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経済なきまちづくりは寝言である

二宮金次郎を知っていますか。全国各地の小学校で、薪を背負いながら本を読む姿でお馴染みです。二宮金次郎=二宮尊徳は、江戸時代後期の町づくりの達人です。「経済」という言葉のもととなった「救世済民」=「世の中を救い、人々を苦しみから助けること」を目指して、報徳思想を説き広めました。

報徳思想とは、簡単にいえば、「経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元される」とうものです。冒頭でご紹介した「笑顔と経済のまちづくり」に通じる思想でもあります。

だからこそ二宮尊徳は、次のような言葉を残しています。「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」。

二宮尊徳は、経済と道徳の融和を訴え続けていたのです。その言葉をまちづくりの言葉としてもじってみると、こういえるのではないでしょうか。

「経済なきまちづくりは寝言である」

道徳とは、倫理だと考えてみると、倫理がない経済は、暴走をはじめ、それは結果的に心をすり減らせていくでしょう。一方で、経済性だけ追い求めれば社会から笑顔が消えていきます。

例えば、「経済発展を捨てて心の豊かさを求める」とするとどうでしょうか。何かを生み出すための仕事はなくなり、その結果今日食べるものがなくなり、心がすり減り、笑顔がなくなるのではないでしょうか。

これが「寝言」です。

世の中には、寝言が多すぎます。きれいごとと言い換えてもいいかもしれません。「経済発展を捨てて、心の豊かさを目指す」という言葉は、美しいようでいて、何も生み出さないと言っていることと同義なのです。

まちづくりには、「経済」が不可欠です。経済があるからこそ、持続可能な地域づくりをおこなうことができるのです。もちろん、まちづくりを、経済だけで考えてもいけません。しかし、経済が抜け落ちても全く意味がありません。

想いと経済の両輪でまちづくりをおこなっていくことが大事です。二宮尊徳の言葉は、そんな基本を思い出させてくれます。


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