素人のための法学入門 #10

どうも、第10回目です。

前回の話はこちら


ルールは線引きにしか過ぎない
 
先生 「ルールを守らなければ罰を与えられる。ルールを守らないと嫌な目にあう。だからみんなルールを守ろうとする。また、そのルールにさしたる不満がなければ、それに従う。決して、そのルールが正しいからルールになっているわけではないのです。ルールは、私たちの自然権を制約するためにもうけられた一つの線引きにしかすぎないのです。」
 
学生A 「え・・・。それってどういうことですか?」
 
先生 「例えば、サッカーをご覧になったことがありますよね?サッカーは長方形のグラウンドで、両端にゴールがあり、その前にペナルティーエリアという枠が設けられています。」
 
学生A 「そうですね。」
 
先生 「もちろん、このエリアのサイズもサッカーのルールで決まっているのですが、どうしてこのサイズじゃないとだめなのでしょうか?もう1cmずつ大きかったら駄目なのでしょうか?」
 
学生A 「もう1cmずつくらいならいいのかもしれません。」
 
先生 「そうですね。1cm、あるいは2cm、大きくても小さくてもいいかもしれません。どうしてそのサイズでなければならないのか・・・ということは、実は誰にも分らないと思います。それと同じように、ルールというのもペナルティーエリアと同じように大体の線引きがなされているにしか過ぎないのです。」
 
学生B 「野球でいう1塁や2塁の間隔とか、ピッチャーマウンドとホームベースの距離とかもですね。」
 
先生 「はい。実際、スポーツのルールも時代と共に変わってきました。こうしたものはまた変更される可能性があります。申告敬遠、延長は12回まで、審判へのリクエストは、最近できたルールです。」
 
学生A 「で、それと法律とどう関係があるんでしょうか?」
 
学生B 「話聞いてるのかよ。ルールが自然権を抑えこんでいても、その自然権を抑えるルール自体、スポーツのルールと同じで、はっきりとした正解がないってことだろ。」
 
学生A 「・・・あ~。そうか。」
 
先生 「そうですね。例えば、殺人は有期懲役として下限が5年に定められていますが、これはひと昔前までは3年でした。」
 
学生A 「へぇ・・・そうなんだ。」
 
先生 「3年から5年になった理由は、より刑法の抑止効果を高めるためです。そういう意味では理由があるのです。だからといって、本当に5年であることが確実な正解というわけではありません。しかし、何も定めないわけにはいかないのです。こういうものは、もちろん慎重に議論が行われた上で決められるのですが、だからといって5年で絶対間違いはないということはないのです。5年と1か月じゃダメなのか?と聞かれたら、何も答えられないか、中途半端じゃないか?みたいな答えになるのではないでしょうか。」
 
学生A 「なるほど、だからルールというのは、とりあえずの線引きなんですね。」
 

先生 「そうです。数学のように一つに答えが明確に定まるということはありません。匙加減で決まるということが多い世界なのです。これが意味するところはルールを定めたにもかかわらず、現実のあるべき状態と大きく事情がずれることも起きうるということです。先ほどのサッカーの例でいえば、ペナルティエリアが中央エリア付近まであるとすればどうでしょう?これもルールと言えばルールなので、サッカー選手たちは従わなければなりません。しかし、ほとんどのファウルはペナルティキックになってしまい、ゲームのあり方が大きく影響を受けると思います。」
 
学生B 「確かに、それだとサッカーの技術がほとんどみられることなく、ペナルティーキックのけり合いになりそうですね。結局関係者たちから不満が起きて、ルールの見直しが求められそう。」
 
先生 「ペナルティーエリアが広いので、実質PK戦になるかもしれませんね。」
 
学生B 「ペナルティーキックの位置まで変わったら、そもそもゴールの枠に入らない気がする。PK戦なんて決着がつかないだろうな~。」

この章のまとめ
① ルールは正しいからルールになっているのではなく、一定の線引きにしかすぎない。したがって、ルールは私たちにとって望ましい状態からズレることがある。

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