にも心にもよい日でした。
吉祥寺にあるブイネットで13時から古文講座を受講する予定だったので、その前に親しい指導者仲間と集まってランチをしました。
指導者仲間は自然派志向の方が多く、とても素敵なお店を予約してもらいました。

グルテンフリーのヴィーガン食を提供してくれるこのお店、野菜の持つおいしさを引き出した料理はとてもおいしく、肉や魚がないことが全く気にならずおなかが満たされました。米粉で作られたデザートのケーキもとてもおいしく、お土産にこれまた米粉のフォカッチャを買いました。
米粉料理研究家である陣田靖子さんが切り盛りするこのお店は、食べ物のみならず、電磁波の影響を受けない環境を作っていて、そこにいることがとても気持ちよく、こんな空間我が家にも作りたい、電磁波についても対策を講じようと、何度目かの( ;∀;)決意。

お店を後にし、暑い中井の頭公園を通ってブイネットに歩いて移動し、古文講座を受講しました。昨日のメインイベント。
紀貫之の「土佐日記」を幾章か読みました。

土佐日記は男である紀貫之が、女として「男もすなる日記というものを」書いてみるという設定になっています。
松永先生はまず、「なんでそんな設定になっているのか」と皆に問いかけました。面白いと思ったのか、なあ。
土佐日記は紀貫之が土佐に赴任してその任務を終えて帰ってくる道程でのことが書かれています。当然貫之が登場するわけですが、書き手は「女」なので貫之の情をそのまま文中に吐露していません。貫之は土佐赴任中に京で生まれた女児を亡くしてしまいます。そのつらい心情が日記の中に書かれていて、人々の共感を誘います。
松永先生の後に続いて楽しく音読し、面白い解説を聞き、長旅の末京にたどり着いても寂しい気持ちに切なくなりながら、こういう心情を表現するために男が使う漢文ではなく平仮名でこの物語を書き、女の立場からのほうが親の情を書きやすかったのかもしれないなあと思いました。

予定よりも早く講座が終わり、松永先生が前日に生徒とリベラルアーツの時間に議論したという、臨済宗の禅問答の話をしてくれました。
師に「仏法の根本義は何ですか」と問うたびに棒で打たれるという話。
「なんでだと思う?」という松永先生。参加者が自信なさげに何か答えると、「そんなこと言ったら間違いなく棒でたたかれますよ」と古文講座主催の前田先生がニヤリ。松永先生はその文をコピーして配ってくれました。
依然はっきりわからないままですが、悟りにたどり着く過程なわけです。なんでだろうなんでだろうと問い続けること、これが大事なのがまずあります。

現代の生活だと、何かとスマホで調べて「はいわかった!」となることばかりに囲まれて暮らしています。そうじゃないこと、沈黙して考え続けることは追いやられたりしているのかもしれない。こういうのを論じるのは子どもたちにとってとても価値のある事、そしてそういう大切さをまず自分たち大人が知るべきと思いました。

学び多い1日に感謝。

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