よくわかる法律入門 #2 義務とは何か 自由と責任についても合わせて学ぶよ
義務とは何か
先生「では、次は義務についてお話をしましょうか。」
学生A「はい・・・。これもわかりません。」
学生B「俺も・・・。」
先生「おっと。先回りされましたね。では、義務も漢字を見てみましょうか。義は、「羊」に「我」と書きますね。「羊」とは、中国では「縁起のいいもの」を意味しています。そして、「我」は自分のことですね。」
学生A「なるほど・・・。」
先生「義務というのは、やらなければならないこと・・・といったイメージでとらえている方が多いと思います。正確に言えばちょっと違うのかなと思いますね。自分の上にいいことがある。つまり、自分を押さえつけてでもやらなければならない、何らかの良いことを意味していると考えてください。よく、歴史の漫画とか小説などで、「大義」という言葉を使うことがあります。これは、自分を抑えてでも、世の中のためになる良いこと、を意味しているのです。「務」についてはいいですね。これは、矛に、「攵」=「攴」そして、力です。つまり、相手に矛で打ちかかる、困難に立ち向かうと言った意味になります。自分を抑えて、いいことをこの世界にもたらすために、困難に立ち向かう、と言った意味です。これが義務ですね。」
学生A「なるほど。」
先生「殿様が、「大義であった」と部下を褒めるのは、自分のことを抑え、より良い結果を我々全体にもたらした。と言った程度の意味でしょうね。殿様は国を運営する人ですから、お前の滅私奉公でやったことは国益(国全体のため)になった、と言った感じになりますかね。」
学生B「なるほど・・・。」
先生「こうなると、義務というのは人間にとっては、できるだけしたくないものですよね。ですけど、権利がある以上、義務は絶対に存在するのです。」
学生B「権利がある以上、義務は絶対に存在する?」
先生「はい。」
先生「前回の本では、自然権を学びながら、憲法の基本的人権の基礎や、国家の成り立ち、死刑制度などを見ていきましたね。自然権は、人間が生まれながらにして有する権利だと言いました。とすれば、自然権も権利なわけなのですが、ただ待っていれば充足されるというわけではない。ちゃんと、それ相応の行動をとらなければ充足されませんよね?」
学生A「ええ。でも、自然権って何でもやっていい権利ですよね。やらなければならない、というよりは、したいことをしてるだけで、義務なんてないようにも思うんですが・・・。義務って、誰かのために何かをする、っていうイメージなんですよ。」
先生「はい。確かにそういうイメージなのですが、実は違うんです。よく行動を思い浮かべてみてください。例えば、腹が減ったら木の実をとって食べる、眠りたければ眠る、とかね。つまり、自然権は、その権利を満たすために、自ら動かなければならない義務を負う、と考える事が出来ます。」
学生A「自然権の場合は、権利と義務が自分にある、ということですか。」
先生「はい。そうですね。権利を満たしたいのであれば、自分がその権利を満たすことができるように動かなければならない。そして当然、それを満たしたいがために生じるものは、全て自分に帰属させなければなりません。木の実を採ろうとすると、それだけの労力を使います。その途中で、毛虫に噛まれてもそれはその人が受けなければならないですし、木から落ちて尻を打ち付けても、やっぱりそれはその人に帰属するものですね。つまり、自分自身の体力の減耗とか、自分自身が危険にさらされることとか、これをリスクと言います。権利があるところに義務があり、義務の履行にはリスクがつきもの。これが原則です。」
学生B「でも、それは仕方がないだけなんじゃないですか?」
先生「そうですね。以前、「自然権の制約」のお話であったように、仕方がない場合にだけ、自然権は制約を受けるということでした。(素人のための法学入門#9)それと同じように、自然権を満たすためには、自然の掟を受け入れなければならないのです。自分の気持ちや重力に逆らって、それを達成しなければいけませんよね。それを果たすために必要な手段を自分で選び、そして実行に移し、その結果を受け止める。自然権を充足するために必要な行動は、必然的に自分が行わなければならない義務となるのです。そして、それに伴って必要な労力やリスクを自分が負担することを、責任と言います。
ここで、3つの言葉が一か所に集約されることに気が付かれるでしょう。権利があり、そしてそれに対応する義務と、その義務を行うために伴う責任があること。この3つが同時に個人に存在すること。これを「自由」といいます。つまり、全てが自分に由る状態、ということですね。」
学生A「分かる気がします。」
先生「はい。繰り返しますが、自然の権利、義務、責任が一体となっている状態。つまり、権利を満たすためには、そのための義務を自分が履行し、そして責任を負う。(義務を果たすことを、履行というようです。法律の条文では、この言葉が使われています。)これが完全に認められている状態を、「自由」と言うのです。人は自由を求めるものですね。多くの人はやりたいほうだやりたい、とか、誰からの干渉も受けたくない、という意味で使う人がいます。ですが、私個人の見解でいえば、自由の意味とは、本来はこの3つが自然人1人に帰属することなのだ、と考えています。
これを勝手に名付ければ、自由の三位一体説ですね。
自分の自然権の内容を充足したいなら、自分で動き、そして、その結果を自分が受け止めるのです。
待ってりゃ周りが何でもやってくれる、というのは自由ではありません。これは甘えと言いますね。甘えと言うのは、自分自身が満たしたい自然権の内容を満たすために果たすべき自然義務と、引き受けなければならない自然責任を、他者に代行し、背負ってもらうことを言います。甘えというのは法律用語でも何でもないですけどね・・・。どちらかというと心理学、精神分析学用語?」
学生A「ええ。確かに。」
学生B「それでも、義務とか責任って、1人が登場人物っていうよりは、他の誰かとの間で言われることが多い気がするのですが・・・。」
先生「その通りですね。私たちが権利や義務、なんていう話を目撃するのは、テレビのドラマやら、実際にいざこざを起こした人達の間ですよね。法律は、何か行動をした後にその頭角を現してくるようなところがありますし、法律に違反して後から文句を言ってくるのは、結局は人でしたね。ということは、何かが起きた時は、そこに複数の人間が関わっているということが、もう当然の流れのようになってしまっているのですよ。
ただ、自然人の自然権、自然義務、自然責任が原則であり、最も重要であることは知っておいてくださいね。これが基本なのです。
普通、法律の世界が想定している権利義務関係というのは、ある(自然)人とある(自然)人の間で発生します。一方が他方に権利を持ち、もう一方がそれを実現する義務を負う、という形になることが良く起きます。そして、その権利義務関係がうまく成り立たなくなった時、責任をどちらが負うのか、という話になっていくのです。」
学生A「へぇ・・・そうなんですね。えっ!じゃあ、その場合は、自然権と自然義務、自然責任が、別々の人に分担されているってことですか!?」
先生「その通りです。義務と責任は、同じ人にある場合が多いですけどね。とりあえず、今はそう考えておいてください。」
この章のまとめ
自然権はなんでもやっていい権利だが、ただ待っていれば満たされるものではない。だから、自分が動いてその権利を充足させる必要がある。これを「義務」という。つまり、「権利の充足に必要なことをやらなければならない」のである。特に自然権を満たすために必要な義務を、自然義務と言おう。また、その権利を満たそうとする過程で発生しうる何らかの負担(筋肉の疲労や、毛虫に噛まれるリスク、木から落ちるリスクなど)、何らかの問題が起きたとする。その責めを負うのは、その自然権の行使者である。これを責任(自然責任)と言う。この、自然権利、自然義務、自然責任が一体となってその人に帰属していることを、「自由」と言う。
逆に、自然権の充足に必要な自然義務、自然責任を、他者に代行させ、負わせながらも、自分がその結果を受け取ることを、甘えという。
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