社会人生生活を振り返る 壱の型
おはようございます
こんにちは
こんばんわ
野比のび太系OTのじゅんじゅんです。
もう3月ですね。
4月になると新生活がスタートしますね。
今年から新社会人になる人や仕事を退職し、新しい生活が始まる方もいられると思います。
僕も4月で社会人4年目となりますが、簡単に過去の自分を振り返っていきたいなと思います。
野比のび太系OT振り返りの呼吸
壱の型 崖っぷち1年目 スタートです。
🟩入職して
今から3年前 当時23歳で、作業療法士となり、急性期病院に就職しました。
急性期病院は治療が最優先となる病院です。
集中治療室(ICU)の患者様をリハビリで担当することもありました。
入職前に
学生の時に、半日見学をさせていただき、ICUの見学をしました。呼吸器の数、生と死を向き合っている医療スタッフの姿に、正直圧倒されました。
リハビリテーションのトップの方に病院を案内していただいたのですが、僕の口から、「不器用な人でもここでやっていけますか?」と吐露しました。
トップの方はこの言葉に戸惑いや何言っているんやこの子と思われていたかもしれませんが(笑)
「頑張ってください」と一言かけてくださいました。
試験を受けて無事合格しました。
不安と期待を背負って、スタートしましたが....
点滴を付いている患者さんをリハビリする際にリスク管理が全くできず、先輩が評価をするという、大失敗を経験。その時は何を評価をすればいいのか全くわからず、頭は真っ白。
当時、先輩から、「ついてないと無理やね。なんでできないの」と一刀両断されました。
できないのはわかっていましたが、何ができていなかったのか頭も入らず。
訳がわからなくなってしまって、精神的に参ってしまいました。
先輩たちは、改善しようと思って必死にアドバイスをしてくれます。
しかし、期待に応えないとって気持ちが先走ってしまい、何をやってもうまくいかない。
うまくいかないことに苛立ってしまい、失敗した部分だけを全てと捉え、完璧なマイナス思考に陥ってました。
自己肯定感が低いことで余計に自分の首を絞めてしまい、負の連鎖に入ってました。
考えると失敗なんて一部分なわけですが、あの時は全てが失敗していると考えていたのか不思議です。
昔の写真を見返すと顔は本当にしんでました。
自信がない、この人に任せられるの?って顔をしてました。笑
なんで作業療法士なんてやっているんだろ。
人のためにやる?
自分がまずできていないじゃないか。
もう嫌やと思うことが、半年続いてました。
そんな状態の中で仕事を続けていました。そしてある時に頑張ろうと思う出会いがあったのです。
🟩頑張ろうと思った出会い
しんどい状態は続いていましたが、この間に先輩がテニスに誘っていただき、いかに気分転換をして気持ちを切り替えることの大切さを学びました。
そこから、休みの日に余暇活動としてボクシングを始めるわけですが....それは次回に行っていきますね。
テニスを誘っていただいた2人の大先輩ががいなければ、僕はOTをせず、違う道に進んでいたに違いないなと思います。
余暇活動の大切さを知り、少しやるべき評価などがわかってきて、ちょっと落ち着いてきたある日です。
初めてICUの患者様を担当することになりました。
その患者様は人工呼吸器を装着した神経難病の方を担当しました。
はじめてのICUで、ドキドキしました、そして別の先輩がバイザーとしてついてくれました。
このバイザーとして見てくださった人は1つ上の方なのですが、バリバリに出来る凄腕の先輩でした。(色々ご迷惑をかけました)
バイザーとして見ていただいた方は、優しくて僕の考えを親身になって聞いてくださり、意見を聞いてくれた中で、この患者さんはどう考えてるんだろうね?とか患者さんの生活らしさについてアドバイスをいただきました。
僕が担当した患者様は、呼吸器も離脱し、順調に回復をして行ってました。
しかし、自分の考えや予測が、回復していく患者様のペースについていけていませんでした。話をする時も常に緊張しており、もっとナチュラルに話そうと先輩方にも言われました。
この半年後には後輩が入ってくるので、成長したい、患者様のために自分ができることをやろう、頑張ろうと初めて思ったのです。
全てに介助を要する患者様の車椅子の乗り移りの方法や知識や考え方を職場の先輩方に教えていただきました。
時にはなんで起こさないの?と厳しく檄を入れていただき、この言動は失礼だよと厳しい言葉もありました。しかし、檄を入れてくださったことで、できるようになってきました。
お陰で今の自分がいるのだなと思います。
🟩始まった忘年会練習
12月といえば忘年会のシーズンです。
リハビリや他職種が、病棟の忘年会に参加する流れが毎年恒例でした。(今から3年前の話です)
何をするかと話になった時に漫才をしようとなりました。
当時、OTの同期は僕ともう1人いまして
その同期は見た目と体型が春日似やったんですね。
僕は華奢さがあり、眼鏡をかけていましたが、若林に似ていました。
そんなわけで先輩からオードリーやれば?みたいなノリでオードリーをやることに。
春日(仮名)は、漫才を大学の時にも経験しており、キレッキレでした。
まずは、オードリーのネタをYouTubeで見て、そこから医療関係あるあるへオリジナルを作っていきました。
若林のボケやイメージも頭の中でイメージはできていました。
しかし、実際に漫才をやると野比のび太系OTはなかなかセリフも覚えられず、相方に迷惑をかけていました。更に恥もあったり自分の殻を破れずにいました。
正直、暗記パンが欲しいとドラえもんに泣きつきたいところです。
暗記パンなものはないので、カラオケで個室特訓をしました。
歌を歌い、ストレスを発散させ、そして漫才をやりました。
個室なので、誰にも聞かれないので、自分の恥を捨てることができ、ついにネタを覚えることができました。
僕にとって、カラオケの個室はドラゴンボールで言うと精神と時の部屋みたいなものです。
部屋から出た途端、戦闘能力が上がっている高揚感に満ちていました。
🟩殻を破った忘年会初戦
そして、いよいよ、忘年会がスタート!
僕たちが担当することが多い、いつもお世話になっている病棟でした。
新人でかつ、オドオドしたメガネだったので、看護師さんからみたら、なにあの子?声震えてない?ウケるwwみたいに思われていたに違いません。
そんな野比のび太系OTと春日(仮)でオードリーを披露したわけです。
ネタは、病棟あるあるをオードリーのネタに合わせて、漫才をしていきました。
みんなが思っているだろう専従スタッフ(病棟に属するセラピスト)のクセをあるあるにして表現しました。
これがまた大成功で、看護師さんから面白かったよーと後日話しかけてくださり
怖い病棟から優しい病棟に変わりました。
終わった後に、漫才面白いな!!😊と思い、テンション上がってました。
あの時の春日系OT、春日(仮)がいなければ、漫才はしていません。笑
そこから、リハビリでの忘年会と新年会とオードリーのネタを披露するわけですが.....
続きは弐の型で語ろうかなって思います。
こんな感じで.....to be continue.....