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触れてほしいの満たしかた

触れられることが苦手だ・・・。

このことを思うと、苦しい気持ちになるのは、、

本当は、、

心の底では安心できる触れ合いを求めているからなんだと思う。

それは愛情を求める気持ちとほどんど同じだ。

理解してほしいとか、

受け入れてほしいとか、

ここにいていい、

あなたはあなたのままでいい。

すっぽりと守られているような安心感。

そういう感覚を求めてる。

腹の底では、ものすごい欲求を抱えている。

渇望とか。

そんな感じ。

でも、人に求めて、相手を見誤るとえらいことになることを、これまでに経験できた。

まだまだ消化できていない感情もあるけれど、、

あとで分かれば、、それでいい。

その時々の選択の意味。

今ぜんぶ分からなくても大丈夫。

ただ、間違えはないということだけ、信じている。

***

「触れてもらえない」と感じた時の、精神的ダメージ。

「触れさせてもらえない」と感じたときの痛み。

よく知らない人に慣れ慣れしく触れられる時の、不快感。

「触れる」に関わる、自分の中のよじれた気持ち。

初めて会った親戚のおっさんにスカートをめくられて超嫌だった。

親の知り合いのおっさんにべたべたされて、吐きそうだった。

そのとき親が助けてくれなかった、恨みの気持ち。

両親と、もっと触れ合って甘えたかったのにできなかった、満たされない気持ち。

3歳の時、兄がわたしを膝に乗せて抱っこしてくれた、うれしい感情。

小学校に上がってからは、乱暴になって抑え込まれたり、蹴られたり・・・

絶対許さないと泣きながら怒っている気持ち。

兄にいじめられたとき、母がぎゅっと抱いて守ってくれた時の安心感。

異性に、好意を持って抱きしめられたときの満たされ感。

嫌だなぁと思いつつ、スキンシップに応じた自分への怒り。

「触れる」って、感じ取る情報量が多いんだ。

自分の中からも生まれるし、相手からも伝わってくる。

大きな波か、洪水にでも飲み込まれる気分。

何度も何度も、呑み込まれて目を回していた気がする。

「触れられる」そのものが嫌なんじゃなくて・・・

その時々のいろんな「嫌」があった。

「安心」「心地よさ」もあった。

じゃあわたしは、どんな風に触れられるのが好きなんだろう。

***

「触れる」って、ひとにとって大事な栄養なのかもしれない。

どういうふうに補充したいのか、

ここもちょっとずつ研究していこう。

ひきこもりだから、あんまり人に会うことないんだけど、、

それでも気になる人がいたときは、

さりげなくぺたぺた触ってみよう。。笑

今は、自分で自分に触ってケアするのが気に入っている。

いいなって思うプロにメンテナンスをお願いするのも、とても好き。

やっぱり丁寧に触れてもらえるのはすごい幸せ。

無理せず、快と不快のパターンを研究だ。

相手のことは脇に置いといて・・・

自分がどう感じているかに集中する練習。

ちょっとずつで大丈夫。

「触れてほしい」も満たしていけるよう、脳に設定しておこう。

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