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2020年暮れに思う、コロナ禍とこれからの生き方

どうも、殉太郎です。

さて2020年もそろそろ終わりますね。
今年は1年を通してコロナウイルスの感染拡大をきっかけに、様々な物事が変化した年だったと思います。これまで「当たり前」と見做してきたものの多くが、見直されなくてはいけない状況になりました。
いちリーマンとしては特に、テレワーク環境や時間差勤務制度が一気に整備されたことは大きな変化です。これにより、空間的・時間的な同期が崩れてもそれなりに会社がやっていけること、また出張がなくても、それ自体売上にあまり影響がないことがわかってしまい、数多くの業務、またそれに従事する人員や空間、時間の大半がブルシットジョブ、つまり「やってる感」の演出であったことが明白になってしまいました。

売上の伸びが期待でき、ブルシットジョブにも給料を払えていた頃はそれでも良かったかもしれませんが、今後はこの実績をエビデンスとして、人件費を含めた固定費の削減が怒濤のように押し寄せてくるのだろうと思います。

こんな偉そうに話をしている私も、紛れもなくそのブルシットジョブの一員ですので、社内的にはどうにか仕事をこなしつつ、他方でいつクビを切られてもいいように自身の固定費を減らし、足るを知る生き方を実践していきたいと思います。


ここまではいちリーマンの非常にしょぼい話でしたが、マクロな視点で見ると、今年はコロナ感染拡大に伴う世界的な経済活動の減退によって世界のCO2排出量が第二次世界大戦以来、最も減少した年になったそうです。


コロナのおかげで少しだけ人間の滅亡が先送りされたというのは皮肉ではありますが、こう考えてみると、人間こそが地球にとってのコロナのようなもので、長い地球の歴史にとってみたら「あの頃なんか“人間”てのがいて、散々やってくれて大変だった。」と後に述懐するかもしれません。

最近、「人新生」という言葉がよく聞かれますが、特に近代以降、現代に至るまでの資本主義や新自由主義というのはまさに「今だけ、カネだけ、自分だけ」の価値観であり、私利私欲、「安心、便利、快適」のツケを全て時間的、空間的に外部化つまり、他国の困窮や将来の環境破壊、資源枯渇に押し込み、見ないふりをすることです。
掃除の時に全て押し入れにブチ込んで綺麗になった気がするのと一緒ですね。最近になって押し入れの隙間から段々物が溢れ出してもうしまうところがない状態になってきたのが「人新世」ということで、もう数えるくらいで僕らは消え失せて真暗な朝が来る、人間の歴史の終焉までDriver's Highです。

こういうことを書いていると絶望的な気分になってきましたが、何を幸いとするかにおいて資本主義的、新自由主義的な価値観の裏返し、つまり「子々孫々のために、金のためでない、公共のために」を軸に据え変えることで自分の良心に恥じない、少しでもまともな生涯を生きていきたいなと改めて思います。


さて、先日YouTubeでこんな動画を見ました。
「抱樸の仲間たちと語る、生きてて良かった話」#ほうぼく https://youtu.be/g9D9LLurizY

これは北九州市を拠点にホームレス支援を行なっている「抱樸」というNPO法人が出している動画です。
この動画に出てくる二人のお年寄りは長年ホームレスを経験し、その後抱樸の支援を受け自立して現在は「生笑(生きてさえいればいつか笑える日が来る)一座」として自身のホームレス経験を語る活動を行っているそうです。

動画は理事長の質問にお二人が答えるという形で進んでいきますが、ホームレスになった経緯やどのように糊口を凌いでいたかなど、体験談がとても生々しく感じられ、またそのリアルな語り口からは、自分と彼らに違いなどなく、ただ紙一重の出来事でそうなってしまっただけであると身につまされる思いがしました。

最後には視聴者へのメッセージとして
ホームレスをやってよかった。何故なら他人の役に立つ楽しさ、他人の苦しさがわかることができたから。」
「今は友達ができて、その人達を裏切らないように頑張る」といった言葉で締め括られました。

世の中、どんなに「安心、便利、快適」の中にいて「今だけ、カネだけ、自分だけ」の人間よりも、人生の終盤に差し掛かってなお、このような思いに至ることができた彼らの方がよっぽど人として幸いだろうと思います。

生き馬の目を抜くような世の中にあって、このお二人のように、他人の苦しみを自分に映し出し、「子々孫々のために、金のためでなく、公共のために」頑張る。
来年からはほんの少しでもそんな生き方を始められたらと思う2020年の暮れです。

それではまた。

殉太郎

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