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「自ら選択する」という姿勢

こんにちは。

私がNYのデイケア(保育園のようなところ)で働いている事は何度か書きました。

その前はNYにある日本人学校で働いていたし、日本食レストランで働きながら大学に通っていた事もあるし、もっと昔、日本にいた頃は短大卒業後旅行会社で働いてもいました。

前の旦那さんと結婚する前にNYと日本を行き来していた頃はホステスをしたこともあるし、軽井沢プリンスホテルに泊まり込みで働いたこともあるし、接客業は着物屋さんからファストフード、本屋さん、などなど本当にこの年までいろいろ経験してきました。

そんなこんなで色々経験しているので、今の職場の環境はとてもありがたいと感じています。

なぜなら、医療保険がいいし(アメリカの医療費はとても高いので保険は大事)、体調が悪い時も休みを取りやすいし、大学に併設してるので広いカフェテリアもあるし、キャンパスからイーストリバーが見えて、休憩時間はゆっくり外で気分転換ができるし、有給もちゃんとあるし(もちろん全部使える)、他にもこのコロナの状況でもお給料は全額でていたし、、、、数え上げたら結構出てきます。残念なことと言えば、お給料が安いことくらい(笑)。。。ってそこ大事か😆😅

そして何と言っても大好きな子ども相手の仕事だし。

でも同じ職場で働いていても、みんながみんなそう思っている訳ではありません。

もちろん不満を持っている同僚もいます。

フローターとして違うクラスに入ると沢山の先生たちと仕事をするので、それぞれの性格や仕事に対しての姿勢などが良くわかります。

私は自ら話す方ではないので、他の先生たちの話をもっぱら聞いているのですが、すると中には今の環境に満足していない先生が結構いるのがわかるのです。

例えば、先日もこんなことがありました。以下、同僚との会話。

同僚「あなたは今回仕事に戻ることについてどう思う?」

私「私は正直ちょっと嬉しかったな。子供達にずっと会いたかったし」

同僚「え〜まじで?ちょっとあなた変わってるわよ。コロナは怖くないの?」

私「そんなには心配してないな。私免疫強いし。心配するとしたら、私の彼に移さないかってところかな。彼免疫弱いから。あなたはどう?心配?」

同僚「もちろん心配だし、本当に頭にきちゃう。公立の学校がオープンしてないのに、なんで私達のデイケアはオープンするのか全然分かんない。アドミン(ディレクターやアシスタントディレクター)は私たちのことを全然考えていないのよ。彼らは保護者の言いなりになってるわ。今オープンするなんて危険すぎる。でも私にどうしろって言うの。」

みたいな会話がされました。その後も彼女の口からはアドミンに対しての文句が永遠と出てきました。

でも、私はアドミンに対して全然そう思ってなかったのです。

この度オープンするにあたって、アドミンは何回かに渡ってzoomの全体ミーティングに最先端でコロナの研究をしている科学者(これはデイケアが併設している大学の科学者)、ドクター、そして市の衛生局の方を招待して、注意事項や守るべき事柄を示してくれました。実際NY市はデイケアの通常オープンの許可を2週間前に出しましたが、私の職場はエッセンシャルワーカーのお子さんのみ、時間も通常より短め、と市の規定より慎重にゆっくりオープンしているのです。

もちろんはっきりしない点もいくつかありましたが、それでも私はこのコロナという初めての不透明で確信のない状況で、アドミンが最善を尽くしてなんとか安全に仕事に復帰できるように環境を整えようとしてると感じていたのです。

チャイルドケアセンター専用の看護婦さんも雇ってくれて、朝、職員と子供達全員の健康チェックをしてくれて、週一回の無料のコロナ検査キットは24時間以内に検査結果が出るという優れものを毎週渡してくれる。しかも清掃員も回数を増やして、1日に何度も除菌しにきてくれる。

それは決して当たり前ではないことです。私の昔勤めていたところでは、こんなに徹底した安全対策のもとで再オープンできないと思います。けれど、アドミンに対しての感謝の言葉を職場で聞かれることはまずありません。

もちろん毎日地下鉄に乗って出勤することや、それぞれの家の事情も異なるので、不安を抱えるのは当たり前です。

けれど、私が思うに、誰かのせいにしたり、不安や不満にフォーカスすると、結局は自分が苦しくなります。

組織の一員として働くということは、時に自分の意としないことにも従わないければいけない時もあります。

その時に「やらされている」という感覚でやるのか、自分の意思で決めたこととしてやるのかで状況は随分と変わります。被害者意識で生き続けると、結局は自分が苦しくなるのです。

なんてこんな風に書いてますが、私も昔は被害者意識の塊でした😅。

周りのせいにして、社会のせいにして、自分の英語が拙いせいにして、自分は精一杯やってるのに、全然状況が良くならないことをまるで自分の責任ではないように思っていたのです。誰かに無理矢理やらされているかのように思っていたのです。

自分の人生なのにおかしいですよね。

まるで私ではなく他者が私の人生をコントロールしているかのようでした。

私が過去どんな環境にいたかはこちらを読んでいただけると分かります↓

そして、全てを周りのせいにしているうちは、決して自分の生活環境が良くなることはありませんでした。

そしてそんな中で、少しづつ自分のできる範囲でいい気分でいることを選択して行ったら、見える世界が随分と変わってきました。実際にはすぐに夢のような暮らしになった訳ではないけれど、それでも絶望感やどうにもならない無力感は随分と減り、今できることで幸せを感じられるようになりました。

美味しいものを食べたり、空を見上げたり、お花を見たり、パークへ行ったり。。すると少しずつ夢が叶って行ったのです。そして今はここ↓

仕事をしていたら、嫌なこともあるし嫌な人とも付き合わなければいけない時もあります。その度に不平を言っていても、何も変わらないし、むしろずっと嫌な気分が続きます。

嫌な気分でいると、結果として嫌な未来を引き寄せます。

ずっとネガティブなサイクルが続くのです。

それは避けたいですよね。

なので、ちょっと見方を変えて見ます。

例えば、今回の例で言えば、

「本当はまだ仕事になんか戻りたくない。でも今この仕事を辞めるわけにはいかない。辞めて他の仕事を探すという選択はまだ出来ないんだ。だから私は仕事に行くことを選択する。」みたいな感じで、自分が決めたことにするのです。

「I don't have a choice」(私には選択肢がないのよ)という言葉はこちらでよく聞かれますが、本当にやりたくないのなら、仕事を辞めるという選択肢もある訳です。

でもそれを選択する準備はまだ出来ていない。それなら自分が決めたこととして、やれることをする。そしてその中で、自分をいい気分にすることを小さなことから選択して行く。すると人のせいにすることが減るので、自分の人生の主導権を握っている感覚になります。

自分が選んでいると思うと、見える世界が変わってきます。

ここでは別に私の同僚に比べて私の見方が優れてるとか言いたい訳ではないのです。

この同僚は、私が以前住んでいたのと同じプロジェクトと呼ばれる低所得者用のアパートメントに住んでいる、シングルマザーです。彼女の口からはアパートメントの不満や政府への不満が頻繁に出てきます。かく言う私も昔はそんな感じで文句タラタラでした😓

彼女の生い立ちや今までの経験を私は知りません。けれど、彼女の話を聞いていると彼女の苦しみや怒り、痛みを言葉の中に読み取れます。

ただ、もし彼女が今の状況に不満を持っていて、もっと幸せになりたいのなら、今までと同じように不平や不満を言って、相手や状況を変えようとしても難しいと言うところなのです。

自分の人生は自分で選択していると気づくことから、始まるのです。

でも「こんな人生選択してないよ!なんで私ばっかりこんなに苦しまなきゃいけないの!」って思ってる時って、自分の選択だと認めることがとてもとても屈辱的に感じるのです。(私はそうでした😅)

ところで私は本当のところ、彼女に私の経験を伝えたいな。。と思ったんです。

でも出来ませんでした。。。

それは、私の英語力もありますが、それよりも「分かってもらうの難しいだろうな」って先に諦めてしまったんです。

私は自分の考えを言葉にするのが苦手です。

だからこうやってまずは日本語で表現する練習をしているのです。

なので、英語で自分の思いを伝えるのはまだちょっと勇気がいるのと、そんなに仲がいい訳でもないのに余計なお世話かなとか考えちゃったのもあります。

でも本当はみんなが幸せに自分の人生を生きることができたら楽しいし、私自身の経験から、この自分で自分の人生に責任を持って、自分をいい気分にすることを選択して行くと言う方法はかなり効果があると感じているので、伝えたいのです

私の同僚のような人には特に、なぜなら私も以前はそこにいたから。

でも、まあ少しずつですね。今の私はそれが出来ないけれど、いつか伝えられる時が来るかもしれないし。

彼女はそのままで幸せなのかもしれないしね。(知らんけど😆!)

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NYの夏の夕焼けは本当に素敵!








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