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小説「リーマン救世主の憂鬱」 第20話

 久々に、そこまで憂鬱ではない出社だった。前の日に明日香に会ったおかげだ。
色々あったが、あんなスターに会えるなんて俺の人生では考えられないことだ。
 

 写真を撮ってもらわなかったのを今更後悔している。できれば誰かに言いたい。でも言えない。なぜ会えたかと聞かれたら、適当な嘘が思いつかない。
 

 彼女の曲を聴きながらオフィスに入った。なるべく長く聞いていたくてデスクに着いてからもゆっくりとヘッドフォンを外した。
 気分良くパソコンの電源を入れてメールをチェックする。この時点でいつもなら帰りたくて仕方がないのだが、テンションが下がらない。
 週末にあんな大物アーテイストを俺は護る。そう考えると、少し自分が特別なような気がした。

 すこぶる快調に、気分よくメールに返信を返す。しかし、しばらくして異変に気づいた。オフィスを見渡すと、誰もいないのだ。先週まであれだけやる気を出して早出と残業をしていた同僚の姿がない。
 

 俺はすっかり忘れていた。今の頭の中とは正反対の先週末の現実感しかない出来事を。
 そうだ。俺達は何の力もない口先だけの籠の中の鳥。サラリーマンとして何も力を持っていない未熟者。
 急に暗澹とした気分になった。週末、明日香を助けたからって何だと言うんだ。結局はまたその先も俺はこの生活を続けなければならない。
 いやでも自分はましかと思い直す。会社に来たくないほどの落胆を感じていないのだから。
 何も期待を持っていなかったから裏切られたときの落胆も少ない。期待していた同僚達は・・・今頃満員電車に揺られながら転職サイトの登録をしているか、憂鬱に苛まれている事だろう。

 静かなオフィスを見渡していると、勢いよくオフィスの扉が開き、浅黒い新社長が現れた。新社長は社内を見渡して俺を見つけると近づいて来て言った。

「やあ加藤君。君は来ると思っていたよ。他の奴らは来てないな。予想通り」
 なぜ俺が来るのが予想通りなのか。一番何も話していないと言うのに。
「会社はさ、役職もないのにもの言う人間はいらないんだよ。若い社員が活き活きと働く会社。やり甲斐。キャリアパス。世の中のニュースはいい言葉を使って煽っているけど、そんなことが実現できるのは大企業だけ。この会社は中小企業だからそんな余裕はない。そうなると、どんな人間が必要だと思う?」
 決まっている。ロボットだ。しかし俺の中の何かが、これ以上彼に気に入られる事を拒んで、わからないふりをした。
「すいません。わからないです」
「何も言わずに与えられた仕事を熟す人間だよ。そう言う人間が多くいれば、人間関係も円滑に全てが滑らかに進む。言ってることわかる?」
 

 思った通り、ぐうの音も出ない事実。しかし俺は、その通りです、とは言えなかった。
 事実として、確かに間違いはない。ただそれでも何かを発言したり、主張を言ってぶつかることが悪い事だとは心からは思うことができなかった。しかし、とりあえず同意はした。


「ええ」
「だろ、あいつらはまだ子供なんだよ。でも君は、先週何も言わなかった。俺は見ていたよ。君だけ会社の悪口も何も口にしなかったのを。それでいいんだ。その姿勢はポジテイブでいいと思った。だから君には期待しているから」
 

 新社長が俺の肩を叩いたと同時に、谷山がオフィスに入って来た。俺の席に新社長がいるのに気づくと、「おはようございます」と小さな声で言ってそそくさと自分のデスクに向かった。
 そして次々と同僚が出社して来た。社長の存在に気づくと誰もが目を伏せて早々にパソコンを睨むフリをした。

 この社内の状態は本当に正しいのだろうか。上司に媚びへつらいながら俺たちはずっと生きていかなくてはいけないのだろうか。いやダメだ。そんな疑問は俺にはいらない。
 土日祝休みで早く帰れて、悪魔祓いができればいい。この生活を維持させる事が今の俺の全てだ。
 

 朝の良い気分は完全に消え去った。同僚が出揃った社内には活気がない。俺だって何にも期待していなかったとはいえ、こんな雰囲気の会社にはいたくないとは思う。
 モチベーションを失った若者がたどる先は、新しい場所に行くこと。つまり転職だ。おそらく今日この会社のパソコンの検索ワード第一位は「転職サイト」だろう。

 それにしても会社というのは不思議な組織だ。やる気や理想がある人間は淘汰されて、何も言わず静かにしている人間が評価される。簡単に言えば出る杭は打たれると言えるだろうが、不条理極まりない。
 よく、成功した起業家のビジネス書が本屋に置いてある。俺も一応は社会人だから、立ち読みくらいはしたことがある。
 しかしそのほとんどが自分がどうやって成功したかの自慢話で、サラリーマンの極意みたいなものを書いてある。でも作者は結局会社を辞めたコンサルタントだったりする。
 つまり、組織の中で成功するなんてことはあり得ないと言っているようなものなのだ。なんだよビジネス書って。そんなもの売るなよ・・・。
 

 9時直前に、山園が出社して来た。なんとなくいつもより満足そうな表情でオフィスを横切っていく。おそらく新社長から部長陣には金曜日の話が伝わっているのだろう。
 この会社はこれからああ言う人間を中心に回って行く。そして俺もその歯車の一部だ。

 ああ。それでいいのか。どこかに残っている正義感が俺に言う。でも俺にも生活がある。そう。生活を維持したいと言う欲求は理想や正義感を押し殺す。
 せめてもと、俺は谷山にメールを送った。

「今日、飲み行くか」
 すると、数秒で返信があった。
「ああ。行こう。俺、辞めるよ会社」
 何かしてやりたと思う。だけど、俺には何もできない。この無力感をよしとするかしないかがサラリーマンとして生きていけるかどうかの境界線なのだ。
 

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。