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【続】伝わらない、お互いに。

個人的にですが、夜より朝の方が、考えようとした時に、正解に近づける可能性が高いように思います。

睡眠によって、脳が回復するからでしょうか、大学院での論文は、朝起きて、気が済むまでボーッとしてから、必ず書くようにしていました。

そんなことはいいんです。

今朝、書き起こしたこの記事、


音楽もファッションも、自分が作ったものはすべてそうですが、もちろん文章も、人に読むことを強制すべきだとは思いません。

「それについては⚪︎⚪︎に書いてあるから、それ見て、たぶんなんかわかると思う。」

くらいに差し出すことはあります。そういう手段としてネットを使うようになりました。

もう、自己紹介とかも、めんどくさいから、インスタ見て、とか、本当に言います。

だいたいすべて書いてるので、いちいち話さずに済むし、「インスタのあれさあ、⚪︎⚪︎行ったんでしょ?」から会話がスタートすることもあるし、自分の考えてることを知った上で、関わらないと決める人はフォローを外すもしくはブロックしてくれるので、とてもありがたいし、なにより、楽です。

そんな中で、「この人に読んでもらったら、どんな感想が返ってくるかな」と思い、暇だったら読んでみてくれない?とか、音楽なら、まあ音楽なんてたいていそんなモノであるべきだと思うんですが、まじで聴くものなくなった時に、よかったら聴いてみて、みたいな差し出し方をすることもあります。


自分の考え方的な部分では、「話してきた中で、正解に近いことを言ってくれそうな人」が、何人かいるので、そういう方に聞いてもらい、どう感じるかを聞きたいと思い、今朝の記事を何人かの方に差し出してみました。


当たり前なことを当たり前に書いてるだけじゃん

じゅんき君らしいやん、うちは好きやで

これ、当たり前なことしか書いてないけど、読んでも意味がわからない人が多いと思う


などのフィードバックをいただいて、
まあなんか、この人たちに伝わって指摘がないなら、いいか、

みたいな、

ある種のライフハックを自分の中に形成できてきたと再確認ができて、

よかったな、と思います。


言論は人の間違いを避ける手段として、
戦争すらも、回避するにはそれしかない、
くらいに、とても大切なことだと思うし、
避けて通るほど、すべきでない争いを生む、
とも思います。


口は災いの元、なんて、それも独り歩きして言い尽くされていますが、

言論である限り、災いが起きる分には、まあいいんじゃないかな、

と思います。

災いの中での本質をきちんと捉え、そこについて徹底的に議論する、みたいな過程を通じて、

人は幸せになるかもしれません。


そういえば、否定しかしない、について、
もっと深く話すと、

「俺はこういう理由で、それについてこう思う」

みたいなことも、「否定」と捉える方はいますので、
難しいなと思います。

考えについて、それを覆す言葉を差し出してくれれば、簡単に認めるくらいの状態ではあります、

本当に。

言葉を差し出してくれることもなく、

「否定された」

みたいなことを言われてしまうと、

もうそれは詰みです。

それくらい、話すって大切なんだと僕は思います。

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