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小説「リーマン救世主の憂鬱」 第22話

 人生の憤りも寂しさも不安も、過ぎ行く毎日の中で溶けるような溶けないような。そして、俺はフェスの楽屋でスターの明日香と二人きりでいる。
 サラリーマンの平日。週末は悪魔退治。目の前にいる国民的歌手。いったいこの35歳の男の人生はどうなっているのか。そしてどこに向かっているのか。

 明日香は暗い表情で鏡の前に座っていた。
 自分の歌声が奪われる。それは命を助けられたとしても決まっている。悪魔を倒せばその悪魔がもたらしたものは全て消えてなくなる。その後の人生が一番見えないのは彼女なのだ。

 昨日の深夜12時に高級マンションの広い部屋に入ると、明日香はソファで震えていた。俺はただ「大丈夫ですよ」と何の色気もない言葉を吐いた。すると彼女は精一杯の笑顔を作り「ありがとうござます」と返し、また震えだした。
 一晩、彼女の部屋のリビングで寝ずの番をしたが会話はなかった。こういう時に女性にかける言葉のボキャブラリーの持ち合わせを俺は持っていなかった。千里由美に聞こうかと一瞬考えたが、またバカにされそうなのでやめた。

 会場にはシンの会社の車で向かった。その間も無言。まあ国民的歌手が悪魔が見えるとか言っているわけのわからない男と話すことなどないだろう。
 フェスには明日香以外にも様々なアーテイストが出演することが決まっていた。トリの彼女の出番までは3時間。その間に他のアーテイストを見たかったがいつ悪魔が現れるかわからず、そうもいかなかった。
 すると急にあまり美味しくない依頼だと思い始めてしまった。国民的歌手の近くにいれるのは貴重な経験だが、間近で他のアーテイストを見るチャンスがあると言うのにできないなんて。

 すると凡人のわがままを見透かしていたのか、鏡の前にいた明日香が唐突に呟いた。

「私の歌がこの世からなくなっても誰も困らない」

 鏡に映る自分に彼女は言った。俺はとっさの事でなんて言っていいかわからずに黙ったままでいた。するとまた彼女が言った。 

「だったらこんな世界なくなればいいのに。私がいない世界で誰かが歌うなんて考えられない」
 

 その表情は憎悪に満ちていた。昨日泣いていた女性とはまるで別人。俺は言葉をかけなくてはと思い、必死に知恵を絞って言った。

 「君の歌は残り続けるよ」
 

 しかし、火に油だったようで鏡越しに睨まれてしまった。俺は弱々しい声で続けた。

「CDにもダウンロードサイトにもあるし、何より記憶に残る歌声だと思うけど」
 すると彼女が声を荒げた。
「はあ?あなたみたいな凡人にはわからないでしょう?この世界は競争社会なのよ。私がいなくなればすぐに新しい歌手が出てくる。もしかしたら同じように悪魔と契約してるかもね。でも、そんな歌手でもテレビに出て、プロモーションして、それなりの歌詞とメロデイーがあれば売れているような雰囲気になる。凡人なんて何も考えてないから、そんな業界の産物の歌でも影響されて、すぐに私のことなんて忘れるわ。そんな光景を見るくらいなら、私は死にたい。死ねないなら、この世界がなくなればいい」

 彼女の歌を好きな一人としては、急な変わりようにショックだったがそれよりもこの議論に乗るべきか迷った。
 悪魔の力が介在しているとは言え、俺達凡人はそんなにバカじゃない。本当にいいものとそうではないものの区別はつく。事務所やテレビ局の意向でゴリ押しされたタレントなんて結局は消えてしまうじゃないか。
 でもまた強く怒鳴ってくるかも・・・とりあえず言葉を選んで俺は言った。

「いや、一応聞く耳は俺たちも持っていると思うけど。だって、売れないものはどんなに事務所とかが押しても売れないでしょ今の時代。君には才能があるから悪魔も現れたんだと思うよ」
「悪魔の力がなかったら私なんて・・・みんな何も気づかずに本当にバカよ」

 バカな俺達は、今週も君の歌を聞いて感傷に浸っていたのだ。そう考えると、少しムカつきを覚えた。

「君が今の状況を望んだわけでしょ?しかも評価してくれた人達のおかげで今ここにいる。特別な存在になった。なのにそんな事は言うべきではないよ」
「あなたにはわからないわよ。夢に囚われてうまくいかなくて、それでもあきらめきれなくて。結局夢しかなくて。でもコネも何もない。だからと言って他にやれることなんてない。そんな昔の自分に戻るかもしれないのよ。何もないただの人に」
「わからないよ。でもさ、やれることがないなんて事はないでしょ。俺はそりゃ夢はないけど、会社員なんてやりたくないよ。でも働かないと生きていけないから、嫌でも毎日会社に行ってる。まあサボることもあるけど。でもそうやってみんなどうにかやってるんだから、君も普通に働きながら歌を歌えばいいんだよ」

 シンと同じ正論を言っている自分に気づいた。でも、今の本心だった。
 毎日会社に言って俺が得られたものなんてない。でもとりあえず生きているし、飲みに行く友達とか同僚とか、こうして悪魔祓いと言う素晴らしい趣味を得て、国民的歌手となぜか口論しているから悪くないような気がする。
 

 人生なんて大方の人間がそんなものだ。夢を叶えられる人間なんてそうはいない。それでもなんとか自分を納得させて、子供とか家族とか代替品できることで誤魔化して生きている。
 たまに現実に飲み込まれそうになるし、俺なんて毎日平日の朝は嫌な気分だ。だけど人口のほとんはそんな朝を超えて毎日過ごしているのだ。

 俺には明日香がただの駄々っ子にしか見えなかった。夢すらなく生きる苦労も知らないで、世界がなくなればいいなんて幼稚すぎる。
 ただ、夢を叶えたいという欲望を持つ人間はそんな人生じゃ満足できないのだろう。現に、鏡に映る明日香は鬼の形相になっている。俺は女性との口論には向いていないようだ。

 「あんたになんかわかるわけない。わかるわけないのよ」

 そして、彼女は鏡に映る俺に向かって手元にあったドライヤーを投げつけた。鏡にはヒビが入り、彼女は大泣きを始めた。その音でシンが楽屋に入ってきた。

「おいおい。どうした。痴話喧嘩か?」
 相変わらず空気の読めないやつだ。
「出てって」
 明日香に言われると、俺とシンは部屋を出た。悪魔が気になったが、ドアの前にいれば雰囲気は感じ取れる。

「何があった?」
 俺は事の成り行きを説明した。するとシンはバカバカしいという風情で笑った。

「やっぱりとんだ勘違い女だな。お前の言ってることの方が正しいよ。夢を叶えられない辛さなんてみんな持ってるんだよ。だからって全員が悪魔と契約したら、この世は終わりだ。なのに、自分の夢が潰えるからって、世界がなくなればいいなんて勘違いにもほどがある。いい思いをしたくせにな。そういう人間こそ死ねばいいと思う。神父には言えないけどな」
「まあ、今はナーバスだから仕方ないか。何しろ命がかかってる。その後の生活も」
「彼女は歌えなくなっても食っていけるよ」
「え?」
「国民的歌手が引退となれば今までの音源がまた売れる。印税もずっと入ってくる。彼女にも事務所にもな。金の問題はないよ。それでも取り乱すってことは、相当自尊心が強いんだよ。でもまあ、そのくらいの人間じゃないと悪魔と契約なんかしない」
「金じゃ満足しないってことか。俺なんていつも宝くじ当たんないかなって考えてるよ」
「それくらいでいいんだよ。デカすぎる野心は周りを巻き込んで、本当に欲しかったものをわからなくする」
「でも歌が残るのも考えものじゃないか?歌えなくなるのに」
 すると、シンが何かに気づき言葉を止めた。
「どうした?」
「いや、彼女の音源は残るのか・・・まずいな」
「何が?」
「生留。神父に連絡してくれ」
「なんで?」
「悪魔は彼女だけを狙っているわけではないかもしれない。俺は会場に向かう。頼むぞ」
 シンが慌てて走り去って行った。俺はすぐに神父の携帯に電話をかけた。

「すいませんお休みの時に。シンが応援を要請しろと。理由はわかりませんが」
「わかりました」

 それから3時間、彼女は楽屋から出て来なかった。しかし出てきた時には綺麗な衣装に身を包み、ケロッとした顔をしていた。

「さっきはすみませんでした。取り乱しました。私はファンの方々のために歌います」

 メンヘラもいいところだ。明日香は多くのスタッフに囲まれてステージに向かった。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。