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24歳、鬱病になる。ー<69>24歳

私24歳にして、今年2023年の1月に鬱病と診断を受けました。

鬱病になった私に起きたことや、そこから立ち直れるにようになるまでの姿を、自分なりに整理して、書き起こしてみたいと思います。

自分のために、そして同じような境遇の人の何かの一助になればよいなと思っております。


前回の記事では、自分は双極障害ではないかと思ったことについて書きました。今回は、そんななかで24回目の誕生日を迎えたことを書き記していこうと思います。

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2022年8月18日、私は24歳になりました。

とはいえ、誕生日だからといって何かが変わるということはありませんでした。元来8月18日は夏休みとお盆の時期が被るので、誕生日を祝われるということとは子どもの頃から縁遠いものでした。LINEやその他SNSの類においても誕生日の設定をしていなかったので、大して仲良くない人から突然に「誕生日おめでとう」と連絡が入ることもありませんでした。

そんななか、その日に連絡があったのは2件でした。1人は小学校からの幼馴染からでした。彼は私の誕生日を覚えててくれて、「誕生日おめでとう」とまるで義務のように毎年送ってきました。そんな彼に「ありがとう」と返しました。付き合いも深い友人なだけに、退職したことを伝えようかと思いましたが、社会人として働いている彼にそれを打ち明けるのはなんとなく億劫で、結局その時は伝えませんでした。

もう1件は、高校3年生の時の高校の担任の先生からでした。先生は筆マメなところがあり、卒業後にLINEを交換して以来、誕生日や年始の挨拶も必ず送ってきてくれます。

「おめでとう」と送ってきた先生に対して、私は簡単に「ありがとうございます」と返しました。すると先生から「そういえば、今何しているの?日本にいるの?」なんて続けて送られてきました。

私は逡巡しゅんじゅんしましたが、思い切って「今年就職して、色々あってこの前退職してしまいました」と送ってみました。

先生からは「そうだったのね。また話したくなったら話をきかせて」と返ってきました。正直、その返信は私の望むものではありませんでした。私の気持ちとしては、すぐさまにでも電話を掛けてきて話を聴いてほしかったのです。それか、ただ「大変だったのね」と一言添えてほしかったのです。だから、私は先生が無慈悲だとは思いませんでしたが、そんな返信から先生に頼ろうと思う気持ちにはなれませんでした。

その後は、いつも通り1日を過ごしました。特に調子が良いわけでもなく、悪いわけでもない1日でした。

夕刻になると、母が仕事から帰ってきました。母は私の好きなモンブランを買ってきてくれました。夕食後にそのモンブランを食べる私に母は言いました。

「24歳、おめでとう。24歳はね、あたしにとっては非常に大きな節目になった年なのよ。色々なことを経験した1年だったわ。だから、あなたにとってもそんな1年となるといいと思っているわ」

その言葉を私は、なんとはなしに聴いていました。というのも、私にはこの24歳となった1年間がそんなに刺激的なものになるとは思えなかったからでした。仕事もしないで1日をただただ家で過ごし、ひたすら気鬱な気持ちに耐え忍んで生きる毎日。そんな日々がこれから1年また続いていくと思うと、そんな明るい気持ちを抱くことはできませんでした。


記事のバックナンバーなどは、こちらのマガジンでまとめていきます。