意見文 8 表現を考える -人身事故-

 こんにちは.今回は表現について個人的な意見を述べていきたいと思います.早速ですが皆さんは普段から表現に気をつけていますか?僕は部活で先輩に対して敬語を使うようにしています.先生でも気さくな方は少しカジュアルにしたりと人によって話し方変えることも多々あります.たまにタメ口でいいよといってくださる人もいるのですが、そういう人に限ってどうしても敬語になってしまうのは自分だけでしょうか.
 本題に入ります。僕は先日ある記事を読みました.「人身事故」と「電車に人が接触した」のどちらが良いのかという議論がなされていて、その結論は「電車に人が接触した」のほうがありありと現場のイメージができ自殺の抑止につながるのではないかということでした。また人身事故に暗い印象が付きすぎているのではないか.だから「電車に人が接触した」のほうがよいということです。
 皆さんはどう思いますか.ちなみにJR西日本では「人身事故」の表現をやめて「電車に人が接触した」にしているそうです。
 そもそも人身事故というのは一時間以上電車を止めることがザラです.私は人身事故というと自殺と結びつけて冥福を祈りつつ一方でなかなか来ない電車に腹をたてます.この感覚は共通なのではないでしょうか。ここで下には人身事故の当事者の情報を分析しているサイトを挙げます.自殺する人の年代は様々で、毎日のように更新されるデータベースには考えなくてはなりません.

 このデータベースを見るとだいたいは人がなくなっています.その抑止になるのであれば電車に人が接触したで喚起し人身事故の暗いイメージをある程度払拭するのは効果があると思います. 
 ここでもうひとつ、人身事故は事故と自殺の場合に大抵は分けられます.自殺の場合を今は取り扱っているのですがこの自殺志願者の観点から見ていきましょう.
 下には自殺志願者のアンケート情報が載っていて、自殺志願者は逆に死にたいときは電車に近づかないようにするそうです.なぜなら本当にしんでしまうから.つまり飛び込もうと考えていなくても体が動いてしまうようである。また自殺志願者にとって最も望む死に方は何も感じずに死ぬことです.したがって確実に即死する方法を考えます.故に高速で通過する路線で死にたいと思うのは当然の心理になります.(これはその人の嗜好によって異なりますが、、、)ただ新小岩駅で高速の特急電車にはねられ遺体が駅のコンビニの中に刺さり即死したということが報道されると、新小岩駅での人身事故が相次いだことからこの心理はあり得ると思います.自殺志願者はうつ病のひとが多いのも考えどころです.

 この無意志に飛び込んでしまう現象を考慮すると人身事故という表現を変えるのでは自殺志願者にとって効果がないことになります.
 しかし僕の意見としては電車に人が接触したのほうがいいと思います.理由としてはまず人身事故というワードに悪い印象を持ちすぎていること、そして事故というワードがことをさらに重くしているように感じられる点があります.いままでの話を踏まえてないようで恐縮ですが自分が本当に死にたくなったことを考えたことがないので当事者の気持ちがわかりません.ただ一人ひとりが意見を言えるような環境づくり、そして心がけを本人からしていかない限りなくなりません.youtuberは好きなことをしていますが必ず自己を発信しているのです.そう、ある程度の自己の開示は必要なのではないでしょうか.

 最後に物申す.最近のメディアは人が自殺したときに大々的に取り上げすぎなんですよ.朝のテレビでくどくど流されると朝から気分が塞ぐんですよ.と行く宛もないぐちを申し上げました.

 ありがとうございました.

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