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回り道の果てに思うこと。15年目の今日に。

今日11月15日は、自分にとって特別な日。いつからか、これまでの一年や人生自体を振り返る一日になりました。今年は30歳を迎えた節目の年なので文章に残してみようと思います。 

はじまり

2005年の今日、福岡の田舎から上京した。

なまじ成績が良かったり、大抵の事は大きな努力をしなくても一番を取れていたので、自分の可能性を文字通り無限大に信じていた。

中学時代から転売や新聞配達、美容室のアシスタント、定食屋さんの厨房などたくさんの仕事をしていたし、働く事が楽しかった。

そんな中、初めて自分のお金で携帯電話を持ち、急激に外の世界への興味と憧れが生じた。一応高校には入学したが、あまりにも退屈で一学期のうちに先生と揉め、ドロップアウトした。

HIPHOPが好きで、美容師にも憧れたりして、自分の力を都会で試したいという想いが日に日に増した。小学生の時からから唯一真剣に打ち込んでいた野球をする事もなくなり、夢中になれる対象を探していたのかもしれない。 

お金がある家庭では無かったが、幸い口うるさく言われることはなく、4万円を握りしめ、片道切符ではじめての飛行機に乗って上京した。15,6歳の時か。空港からモノレールで浜松町に着いて、初めて見た東京タワーの景色は何よりも輝いて見えた。

知り合いはゼロ、家も無く、お金もない。だけどその時は不安よりも希望に溢れていて、不思議と怖かった記憶はない。 

少しフラフラと都会を彷徨っていたが、幸いにも野球部の恩師からの紹介で、会った事もない23歳の先輩の家に居候させてもらえることになった。年齢詐称などでバイトもクビの連続で苦労したが、年明けには16歳でもフルタイムで働かせてもらえる精肉屋さんの仕事に就いた。 

すぐに彼女もできて、あっという間に17歳に。自分でマンションを借りて同棲を始めた。しばらくして僕が原因で別れてしまったのだが、駅前新築の家だったので、1人になった事で家賃負担が重くのしかかった。
何とかするために、18歳になると同時に光通信のコールセンターのアルバイトに転職した。どうやら向いていたようで、新人賞からはじまり全国一位の成績を取った事もある。

この年齢にしては結構なお金を持ったので、20歳を前にして逃げるように退職した。その前後からHIPHOPのMCを目指してクラブに入り浸り、曲を作ったり、MCバトルに出たりしながら貯金でしばらく生活した。人に言えない事も沢山やった。しかしそんな生活も長続きはせず、鬱も相まり、福岡で飲食をやってる兄を頼り一旦帰郷した。 

歳が離れているし、僕が小さな頃に家出していたので、はじめてマトモに会話をした。
どこか名残惜しく、東京の家は借りたままで、夢中で仕事を頑張った。21歳で店長に、その後すぐに経営幹部となった。会社は数年で20億円近くの売上にまで成長した。
今思えば、未熟なりに、怖いもんなしでがむしゃらに努力していた時期だと思う。大人数のマネージメントや、マンパワーから仕組みへの移行、適材適所の概念…様々な事を学んだ。 

ここではとても書ききれないし、北九州の飲み屋なので。説明は省かざるを得ないのだけど、それはそれは色々あって、24歳の時に退職と起業を決意した。

これまで

起業後、はじめは失敗だらけで色々やった。苦労の末に何とか立ち上がり、福岡で英会話事業やIT商材の代理店、テレビ局の受託などの会社をやっていた。
元々好奇心が強かったので、仕事外の時間で興味のある事を手当たり次第やった。30か国を超える海外旅行や、日本や世界のミシュランめぐり、各種エンタメの経験、稼ぎの全額以上をぶち込んで人の一生分は経験したと思う。

その間も東京には頻繁に通っていたし、次第に新たな繋がりや仕事も生まれていたので、もう一度勝負してみたいと思うようになった。 

昔から共感していた堀江さんのサロンに入った事がきっかけで様々な人と知り合い、堀江さんを含む先輩方に出資を受けて東京でも会社を立ち上げた。
その中で東京でもっと勝負したいという想いは明確になり、友人の後押しもあって、再度東京へ拠点を移した。26歳、蝉の鳴く2016年の夏だった。 

とはいえ、どちらも数人の会社。兼務しつつ行き来するのは中々骨が折れた。決断の勢いとは裏腹に、時はどんどん流れた。
その最中で大事な女性に出会い、結婚をする。いまも何の文句も言わずに付き添ってくれていて、本当に感謝している。 

嘆いても仕方がないのだが、若くいられる時間も、溢れるエネルギーのまま暴れられる時間も、人間そう長くはない。僕にも長くそういう時期があったのだけど、うまくレバレッジを掛けることが出来ずに、キャリアが分断してしまっていた。思うまま行動して、ある程度やったら飽きてゼロスタートの繰り返し。今ならもっとうまくやれたよなぁ、と思うけれどね。 

一年前くらい前にそれに気付いて、福岡での事業を売却した。なんだかスッキリしたかったので、そのお金でやり残した遊びや経験をフルスイングでやり切ってみた。お金も時間も、なんだか泡みたいなもんだなぁと思った。

そして今年、多額の投資と共に満を持して仕掛けたメディア事業は伸びず、畳んだ。今は新たな展開に向けて動いている。幸い、ベースとなる動画やイベント事業があり、会社はまあ問題ない。

これから

そんな中、迎えた30歳。本当にあっという間だった。いろんな心境の変化を辿った。好奇心のまま、エネルギーの湧くまま、背伸びをしたり、ストレスを抱えまくったり、悔しさや羨望や嫉妬にまみれ、迷惑を振りまきながら。

それはそれは楽しい人生だったのに、どこか満たされない想いの原因は何なのか、ゆっくり考えてみることに。何故?を深掘りしてみると、最近ぼんやりと輪郭が見えてきた。

僕は新しいことを始めたり、立ち上げるのは好きだけど、今世の中に無いものをつくる「ゼロイチ」ではなく、今あるものの改善や効率化を前提とした事業をするのが得意なんだと思う。
それなのに、色々な人に影響されて、いっぱしの何者かになれると信じたあの頃の自分を引きずり続けているのかなぁ、と。

その呪縛がやっと解けそうな今、もう少しゆっくりしたら、しっかりと地に足をつけてまた事業の創出に取り組んでいきたいと思う。今まで、「誰かが創出したもの」を享受しまくってきた経験を、現実に当て嵌めて。

まとめ

綺麗事なのかもしれないけど、もっと社会的に意義のある仕事に取り組んでいきたい。それは自分や周りの幸せに直結するはず。

まあこんな内省が許されるのは、どう考えても20代のうちだ。先走りすぎたが故に、大きな回り道をしてしまったのが僕なんだろう。

良くも悪くも、心境の変化=即自分の状況の変化に繋がるのが起業家。
こうやって言葉にも出している以上、近いうち何かしらの形で転機が訪れるだろう。それを上手く乗りこなし、長引きすぎた思春期に終わりを告げたいと思う。

纏りのない長文をここまで読んでくれてありがとうございました。どんな方が読んでくれたのか、よかったらいいねを押していってください。

2019.11.15 15年目の初日に
※2022.11.15 一部文章を修正しました。このブログから3年、また2ページくらい人生に物語が増えました。そのうち書きます。

初めてnote書きました!2018,06,24 よかったら応援お願いします!