小説「中目黒の街角で」 第40話
「年末年始はどうするの?」
関係を続けて一年。僕らはまた年末を迎えた。今年はきっと一緒に過ごせるだろうと、知花の後れ毛を撫でて聞くと彼女は申し訳なさそうに言った。
「うん・・・ごめん。また夫の実家に行くことになったの」
「まだ、旦那さんには話はしてないの?」
「あなたのことを?」
「僕のことじゃなくて、別れようと思っていることを」
「それは・・・うん」
知花は僕の眼を見ずに、明け方の空を見つめていた。十年前と同じように何を考えているかわからない瞳で。
僕はこの頃から、その視線の先に自分が立っていないことに気づいていた。だけど、十年前と同じように何をすれば良いのかわからなくてただ無言で彼女を抱く事しかできなかった。
夫の実家から帰って来ると知花はすぐに店を開店させた。僕は前の年と同じようにすぐに店に向かった。
しかし繁盛店になった店には去年と違って多くの客がいた。いつものカウンター席も空いていなくて僕はカウンターから離れた席に座った。
夫の実家でのことと、行っている間にまったく連絡をくれなかった理由を聞きたかった。しかし客は途切れることなく現れて話を聞く間も無く時間は過ぎていった。
待っている間、知花は僕を気にする素振りを見せなかった。まるで僕がそこにいなようにして。その理由を聞くまでは何時まででも店にいるつもりだった。
ただ、新年にたった一人で飲んでいる客を他の客が気にしないわけもない。ましてやどうしても僕は店内で働く知花を目で追ってしまっていた。
するとカウンターの客と話をしていた僕に、知花が話をふってきた。
「ねえ、どう思う?」
少し前の僕なら会話に入り話を広げることもできただろう。だが僕はこの時、それができなかった。わからない知花の心に苛立っていて、客を彼女と僕の間を邪魔する相手のように感じてしまっていた。
「さあ、わからないな」
僕はそっけなく答えてグラスを空けた。店内の雰囲気が悪くなったことはわかっていたし、自分でもなぜそんな馬鹿げた行動をとってしまったのだろうかと後悔をした。だけどこの時の僕は自分を抑えることができなかった。
しばらくするとまた、カウンターはそれぞれに話し始め店のざわつきが戻った。僕は孤独を感じながらただカウンターに座っていることしかできなかった。
「ねえ、後で連絡するから」
見かねた知花が合間をぬって僕に言った。僕自身も気まずくてその場を去る以外の選択肢はなかった。
店が終わった後、近くの居酒屋で知花と会った。
「さっきはごめん」
「お客さんにあんな態度取らないで欲しかった」
返す言葉もなかった。彼女の店の特性も進展しない関係も、全てはわかっていることのはずだった。それなのにあんな態度をとってしまった自分を恥じた。
「ごめん。それで、彼の実家はどうだった?」
すると知花は不機嫌な表情を変えずに冷たく言った。
「普通だよ」
「普通って、大変だったってこと?」
「だから普通だって」
僕はそれ以上何も聞けず黙って何も聞くことなく帰るしかなかった。
こうやって少しずつ知花は僕に開いていた心を閉ざしていき、夜に会うことすらも断られることが増えていった。
そんな知花の態度に焦りを感じて僕は毎日のように店に行き、新しい客を紹介して、会えた夜には記念日ではなくてもプレゼントを渡すようになった。最初は彼女も喜んでくれたが、その行為が心を引き留めるためのものだと気づかれると、知花は笑顔を浮かべなくなっていった。
何も進展させることができなくて、嫉妬に苛まれて。不倫という関係の中で生まれるセオリーのような不条理に耐えられなくなってくると僕は会う時間を強要し、プレッシャーをかけるようにもなった。毎日のように会おうとメッセージを送り、返信がなければ店に行って。そしてあまつさえ僕は彼女の子供の情にもすがろうとした。
「心太は元気?」
「うん。すごく元気。走り回るし大変」
「そっか。そうだ。今度良ければ心太と一緒にテーマパークに行かない?面白そうな場所があって」
「日曜日だよね。ちょっとまだわかんないな」
「そう。じゃあどこかで行けたら」
「時間が合えばね」
彼女一人を誘うのが無理ならば子供の好きそうな場所を探して誘い、心太を巻き込もうとした。しかし僕の意図に気づいた彼女はそれでも時間をくれはしなかった。僕は次第に苛立ちを募らせて彼女を問い詰めるようにもなっていった。
「ちょっと聞いてもいい?」
「何?」
「いや、最近、彼とはどうなってるのかなって」
すると知花が視線を落として言った。
「彼とはなんとなく割り切ったら、関係がうまくいき始めてね。今は心太のお父さんって感じでいて」
「それって、よりを戻すってこと?」
「そうじゃなくて、なんて言うかこのままでもいいのかなって。もちろん彼を男としては見ていないけど」
ある意味では、それは普通の夫婦の関係でもある。しかし、だったら僕はいったい彼女のなんなのだろうかと思わずにはいられなかった。
夫との関係がなくならない限り、僕は夜中に会うだけの都合のいい男ではないか。自分はこんなにも二人を愛し、将来すら考えているのに。
「そう。俺はそれでも待つよ。でも心太のことを考えれば早く結論を出した方がいいとは思うよ」
念押しするように言っても知花は無表情のままだった。そしてこの日も彼女は僕の家に来ることなく帰っていった。
僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。