マウンター

突然ですが、僕はnoteに参加している、
8割くらいの人とは話が合わないと思っています。

近年、インスタで雰囲気たっぷりの写真を紹介する人や、
フェイスブックで私こんなに楽しんでいます発表をすることが、
実はダサいことなんじゃないか。
という考え方がジワジワと広まっています。

さまざまなメディアの中で、ひねくれ者やズバッと言う系のタレントたちが、そういうのダサいよねっていう運動をしまくっているからです。

結果、どうなっているかというと、いわゆる「イタい」(とされている)投稿を楽しんでいた人たちはズバッと言われたことで、
「あー、あぶないあぶない。私イタいやつだったんだ。気づけてラッキー」
なんて言って、SNS上のキャラクターを180℃変更し、当たり障りのない、本当にしょうもないことばっかり投稿するような人になるか、アカウントを削除してそのままフェードアウトしていくのです。

そこで、今回の趣旨です。

僕はイタい投稿をする人たちを批判するつもりはありません。というより応援していきたいと思っています。「イタい投稿」と書いていますがこれは便宜上の表現であることをご承知ください。
本記事はズバッと言う系の人たちや、その人たちのフォロワーに対するディスリスペクトなのです。

僕はそういう卑しい人たちをマウンターと呼んでいます。マウンターとは、他人を客観的に分析(したつもりになって)、カテゴライズ(勝手に)して、な? こいつらだっせえよな? と蔑むことでイタい投稿者に対してマウントをとろうとする人のことを言います。

・カフェでラテアートを真俯瞰から撮影する人
・大喜利みたいに大量のハッシュタグをつけて検索されたい人
・フォロワーに「人生充実していて羨ましい」と思われたい人
・自分や自分の子どもの写真を公開して「かわいい」「いいね」ほしい人
・空や海の写真とともに、自作のポエムっぽい文章を投稿し、「人とは違う、感性が豊かな人」と思われたい人

こういう人たちはマウンターにとってはかっこうの標的です。身に覚えがある人は、「私は違うけどね」と言いつつも、心の奥底で冷や汗をかいていることでしょう。

マウンターはとにかく人のあら探しをします。そしてターゲットを見つけたら言葉の槍で一突きにするのです。「ださくない?」「本当は●●と思われたいんでしょう?」などという言葉を添えて。マウンターの餌食になった人たちは、ぐうの音もでない状況に追い込まれてしまいます。そして自分の本音が丸裸にされたような気持ちになって、過去の投稿もまとめて恥ずかしいものだと思いこまされてしまい、最終的にはアカウントごと黒歴史として封印。イタい投稿をしている人にとっては晴天の霹靂であり、そんな投稿を微笑ましく見ていた人にとってはいい迷惑です。それまでもらっていたいいねの数だけ恥ずかしいのです。「(恥ずかし)いね」に見えてしまうのです。

しかし、僕は声を大にして言いたい。イタい投稿をしている人たちは、卑劣なマウンターたちの言葉にひるむことなく、無慈悲に突き立てられる言葉の槍を仁王立ちで受け止めながら、引き続きイタい投稿を続けてほしいのです。「あー、ひねくれていて可愛そうだね。マウントとりたいんだね。わかったわかった」なんて言って、ケロっとしていてほしいんです。

関係ないんです。投稿は自由であるべきです。もちろん誹謗中傷はダメですが、誰もが言いたいことを言える社会であるべきです。そのイタい投稿によって誰かが傷ついているわけではないのです。承認欲求は誰にでもあるものです。いいねを押す人は本当にいいねと思っているから押しているのです。自信を持ってイタい投稿を続けましょう。

それでは、最後に練習です。今後、飢えた醜いマウンターたちはきっとこんなふうに襲ってくるでしょう。それでもあなたはそんな言葉にひるむことなく、凛とした姿勢で、是非明日からまたイタい投稿を続けて承認欲求を満たしてください。僕はいいね押しますよ。

「イタい投稿をするやつが減るとターゲットを探すのに苦労するから、止めないでもらったほうが都合がいい。できれば気づかず、気づいている我々とそのフォロワーの笑いのタネでい続けてほしい。だから、イタい投稿を止めないでね」


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