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『スクール☆ウォーズ』の時代のトンデモ先生の話

多感な季節を大映ドラマとともに過ごしてきたじゅんぷうです、こんにちは。

忘れられない先生っていますよね。

わたしにとっては小学6年生のときの担任、
T先生がその筆頭です。

小6=1984年、といえば
「イソップーーー!!!」でおなじみ
『スクール☆ウォーズ』。
荒れに荒れてる無名校の弱小ラグビー部が
一人の教師との出会いによって
全国を目指す、その軌跡を描いたドラマ。

ほかのドラマもそうであるように
大映にスポ根を渡すとこうなってしまうという
スポーツによる人物たちの成長や
勝ち進む爽快感以外の
大映エッセンスを楽しむ作品となっております。

校内暴力も時代背景にあり
不良生徒がバイクで校内を走り回るオープニングは
センセーショナルでした。

高ぶる教師山下真司
川浜一のワル松村雄基
「馬上から失礼します」の伊藤かずえ
梅宮辰夫と和田アキ子の無敵夫婦

大映ドラマならではの極端な演出も
もちろんありますが
とにかく先生も生徒も熱いのであります。

そんなドラマを冷めたしぐさで見ていた小6時代。
担任のT先生は30歳ぐらいの男の先生でした。
5年生のときの担任が年配の女性の先生で、
クラス替えはないのに担任だけ変わったんです。

このT先生、とにかく熱いというか一味違いました。

裏声やハモりは子どもらしくないから合唱は地声で歌え!

画用紙を見ないで線を引け!
細切れの線は引かずに一本でいけ!!

水彩は赤・青・黄の3色しか使うな!

図画に関しては、
今思えばこの手法で
味わいのある絵が描けたかなとは思います。
でも、とある男子は
こんなのダメだ! ビリリリリ!!
T先生に画用紙を破られました。
あれは『スクール☆ウォーズ』で次週のサブタイが
「死と友情と」って見る前にネタバレしてるのと
同じくらいショッキングでした。

そういうわたしも
焼き粘土で土鈴を作ったとき
T先生に焼く前の鈴を握りつぶされました。
土曜ワイド劇場だったら殺人が起きてます。

みんな違ってみんないいんじゃないんか?

不正解もあるんか?

仲良し男女何人かのグループで
遊ぶ計画を立てていたら
「グループを作るなんてけしからん!」
と、グループ全員がみんなの前に立たされ
生まれて初めてのビンタ。
『スクール☆ウォーズ』で山下真司が
「俺は今からお前たちを殴る!!」と
予告して殴ってたころより早かった気がします。

しかしいまだに何がいけないのか意味不明。
「差別してる」と言われたけど
ほかの子を遮断していたわけではないし
毎日、45人のクラス全員を誘って遊べとでも…?

また女子は授業で積極的に発言をしないからと
教室の真ん中にビニールテープで境界線を作られ
テープより前が男子、後ろが女子にされたことも。

このトンデモ圧政に対して
クラス委員のじゅんぷうと親友が
「男子でも発言してない人はいるのに
 男子ってだけでそっち側なんですか」
「これは差別じゃないんですか」
と物申すと
「差別ではなく区別だ!」
と驚きの屁理屈で強行されました。

45人もいて理解度も板書のスピードも
同じなわけがありません。
発言をしづらい子だっているのに
発言をする・しないの態度だけで
席を前後に分けるほうが異常。
あのとき論破できたよな~
ボイコットもできたよな~って
卒業しても時々振り返っていました
(別のときにボイコットした)。

この教室線引き事件の顛末はというと
わたし含め女子の大半は
もう面倒くさくなっちゃって
このまま静かに授業聞いてりゃいいや~
ぐらいの気持ちだったのに
線引いた張本人の先生が我慢できなくなって
「このままでいいのか!」と言い出してきました。

いやいやもう寝た子を起こさないでほしいのに、
臨時学級会を開くことになり
本格的に面倒。
今なら親も黙ってないと思いますが
当時はどうだったんでしょう。

女子は大人なので先生のほしい答えをあげました。
「積極的に発言するから”区別”をなくしてほしいです」
先生もこれで助かったのではないでしょうか?
そんな茶番もありました。

何かが先生の琴線に引っかかるたび
ほかのクラスからは
「また3組が何かやってる(やらされてる)…」

『スクール☆ウォーズ』じゃなく
『スクール・オブ・ロック』みたいな
破天荒なら大歓迎なのに。

隣りのクラスは毎朝、
『戦争を知らない子供たち』を歌って
最終的に「友だちの輪!!」と
言わされてたことを思い出しました。
担任はT先生と同年代か少し若いぐらいの男の先生。

先生たちも理想があって
生徒たちとの向き合い方を
模索していたとは思います。

体罰は愛のムチと言われていたあの時代。
だけどあのビンタは愛なんかじゃない。
理想を追求する先生のドラマのシナリオに
2、3行で書かれたエピソードだったんだろうと、
いまだに忘れられない
生意気な生徒役Aじゅんぷうでした。

同じ1984年の小学校が舞台のドラマ
『うちの子にかぎって』と
人生二度目のビンタをくらった
高校生のお話はまたの機会に。

Paraviで見れるってよ!


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