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小説「リーマン救世主の憂鬱」 第19話

 目黒にあると言う明日香の所属事務所にシンと向かった。

 シンはスーツの上からでもわかるほどに全身に筋肉がついていた。この身体でこの男は何の能力を持っているのだろうか。千里由美は千里眼を持っていた。神父が普通の人間に協力を依頼するはずがない。

「で、君はどんな能力を持っているの?」
「能力?」
「その、透視ができるとか人の心を読めるとかその類のやつ。ガタイがいいからスーパーマンみたいに飛べるとか?」
「そんな特別なのはないな」
「へえ。じゃあ例えば悪魔が現れたら、どうやって倒すんだ?」
「なんて言うか力ずくかな」
「その身体だったらそうかもしれないけど」

 すると、シンの前に犬を散歩させている夫人が現れた。大型の雑種は向かいから近づく他の犬に興奮し、夫人を引っ張り激しく吠えていた。すると、その光景を見てシンが呟いた。

「弱い犬ほどよく吠えるってね」

 そして雑種犬に近づくと、静かに見下ろした。すると犬は吠えるのをやめ、自ら伏せをし大人しくなった。

「へえ。動物操れるのか」
「それともちょっと違うけどな」
 明日香が所属する事務所の入ったビルに着くと、シンが受付嬢に言った。
「すみません。明日香さんの親族の者ですが」
 明らかにこんな二人が親族なわけがなく、受付の女性は訝しげな表情を浮かべたが程なくして会議室へ通された。
「親族って何だよ」
「ああ。まあ事務所にも内緒なんだよ。契約の話は」
「何で?」
「アホ。そんな事言って信じるわけないだろ」
 確かに「私は悪魔と契約しています」なんて言って信じるのは俺達くらいだ。
 個室に通され、しばらく二人で明日香が来るのを待った。会議室には所属タレントが出演した映画やテレビや舞台のポスターが貼られていた。その誰もが一線級のタレントばかりだった。

「さすが大手の事務所は違うねえ。こんなところに入れたら安泰だよな。売れるって約束されたようなもんだよ」
「この業界に詳しいのか?」
「まあ私設のボデイガードってのは芸能人が雇う事が多いからな。俺も何人か有名人についたこともあるんだ。そう言う時によく名前を聞くのがこの事務所だよ」
「へえ。そんなに凄い事務所なのか」
「ここはいわゆる芸能界のドンと呼ばれる人が社長なんだよ。で、そのドンはヤクザと繋がってる。だからテレビ局も広告屋も逆らうことはできない。つまり絶大な権力を誇っているわけだ」
「へえ。会社で言うと、銀行か商社に勤めるようなものか」
「まあ、そうだろうな。ただ、賞味期限が切れたり、不満を言えばこの世界から消される。もしも、明日香が歌えなくなったらどうなるんだろうな。生きていても死んだも同然の扱いを受けるかもな」
 

 すると、明日香が会議室に入ってきた。マスクをしていたが、輪郭や目から彼女だとすぐにわかった。
 久々に緊張した。最後に有名人に会ったのはいつのことだろう。会ったと言ってもすれ違ったくらいだが。
 椅子に座ると明日香がマスクを取った。そうそう。この顔。言い方は悪いが、さして特徴のない顔なのだ。
 しかし、歌い始めると歌詞とメロデイーによって可愛くも美しくも見える。不思議な魅力を持っているのだ。

「シンさん。来週はよろしくお願いいたします」
 

 そしてこの声。普段の声はか細いが、歌い出すとその声は強くなり、説得力を帯びる。

「ええ、任せてください。あ、こいつは今回協力をしてもらう加藤生留と言います。こう見えても悪魔退治のプロです」
「ど、どうも」
「初めまして。悪魔退治のプロなんていらっしゃるんですね」
「プロってわけでもないですが・・・」
「それで、会場の見取り図はお持ちいただけましたか?」
 シンが促すと、明日香はポケットからぐちゃぐちゃの見取り図を取り出した。
「この前リハーサルの時に会場の大道具さんが持っているのを盗んできました」

 事務所にもマネージャーにも言えず、盗みまでする状況にあるとは。国民的歌手とは思えない現状を不憫に感じた。
「あの、この事を知っている人は他にいないんですか?」
 誰も信じないかもしれないけど、誰かに話せば楽になるのではと考えたが彼女は静かに首を横に振った。
「あなた達と神父様だけです。誰にも言う気はないんです。誰も信じてはくれませんし、私の問題ですから」
「歌えなくなるかもしれないのに?」
「それはもう諦めています。契約した時からわかっていた事ですから」
 するとシンが見取り図を見ながら言った。
「大丈夫。俺達がいますから。命は助けますよ。命はね」
 念を押すようなシンの言葉に明日香が涙を浮かべた。さすが空気の読めない男だ。とは言え俺も質問を投げかけた。
「あの、どうやって悪魔と契約したんですか?」
 

 数億円がお前のものになる。その代わりに、命をもらう。数年後に会おうなんて言われたら・・・きっと俺は契約する。何十年も希望のない会社にいるよりも、数年間でも自由に暮らす方を選ぶだろう。
 しかし、俺の元にはそんな契約の話は届いていない。できれば、契約の悪魔に来てもらっても構わない。だからその方法を知りたかった。

「ある日突然なんです。私はずっと、アルバイトをしながら歌手になるためのレッスンをしていました。でもアルバイトしていた会社が倒産して。貯金もなかったんで家賃も払えなくなるから、仕方なくキャバクラでバイトを始めたんです」
なんて絵に書いたような苦労話だ。しかし歌声の裏にこんな苦労があったと考えればあの切なさに納得がいく。
「それで、そこである男の人と知り合って。その男の人は私が歌手を目指していると言ったら、事務所を紹介するって言ってくれて。食事をして・・・それで・・・携帯で色々取られて脅されて風俗で働けって言われて。もうどこも逃げ場がなくなって、家で自殺しようとしたんです。もうこの人生を終えようと。歌手になんてなれないんだって。でも、コンビニで紐を買ってドアのぶにかけて首を入れた時に声が聞こえたんです。お前の夢を叶えようって」

 そりゃ俺のところには悪魔は来ないはずだ。そこまでの絶望を味わったことはない。夢がなければ絶望はない。だから悪魔は寄り付かない。本当に俺は凡人だ。

「すみません。辛いことを聞いてしまって」
「いえ、自業自得です。悪魔は3年後に私を迎えに来るといいました。それが来週の日曜日です。私がずっと憧れていた野外フェスで歌う日です。だから・・・助けて欲しいとは言いません。命は悪魔に捧げてもいい。でも、そのステージだけはやり遂げたいんです」
「それで神父に助けを?」
「はい。安易ですが、来週が近づくにつれて不安になって、一人で彷徨っているとあの教会を見つけたんです。それで、教会に入ると神父様がいらっしゃって、全てお話をしたんです。そうしたら助けていただけることになって」

 人間は誰もが弱い。そんな状況で悪魔に契約を持ちかけられたら・・・俺は彼女が悪魔と契約したことを責める気にはなれなかった。しかし、空気の読めないシンが言った。

「俺達の目的はあなたを助けることじゃない。あなたが契約した悪魔を倒すことだ。だからあなたを助けるとは約束はできない。それをもう一度肝に銘じてください。それから歌声を失う事もね。あなたは自分のエゴによって社会を危険に晒していることも自覚してくださいね」
「おい。そんなこと言わなくても」
「いや。人間は安易に契約をしすぎる。俺は言っておきたい。お前らはなまじ長く生きるからそんなことをする。ただ、俺達のように短い人生しか生きられなければそんなことはしないはずだ。もっと自分の時間を大切に使うはずだ。もちろんあんたの苦労はわかるが、キャバクラなんかで働かず、実家でも何でも帰るか、シェアハウスに入るかして、しっかりした仕事を探して働いても、歌手を目指すことはできたはずだ。人生は選択だ。あんたは選択を間違えた。しかも悪魔となんか契約をした。さらにほかの人間にも迷惑をかけている。責任を取る必要がある」
 

 正論を押し付けるシンに俺は腹が立った。確かに彼女の選択は間違っていたかもしれない。しかしリスクを伴っているし、誰もがどんな時でも正しい選択をできるわけでもない。
 人は間違った選択をいくつもして、その後悔を抱えて生きて行くのだ。俺で言えば、なんとなくで生きてきてしまった事とか・・・とにかく、今の彼女にかけるべき言葉ではないと思った。

「だったら、お前は今の人生のすべての選択を間違いないと言い切れるのかよ。そんな人間はいないだろ。彼女をそんなに責めるな。俺もお前もいつ間違った選択をするかわからないんだ」
「そんなことはない。少し考えればわかる事だ。何が正しいか正しくないかくらいな。それに、人間ができることなどたかが知れている。それを認めずに、何かできると思っているから契約なんてするんだ。特別な人間なんていないんだよ」
「何かができると思っちゃダメなのか?お前には夢はないのか」
 

 自分で言っておきながら、恥ずかしくて仕方がなくなった。まず俺に夢がないじゃないか。よくもまあ勢いとは言え、こんなことを言えたものだ。
 目の前を見れば明日香は困っているし、シンは怒っている。だからと言って、俺はこの議論の解決策を持ち合わせていない。何でこんなことになってしまっているんだ。
 に困っていると、明日香が言った。

「あの、すいません。私のせいで」
「いえ、別にあなたのせいじゃありません」
「ていうか、お前、意外と熱くなるんだなあ」
 

 慣れ慣れしく肩に腕を回してきたシンにイラついたが、その腕が異常に太いのに気づいて刃向かうのはやめておいた。すると明日香が申し訳なさそうに言った。

「あの、今回の報酬はどのようなかたちになるのでしょうか。一応ここ数年の貯蓄があるのである程度の額はお支払いはできると思いますが」
 するとシンが鼻で笑った。
「あんた神父が金を求めていると思ってんのか?悪魔退治は神の御言だ。金なんていらないよ。それよりも当日は、俺達が入りやすいようにしてくれ。会場にも仲間を配置する」
「わかりました。スタッフパスを用意しておきます」
 明日香が立ち上がり、深々と頭を下げた。俺はいたたまれなくなって言った。
「悪魔に授けられた才能でも、あなたの歌に僕は助けられたことがあります。だから、できれば歌い続けてもらいたいと思っています」
「ありがとうございます。でも、もう裏切ることはできないんです。応援してくれた方々を」
 

 彼女は初めて微かに笑みを浮かべた。その笑みには歌っている時のような喜びは微塵も感じられず、不安だけが映っていた。
 

 事務所を出ると唐突にシンが言った。
「お前、夢とかあんの?」
 勢いで言った恥ずかしい言葉を憶えているとは。
「いや、ないよ。ただ勢いで言っただけだ」
「そうか。まあ、お前ら長く生きるから、夢とかあったほうがいいんじゃねえ?」
「何だよそれ。そう言えばさっきもそんなこと言ってたけど、お前病気かなんかなのか?」
「いや。まあそのうちわかる。でもさ、心底羨ましいよ。お前らが。俺達は産まれながらに色々決まっているから。戦う相手も、仕事も恋人すらな。選択の自由があるお前らがたまにムカついてくるんだ。それを活かせてない奴を見ると特にな」
「は?まさかどこかいいとこの一族なのか?」
「そうかもな。じゃあ当日な。計画は任せておけ」
 シンは俺の肩を叩き、さっさとその場を後にした。

 シンも千里由美のように逃れられない運命を抱えているのかもしれない。神父に関わっているのだから可能性はある。でもいけ好かないのは変わらない。

 月曜日の足音が聞こえる日曜の夕方の憂鬱の中、俺は明日香の歌をスマホで聞きながら帰った。やっぱりこの声は特別だと思った。街の様々な景色にここまで馴染む声はないだろう。
 すると不意に彼女の歌詞の一節に耳が止まった。
「私は何でもない。だから特別になりたかった。誰かの特別に」

 その一節が彼女の心の叫びのような気がして、俺は何度もリピートして耳に刻みつけた。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。