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実家でのお正月~母とのつきあいかた

元旦は義実家を招いての新年のお祝い、翌日の二日は千葉県流山市の実家に行き両親と年末から泊っている妹親子と過ごすことになっています。 

実家で母の作るお節料理を食べるのを楽しみにしています。あとお餅。実家では餅つき機でお餅をつき、母がのして父がカットするもち米感満載の分厚いお餅を食べられます。

元旦にわたしが義実家のために用意したおせちやその他の料理の写真を家族ラインに送っていました。父が「美味しそう!」とコメントしてくれていましたが、母からはリアクションもコメントもありませんでした。それはいつものこと、スマホでのやり取りに不慣れなのもある、好意的に見てくれていればいいなと思うくらいでした。

実家に行くと母はいつも台所に立って皆のために料理をしています。
手伝おうとしても断るので他の人の手が入るのが嫌なのだろうと思い、だいたいそのままわたしは対面式のキッチンのダイニング側に立ちノーお手伝いで、妹は母の横に立ち少しのお手伝いをしながら3人でおしゃべりをします。母は9人兄弟の末っ子、先日姉のひとりが92歳で亡くなり、そのお墓の話や、残された還暦を超えている独身のひとり息子の保険の受取人を誰にするかが親戚間の話題になっているなどと聞きました。

意外なことに母はわたしが送った料理の写真をちゃんと見てくれていて、「じゅんちゃんのと違ってうちのは田舎のおせちだけど」と言い、娘が義実家相手にちゃんと料理でもてなしていることを喜んでいるのかなと読める言葉を続けました。拡大解釈したかな?と思いますが、母の言葉に心が癒えるのを味わいました。やっと求めていたことでほめられた!

予想通りお餅が美味しくお昼におせちと共にたくさん食べてしまい、消化する間もなく夜は豪勢なすき焼き。

甥っ子が買ってきたなぞなぞの本で盛り上がり、持病がある父が投薬後すぐ寝るのでもうそろそろ、とのサインを母から受け取り帰途につきました。
別れ際、父の検査データがあまりよくないことを母から聞きました。
父は30代のころから盲腸を起点にいろいろ病気をしてきて、数年前にクローン病と診断され、毎日たくさん薬を飲んでいます。
日常生活は問題なくできており、朝夕散歩に出て外食も少なく母のご飯を食べて健康的な毎日を送っているのでつい病気であることを忘れてしまいます。もう両親も70代半ば、向こう10年20年で起こるであろうことに向き合っていかなくてはならない。すなわち時間がたっぷりとはないことが急に現実的になりました。

帰りの車の中で「行動しよう」と思いました。
母の反応を色々気にして言葉にしなかったり行動しないでいたけれど、結局は自分の思い通りにならなさそうだから母のせいにしていたのではないか。

実家ではずっとテレビがついていて能登の地震や飛行機の炎上のニュースを映し出していました。
地震や飛行機の事故は痛ましく、被害が最小に収まることを祈るばかりですが、普段ほとんど見ないテレビの不安をあおる報道の仕方に恐ろしさを感じました。風邪騒動の時もしかりでした。
こういうものに家族もろとも流されたくない。バラバラにされたくない。
自分達にはテレビにはコントロールできない大事な想いがある。

これからより長く母との時間を取っていこうと決めた今年二日目の日でした。


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