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自分を信頼するには

こんにちは。

私は2ヶ月ほど前、NY在住のヒーラーの方が開催されたあるワークショップに参加しました。それはzoomで行われており、日本から参加されている方がほとんどで、多分150人くらいいたと思います。

そのWSの内容はさておき、私がちょっと気になったのは、途中チャットの書き込みなのです。

「○○で合ってますか?」「○○の感じがしてますけど、これは大丈夫ですか?」という自分は間違っていないかどうかの確認がものすごく多かったのです。それも、「鉛筆がないのでペンでもいいですか?」みたいな「えっそれ聞く?」と思うようなことも聞いてくるのです。

もちろん主催者の方は、優しいのでどの質問にも丁寧に答えていましたが、私はどうしてこんなにも多くの人が、自分が正しいかどうかの答えを外側に求めるのだろう?何が不安なんだろう?と思ったのです。

そして、この外側に正解を求めて、自分の中にある答えや思いに自信を持てない傾向、自分への信頼の欠如は日本人に多く見られる特徴なのではと思いました。(私も昔はそうでした)

私たちは社会に同調することを求められて、他人に合わせたり、他人を優先したりすること事をよしとされて来て、自分のことをずっと後回しにしているように思えるのです。それでは自分を信頼することは難しくなってきますよね。

私はこの自己信頼の弱さの原因の一つは日本の教育によるものと思います。

私がNYにある日本人学校の幼稚園で働いていた時、私以外の先生はみんな日本での教員経験がある方ばかりで、日本式の教育を提供する方針の学校でした。そこでのカリキュラムは全てトップダウン式で、先に先生が決めてそれを生徒が実行するというものでした。

春ならひな祭り、5月は鯉のぼり、6月は梅雨、9月は月見などなど、季節の行事に合わせた製作、それも担任が見本を作って、それを子供達が造る。できなくても先生が手伝うのでちゃんと完成する。

出来上がった作品は壁に貼られて、親御さんがみれば「あ〜可愛い!」となるのですが、これは子どもの創造性や好奇心をかなり無視しているように思えるのです。

私がこちらの大学で学んだ幼児教育はトップダウンではなく、チャイルドセンター(子供を中心に置く)のカリキュラムの作り方でした。簡単にいうと、子供の興味や関心のある事を中心にそれを深めて、広げていくカリキュラムです。

こちらでは、大人や先生は子供の眼の前で、絵を描いたり、工作の見本を作ったりしません。なぜなら、先に完成形を見せてしまっては、子供はそれと同じように作らないといけないと(描けないといけない)と感じて、意欲を失うからです。そして、完成した形ではなく、プロセスが大切と考えるからです。子供がお絵かきをしている時も、「お日様描いてるの?」といった声かけはせず「その絵についてお話ししてくれる?」と決めつけをしない声かけをします。なぜなら、子供の描く世界は時として、大人から見える世界とは違うので、そこを尊重してあげるのです。

ちなみに私の勤めているデイケアでは、どんな風にカリキュラムを組み立てるかというと、まずは子供達(この時は2〜3歳でした)が何に興味を持っているかを観察します。例えば、ある時は子供達がプレイグラウンドで蟻を見つけて、その通り道に寝転がってずっと観察していました。そこで、昆虫のカリキュラムを組み立てました。昆虫関係の本をたくさんおいて、おもちゃも虫のおもちゃ、そして歌も虫の歌、それから外に昆虫を探しに行く。又、蝶々の卵の孵化を見守ることもしました。そして、サークルタイムでは昆虫について知っている事を話してもらう。そんな感じで、1〜2週間子供達と一緒に昆虫に関わって行きます。そして、彼らの興味が次へ移ったら、又次のカリキュラムへ移行します。

多分、日本でも昆虫について学んだり、季節について学んだりはもちろんあるはずです。ただ、私が感じたのはカリキュラムが先なんだなというところです。小さい子は、好奇心が旺盛なのでなんでも喜んで体験します。けれど、たとえばそれに興味がなくても、製作の時間は一斉に鯉のぼり作り、秋はお月見のお団子製作とか、よく考えるとちょっとおかしいと思いませんか?(私だけ?)

でもそういった小さい頃からの積み重ね。「与えられた課題をこなす」という姿勢。正解(製作の見本)が与えられて、それに沿うようにする。みんな同じ時間に一斉に製作をするという管理体制。その一つ一つが、自分への信頼を持てない原因の一つになって居るように思うのです。幼稚園にしてすでに、みんなと同じを求められているのですから。幼稚園の後は小学校、中学校へと進み、ちゃんと校則を守る事を求められ、自分の頭で考えるより、試験勉強での得点が大事。その後は高校受験、大学受験と進んで行きます。日本の社会でやって行くために必要なスキル(言われた事をそつなくこなす)はこうして身につけられて行くけれど、自分の心は置き去りのまま。。。

私が小学校6年生の時、担任が「一人はみんなの為に、みんなは一人の為に」という学級目標を掲げていました。当時はなんて素晴らしい目標だろうと思っていたし、今もそう思います。けれど、今はそれができるようになるには、まず自分が自分を大切に扱ってあげることが必要と思うのです。自分を置き去りにして、周りをの為に動いても、いつか心が折れてしまいます。

自分を大切に扱うことができると、私は私で大丈夫!何も足さなくても、このままの私で大丈夫!みたいな自分への揺るぎない信頼が少しずつ築かれて行きます。自分を信頼できると、人生はもっと楽しくなります。

結局何をやるにしても自分を信頼できなかったら、それはものすごく不安定な基礎の上に立つ家のようなもので、とても崩れやすいものとなってしまうと思います。

noteを始めて、沢山の素晴らしい才能を持った方達が、社会でうまくやれない自分のことを書いているのを目にしました。こんなに素敵な文章が書けるのだから、あなた全然大丈夫だよ!!と思います。

本当に余計なお世話だけれど、まず自分から大切にして行きましょうね。

そして日本できついと感じたら、是非NYにきてみてね。






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