シングルマザーが教育移住を決めた理由/⑳不登校から別居・離婚そして教育移住までの記録
突然の不登校、突然の別居でシングルマザーになった親子が辿り着いた「市民立小中一貫校」への教育移住。その4年間の記録をマガジンにまとめています。
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長男の不登校をきっかけにはじまった、我が家の教育選択。
5年の月日の中で、昼逃げ別居で関東から東海へ引っ越し、脱学校、教育選択、息子のためにスクール運営などたくさんの経験を経て、我が家はいよいよ市民立小中一貫校の本拠地へと移住することを決めました。
移住を決めた理由
自分で運営してきた「市民立小中一貫校つらぬき楽園」の活動が全て終了し、我が家はいよいよ、市民立がっこうの本拠地瀬戸市へ教育移住をすることにしました。
最終的に教育移住を決めたのは、次男がこの先育つ教育環境と、市民立がっこうで中学高校と育ったあとの息子たちの未来を考えてのこと。
オルタナティブスクールやフリースクール、学校外の居場所という選択肢は増えていますが、その先は主に進学、就職という大きな道があるのが社会の現状です。
その社会の一般的なシステムとは違う価値観を選びたくて教育選択をするのに、高校からは結局そこに戻るしかないのだろうか?ともやもやしていた長男の不登校時代。
そんな中で知った、市民立小中一貫校。
「個人事業主」として社会で働くスキルを身につける高等部があり、進学就職とは全く違った価値観の中で社会に出ていくという、違った道。
そこで学び実際に社会に出ていく子どもたちのことを考えた時に、私はそういう教育のあり方がある程度地域に根ざしている場所に住んでいたいと、直感的に思いました。
市民立がっこうという価値観は、本拠地の瀬戸市であってもその本質までもが広まってはおらず、やっぱり少数派の選択なのだということを、移住した今実感しています。
だからこそ、この価値観を共有し合っている人が少数ながらも集まっている場所にいることは、ひとり親である自分に将来何かあった時にも、子どもたちが生きていきやすいのではないかと思ったことも、移住の決め手のひとつでした。
実際に、市民立がっこうの教育の中身までは広まっていないけれど、「あそこにそういう学校あるよね〜」ということは、美容院に行ったり、整体に行ったり、市役所の手続きでも、誰もが知っている。
ちょっとしたことなんだけど、受け入れられている、色眼鏡で見られない、積もり重なる小さなストレスがない感じがして、とてもありがたい環境だということを感じる日々です。
物件探しと体調悪化
つらぬき楽園をやめてから、体調の波を見ては瀬戸に通い、ちょうどクリスマスにココ!という物件を決めることができました。
すぐにでも移住するために引越し業者を予約したものの、ここにきて持病がかなり悪化。
ご飯を食べてトイレに行って、1日を布団の上でなんとか過ごすのがやっと。このまま治らないのではないか?というほど、日々良くなっていく感じがせず、気分的には絶望でした。
長男の不登校や突然の別居から4年。これまでのがんばりが全て体に出ていると思いました。その4年どころではなく、結婚して10年以上抱えてきたもの、それ以前から自分自身で抱えてきたもの。
体に鞭打って、気持ちだけでがんばってきた自分が、もうこれっぽっちも動きたくない!!と言っているかのようだと思いました。
引越し自体間違っているのか、やめた方がいいのか、冷静に考えてみたこともありますが、移住した後のことを想像してみるとワクワクしたり肩が軽い感覚がする。この直感の方向に動くことに間違いはない。
ここでも、ずっと学んできた感性ラボの再創造マインドが役立っていました。
焦ってもしょうがない。というかどうがんばっても体は今は動いてくれない。
ワクワクする方に進むために、引っ越しは一度延期。とにかく休むことをゆるしながら過ごし、実際に移住したのは、年度を跨いだ4月の半ばだったのでした。
転校の手続きがスムーズ!
年度を跨ぐ引っ越しになってしまったので、新年度からの子どもたちの学籍をどうしたら良いか、引っ越し前の地域と引っ越し先の地域の教育委員会と相談しました。
引越し先の学校に直接連絡して事情を説明すると、やはり市民立がっこうのふもとというだけあって、至ってスムーズ。
先に移住してきた家族も他にもいるし、対応に慣れているような感じがしました。
それは市役所の窓口でも同じ。引越し前の地域では1から説明していたことが、「あ、そこに通うんですね〜」で終了する。
説明することが嫌だとは思わないけれど、そういう小さなところから積もっていく疲れとか、なんか嫌な対応だったな〜とか思う機会が減ることは、ひとつひとつ受け止めてしまいやすい体調の自分にとっては本当にありがたいことでした。
今回我が家の場合だと、年度を跨ぐ引越しということで、「区域外入学」というシステムが適用され、実際に引っ越してきてはいないけれど、年度はじめから引越し先の地域の学校への在籍が認められることになりました。
長男は中学校、次男は小学校4年に在籍。
各学校がその在籍をどう扱っていくかは学校や担任の先生に任されていることのようで、
中学校の次男は、名簿に名前を載せて、クラスの生徒にも〇〇君という子がいるということを伝えて良いか?と相談がありました。
不登校、また来れるようになったらきてほしい、という価値観が見えかくれするところだなと思います。
我が家は市民立を選択しているので、それはお断りして、事務的に最低限必要な形のみしていただければ大丈夫と伝えました。
待ってるだけでは出会えない 不登校のその先に広がる本当の選択肢
長男の不登校がはじまった頃は、あんなに悩んでいた学校とのやりとり。
我が家はこうします、こういう選択をします、ということを伝えれば、こんなにもスムーズなのだということ、当時はまったくわかりませんでした。
この地域では前例があるからこそのスムーズな部分はもちろんありますが、移住前の地域でも、前例がないと言われながらも、そういう選択をとる道はあって、認められました。
さらに、もともと住んでいた関東の地域でも、別居した後に教育委員会と話していく中で、オルタナティブ教育を選択している家庭はあるし、在籍のみして他の場所に通うケースへの対応が普通にあることがわかりました。
その地域は都心だったので、むしろその数も多かったのだと思います。
小学校入学前に、当たり前に届いてくるのは「地域の学校に就学する」ための情報のみ。小学校にも色々な選択肢がある、なんていう情報は、自ら探しに行かないと目にすることはありません。
そして不登校になった家庭に学校や公的な場から紹介されるのは、適応指導教室やフリースクールが主。「学校外の選択肢」が紹介されることはありません。校内フリースクールが増えていくと、ますますそうなっていくのだと予想します。
一般的な不登校支援で得られる情報がいかに限られているか、この4年で自分が辿った道を振り返って、強く実感しています。
㉑に続く
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