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noteの時間
テレワークに最適な職種であるにもかかわらず、僕は毎日出社して、むしろウイルスが蔓延する前よりも忙しくなった仕事をやっつける日々です。
編集仕事がメインなのですが、基本的に僕の行動を制限する人は会社にはいません。ほとんどのことを僕が勝手に決めて、僕が勝手に動いています。
部下に「あれやっといて」と言いながら、僕はnoteの記事を作成しているのです。なんと(僕にとって)いい会社なのでしょう。
なぜこんなことができているか、については別のところで記事化してもいいかなと思っているのですが、今日のところはそんな僕が「時間」をどういう風に考えているかを少しお話します。
最初にも少し言いましたが、僕は常にいろんな仕事を抱えています。毎日毎日いろんな締切に追われています。職種柄、そうなのかもしれませんが、僕は編集者になってから10年以上、基本的に365日24時間、仕事をしている状況です。オンとオフの明確な境目がない生活をずーっと続けている、ということです。
そうなってくると、時間の管理は自分でしていかなければなりません。1日24時間の時間割を、10年以上自分で決めてきた、ということです。同業者や自営業の人であれば共感されるかもしれませんが、時間割を自分で決めるっていうのは、簡単なことではありません。学生時代のように、黒板の横に時間割が貼ってあったらどんなに楽だろう、と思ったことは一度や二度ではありません。
自分が選んで、使ってきた時間です。今この結果(環境だったり収入だったり)になっているのは、すべて過去の自分が過ごしてきた時間のチリツモだということになります。
僕は今、毎日1時間程度はnoteに時間を割いています。ということはつまり、僕が今こうして記事を書いている時間は、1年後か5年後か10年後の僕になにかしらの結果となって返ってきているわけです。
人間ですから、誰しも未来の自分に対して、借金まみれで首が回らず、過去を悔いながら苦労をしてほしい、とは思わないでしょう。僕もそうです。そうならないために(そうならなくなる可能性がありそうだから)、自分で決められ、かつ無限の選択肢があるなかで、時間割の中にnoteの時間を組み込んでいるのです。僕にこの時間を使わせているnoteさんは誇ってもいいですよ。謙虚に言い直すと、褒めてつかわす。
だからといって、この記事はこれを読んでいるあなたに「時間を大切にしような!」と言いたいわけではありません。なぜなら、これもまた別の記事で書こうと思っているのですが、自分ルールとして「ひとさまの生き方に意見しない」があるからです。
時間が有限で、平等であることなんて、小学生でも知っていることです。「この記事を読む時間こそが無駄だったぞこの野郎」と思う人もいれば「なんか忘れていたものに気づけた」という人もいるかもしれません。この記事は、僕が時間をどう認識していて、どう使っているかを書いているだけであって、それ以上でも以下でもありません(哲学エンド)。
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