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私の推し『蒼天航路』勝手に解説③ 三国志のミステリー なぜ曹操は諸葛亮に目もくれなかった?

 人材の鬼と言われる曹操。こいつは才能がある!と思えば、地の果てまで追いかけていき、登用を迫る。そして、自分のところへ連れてきて、才能をいかんなく発揮させる。

 その才能を出し惜しみするなど意味がわからない・・・というほど、才能のある者に対する執着を燃やす。

 しかし、ここで意外な事実がある。私たちが天才だ!と思っている諸葛亮孔明だが、なんと彼は曹操からの招聘を全く受けていないのである。それどころか、認識さえもされていないようなのだ。(龐統もそうであるが、彼は劉章攻めの時に命を落としてしまうし、あまり書かれていない。)

 これは、さすがの曹操も諸葛亮ほどの人間となると、何か認めたくない!という気持ちになってしまったのか、あるいは本当に大したことないと思っていたのか?

 蒼天航路は、このミステリーの疑問をこのように説いている。

 諸葛亮の師匠であり、友である二人の童子は、お前は曹操にとって「虚」なのだと言う。私もよく使う言葉だが、ここでいう「虚」とはどういう意味だろうか。

 「諸葛亮」は、「臥竜」と評せられた。これほどに評価が高い人間が、曹操の目に留まらないはずはないと、誰もが思うだろう。

 しかし、曹操は諸葛亮の話題が出た時、なぜか宙をぼーっと見つめて話を聞いていないのである。しかも、その後その話題について、『あれ?あの後話したことって何だっけ?』と自分の記憶が失われたことを訝しがるも、確認すらしていない。

 これは設定として無理があるのではないか?と思うことがある。だが、自分も人の話をなぜか聞いていない時がある。ぼーっとして、何故か相手の話が耳に入ってこない。だから、曹操のこの時の気持ちはよくわかる。

  一つ目は、曹操が興味を持つ人間は、実際に行動をしたうえで名声を獲得した存在だ。そのため、曹操にとって諸葛亮とは、「お前、良い噂たってるけど、実際何もやってないじゃん・・・。」と言えるような存在なのだ。いい噂しかたっておらず、この世界(中国)に一体何をしているっていうんだ?ということなんですね。実績がない人間は評価しないのが曹操です。

 私たちも、学校で授業を聞いていて、ぼーっとしていて全く耳に入らないことがある・・・。それは、あなたの頭が悪いのではなく、ただ宙に浮いているだけの理論というのに興味がないだけなのかもしれません。自分達が実際にこの世界で生きて、動いて、関わって、つまり体験したほうが、その知識は身に付きやすいという経験をしたことはありませんか?そして、実際にそうなのです。評判ばかりが先を言っている存在には、曹操は興味を示さないのです。

 とはいっても、一度はどういう人間かを見定めようとするのが曹操の性分。あの人材マニアの曹操が、なぜ諸葛亮には目もくれないのか。やっぱりこれは大きなミステリーなのです。

 確かに、劉備に合流した当初、まだ諸葛亮は駆け出しと言えば駆け出しで、何もしていない。
 
 「曹操、話の最中でなぜかぼーっとしていた説。」が蒼天航路では取られています。しかも、その後、何の話だったか忘れてしまっているのです。曹操からすれば、まずありえない話です。

 この説を補強する言葉が、「諸葛亮は曹操にとって『虚』であった。」ということです。

 赤壁の戦いに敗れた曹操は、とある小さな農村で療養します。諸葛亮もそこを訪れ、曹操に語りかけますが、曹操は全く諸葛亮に興味を示しません。

 諸葛亮の友であり、師であり、弟子でもある二人の童子は、諸葛亮に対してこういいます。曹操にとって、お前は存在しないも同じことだと。

 例えば、私はノートでは純一思想家って名乗っていました。しかし、私が現実に天下国家のことを論じたり、いきなり思想の事なんて話をしても、全く人は相手にしません。ひどい場合は頭がぼーっとし始め、眠たくなり、そのまま眠ってしまう人もいるのかもしれません。

 ノートでも、こうした話に興味を抱く人は、多いとは思えません。なんとなく、ノートをやっていてそう思うのです。こういう話は受けがいいと感じたことは、今までありません。多くの人にとって、それらは無駄な話なのです。彼らにとって、私は「虚」なのです。

 これはノートの人たち全員に言えることです。とても魅力的で人気のあるノーターであっても、ある人からすると、全くもって関心を持たない存在です。私がアイドルとかに興味を持たないのと同じですね。

 しかし、あまりにも露骨にそんな態度取られると、話し方が悪いんだろうか・・・と自問自答します。人によってはうだうだと煩いやつ、みたいな印象を持たれます。確かに、私がテーマとしているノートでのお話は、ちょっとやそっとでは語れません。長い場合は1時間も2時間もかかります。なぜそうした話をし始めるのか。その話を聞いて自分に一体何の得があるのかわかりませんから、興味がなければ相手にしない・・・という態度を取るのが普通です。人が自分に興味のない話をし始めると、私自身も、てんで相手にしてこなかったのです。

 このように、「実生活に役に立ちそうもない、あるいは、自分の興味が惹かれるものではない、と見なされた物事に対しては、人は無関心なのです。

 それを、蒼天航路では曹操と諸葛亮の関係として語っています。
これを語るわたしでさえ、自分の興味の持てない学問分野があり、その分野については1も知りません。その学問分野は、私にとって存在しないも同然なのです。学者もそうです。彼らは自分の興味のないことはまったくわかりませんし、知りません。そんなもんです。

 曹操のこの言葉。「人倫や篤行に依ってのみ人心を獲得しているような奴は全て罷免しろ。」
 これは、暗に「劉備」のことを含めて言っているようにも思えるんですよね。こんな思考の持ち主ですから、諸葛亮を見ないのも当然と言えば当然。そして、諸葛亮が劉備のところへ行ったのも、ある種必然だったのかもしれません。

 私も自分の知識や考えをノートに記しています。もし仮に私の発言によって皆がすごいな~とか思ってくれたとしても、この現実の世界を、一体どれほど変える事が出来るでしょうか?みんなノートを閉じたらケロリと忘れ、何も読んでいなかったかの如く、再び元々の自分に戻るだけなのではないでしょうか。

 そんな私はきっと曹操にとっては「虚」であり、すぐに罷免される存在である、と言えるでしょう。

 実際にこの世界と関わり、実際にこの世界をよりよくできる人物。そういう者にしか曹操は興味を持ちません。そして、諸葛亮孔明はというと、ただの噂の人物にしか過ぎないわけです。

 この事実が、諸葛亮孔明を非常に怒らせます。今まで大きな自負心を持っていた諸葛亮は、「私は曹操に汚された・・・。」と感じます。そして、曹操に自分の存在を激しく認めさせようとするのです。

 私たちからすれば、諸葛亮孔明というのは清廉潔癖な君子のイメージ。しかし、この「蒼天航路」が描く諸葛亮孔明は、とてつもなく人臭い、どろどろの人臭さを持っています。とはいえ浮世離れした様子もありますが。

 当時の曹操にとって、孔明はまだ何もしていない、噂だけの人間。

 徐庶が曹操に捕まったあと、諸葛亮のことが話題になります。そして、徐庶は諸葛亮のことを曹操陣営に伝えます。しかしその後、徐庶は諸葛亮に対してとてつもない怒りを抱きます。頭が破裂するのではないかと言うくらいの怒りです。

 どうして徐庶がここまで怒ったのかというと、諸葛亮には一つの狙いがありました。自分の名前を世の中に知らしめるために、曹操を利用しようと考えたのです。曹操は人材の鬼。とすれば、曹操は必ず自分を求めるはずだと。

 曹操に求められ求められ、しかしそれでもなお、劉備の下へ行く。こうすることによって、諸葛亮の名前はとてつもなく大きく知れ渡るようになるはずなのです。そういう計算がありました。そのあさましい工作に気づいた徐庶は、滅茶苦茶憤慨したわけです。徐庶がさりげなく自分のことを曹操に伝えるということも、計算されていました。

 しかし、曹操に求められていない・・・というのは、諸葛亮にとって大きな屈辱で、これがなければ自分の中では完全ではないのです。

 その後は、諸葛亮もまるで曹操のような外観になるまで意識を強めますし、岩の隙間から飛び出して号令をかけようという(気持ち)を発するほど、曹操を強く意識します。曹操への強いあこがれと、曹操に求められなかったという憤りが、彼のメンタルを形成しています。

 諸葛亮が蜀へ渡り、最後まで魏との戦いを続けたのは、自分を求めなかったことを何としても後悔させてやりたかったのではないか。国とか関係ない。自分の存在を曹操に認めさせたい!その人間臭い反骨心が根強く存在していたからかもしれません。

 私たちは、諸葛亮が蜀へ行ったのは、三顧の礼を示したとか、劉備への忠誠心だ、とか、義侠心だとか、そう思っていますが、諸葛亮には、曹操に対するとてつもなく人臭い、個人的な執着が根っこにあったのだ・・・ということが、この漫画では説かれているのです。

  

 

 

 

 


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