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恐怖の向こう側
こんにちは。
昨日「Defending Your Life」という映画を見ました。
1991年のものなので、もう30年近く前の映画ですが、とても興味深く面白かったのでその話をしたいと思います。
主人公は39歳の誕生日に新しく買った車を運転中に、交通事故に遭い亡くなってしまいます。そして気がつくとJudgement City(審判の街)という街にいます。ここは全ての亡くなった人たちが次の世界へ移行する前に立ち寄り、次はどの世界に移行するかを決める場所なのです。
そこではまず裁判所のようなところへ行き、弁護士と検察官そして裁判官の前で自分の一生を振り返り、自分はまた地球に戻って学び直すべきか、それとも次の、より高次な世界へ行けるかの判決を下されます。
ここで重要となるのがFear(恐れ)を克服したかどうかです。
検察官は主人公が恐れのために行動を起こせなかった数々の場面を提示して、彼はまだ恐れによって人生を十分に堪能できていないので、地球に戻ってまた人生をやり直すべきだと主張します。
反対に彼の弁護士は、彼は恐れによって行動できなかったのではなくそれは彼の真面目さからくるものだ、とか何とか言って弁護します。
そして物語は主人公が「恐怖を克服して自分の力で自分の人生を選び取れるか」に焦点が当てられます。
。。。とこんな感じの話なのですが、、、
ここで私がとても興味深いと思ったのが、この映画では
「恐れを感じても、それに打ち勝って人生を切り開く」のがより高次の世界に行くための必須事項となる、という点です。人助けをしたり、道徳的に良しとされる行いをしたり、が基準ではないのです。私たち人間は恐れから自分の行動範囲を狭めたり、やりたくない事をあえて続けたりすることがとても多いですが、それは死んだ後、人生を満喫しなかった理由になり責められる原因となるのです。(あくまでこの映画の中では)
私は、私たちはこの人生で沢山の経験をするために生まれてきたと思っています。ですから、悲しいことも、苦しいことも、嬉しいことも全部含めて、全ての経験とそれを選んだ自分にOKを出したいのです。
だからでしょうか?
私にはこの映画の中の「恐れは克服するもの」っていう考えが、どうもしっくりこないのです。もちろん、もし全ての行動が恐れをベースにしたもので、他人にどう思われるかが怖くて行動しない、とか、嫌でも我慢し続ける、とかだと確かに問題です。それでは人生を楽しむことが難しくなってしまいます。
でも大事なのは「なぜその行動を選んでいるのかに気づいている」ことなのかなと思うのです。何も疑問に思わず行動をするのではなく、意図的であるということ。
恐れを感じて動けなかった自分に気づいてあげて、そんな自分を受け入れて、進んで行く。それを繰り返すうちに、少しずつ恐れよりも好奇心や、やりたい気持ちが強く出てきて動くことができる。。時もある。そんな感じでいいなと思うのです。
克服とかいうと、恐れ自体が戦う相手のように感じてしまうけれど、恐れだって私の一部で、私を守ろうとして出てくるのだから、あってもいいはずです。共存しながら前に進んで行くのが自然な感じ。
もちろん、恐れを抱えながら行動した後の満足感や達成感は本当に素晴らしいことも分かっているので、この映画でもそれを言いたいのだとは思うんですけどね。
そんなことをいろいろ考えさせられた映画でした。映画自体はコメディなので、軽くて後味も良かったです。
私はハッピーエンドが好きなのです。
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