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ハガレン、銀の匙から読み解く作者の滲み出るオリジン

少し前にオリジンに関するnoteを書いた。私の興味の一つは、優秀な人は、なぜ優秀なのか。がある。そして、あわよくばその優秀な部分を盗み、自分にも転用していきたい。

20代の頃、とある上司に「仕事は教えてもらうものではなく、盗むものだ」と教わった。

当時は、学生気分だったこともあり、だいぶ理不尽だと感じたが、今では感謝している。教えてもらうのではなく、仕事を見て、それを盗む。そして、自分に転用させる。その基礎が20代の頃に培われたことを感じているからだ。

難聴の人の一つの課題は、仕事だ。聞こえにくくなり、補聴器で聞こえを補っても耳が治るわけではない。そして、補聴器をつければ仕事ができるようになるわけでもない。

だから自分自身ができる仕事というのを見つけていく必要があるのだが、では、どのように見つけていけば良いのか。そのヒントに鳥嶋和彦氏のインタビュー記事から、オリジンという言葉を聞き、今現在、そこについて考え中である。

ちょうど年末ということもあり、鳥嶋和彦氏が挙げていた銀の匙という漫画について書いている荒川弘(女性)氏の代表作、鋼の錬金術師と銀の匙について中古で全巻買い、年末年始は読んで過ごしていた。

そして、なるほどな、と思った部分が多くあった。

酪農家に生まれ、そこから出てくる死生観

銀の匙は、中学で勉強一筋で頑張ってきた新学校にいた主人公(八軒 勇吾)が、勉強に挫折し、新たに農業高校という別の環境で、農業や酪農を学び、そこから人としての成長を描いた物語である。

主人公が農業高校で酪農科の学科を選んでいるということもあり、とにかく酪農に関することが出てくる。そして、その漫画を書いている作者、荒川弘氏は、実家が酪農家で自身も農業高校出身者である。

その内容は、自身が経験したことが多く含まれており、なるほど、これが書けることなんだなと感じた。

自分の日常は、誰かの非日常。酪農家の日常は、普通の人にとっては、非日常なのである。さらに農業高校も普通の学校ではない。だから、面白い。ということだ。こんな世界があるのか、ということを教えてくれる。

そして、酪農家ゆえの酪農家の経営に関することや離農(会社でいう倒産)の話、さらには家畜とペットの違いについて悩むシーンも出てくる。これらのものは、酪農家で生まれ育った作者にとっては、とても身近な問題だからだろう。

当たり前だが、私たち人間は、他者の命を喰らって生きている。野菜、果物、食肉、魚、米、これらは全て命があるものだ。それを食べて生きている。つまり、私たちは厳密には生きているのではなく、生かされている。ということだ。その命を差し出してくれているもののおかげで。

このマンガでは、ペットと家畜の違いについても出てくる。ペットは生かされることを許されており、家畜は、規定の容量になったら、即刻処理され、食肉化される。

同じ動物でもここまで扱いが違う。その違いは何なのか。確かに興味深い疑問である。そして、こういったことは、実際に経験している人にしか書けない内容だ。

恐らくこの作者も酪農家に生まれ、そういった現場をよく見ていたのだろう。家畜とは何なのか。そして、ペットや動物、そのような生き物とどう接するのか。それは、その現場を経験している人が一度は考えることなのかもしれない。

酪農という生と死が常に入り混じる世界。そこで培われた命に関する価値観。これが、荒川弘氏の根底にあるもの。つまり、オリジンなのではないかと感じる。

鋼の錬金術師の根底も死生観

銀の匙は、15巻になるので、全て読み終わり、今現在は、実は、鋼の錬金術師についても読んでいる。これを書いている最中は、14巻までしか読み終えていないが(全27巻)、それでもだいぶ面白い。この鋼の錬金術師も作者の死生観がバリバリに出ている。

鋼の錬金術師は、中世のヨーロッパのような世界観と錬金術をテーマに書かれた漫画で、主人公 エドワード・エルリック(以下、エド)とその弟、アルフォンス・エルリック(以下、アル)が、自身の傷ついた体を治す物語になる。

エドとアルは、幼い頃、母が亡くなったことで、その母を蘇らせようと錬金術で、死者蘇生を試みる。しかし、それは禁忌の法で、その代償として、エドは、足を持ってかれ、アルは、体全体を持っていかれた。

エドは、何とか弟のアルを助けようとして、アルの魂だけを鎧に移し、その代償として、腕を持っていかれ、エドは、片足、片手を機械鎧(オートメイル)というもので補い、アルは、そのまま鎧の物体になった(喋れる)。そのような状況になってしまったことから主人公たちは、自分たちの体を治すために旅に出る。というものだ。

錬金術といえば、賢者の石が有名だ。実際に中世のヨーロッパでは、賢者の石を精製するために試行錯誤という名の今では考えられないような残虐な実験なども数多く行われていた。この石は、あらゆる金属を金に変え、飲んだものは不老不死になり、さらには死者蘇生など、人間のあらゆる欲望を叶える魔法の石だった。

今現在は、科学が進んできていることもあり、そんなものなど存在しないことがわかっているのだが、中世ヨーロッパでは、実際に存在すると夢見ていた人が大勢いたのである。

こういったものが元ネタになっているものは多い。ハリーポッターだって出てくるし(初めのタイトルは、ハリーポッターと賢者の石)、魔法やファンタジー、中世ヨーロッパを舞台にしているゲーム、小説、マンガには、だいたい出てくる。

銀の匙を読んでいた私は、面白いなと思った。というのも作者の死生観がバリバリに出ているのだ。錬金術を扱っているということもあり、この物語の核となるのは、生と死だ。むしろ、その死生観に合うものの一つが、錬金術というテーマといっても過言ではない。

生きているとは何か。魂とは何か。錬金術なので、そうなるのだと思うが、酪農家に生まれ、常に命とは何かを考えざるを得ない環境にいた作者らしいストーリー、内容になっているのではないかと思う。

そういったものを見て、これが書けるものか。と感じた。

オリジンを見つける

他者のものを見ることで、オリジンを見つける。という行為は面白い。何がその作者の根底にあるのか。原体験、思想、経験、そこは、自分のオリジンを探すカギになるように思う。

なお、私がマンガを選んだのは、漫画はわかりやすいからだ。マンガは、そのまま作者の意図、意識が反映されやすいと感じている。キャラクターの表情、キャラクターごとの掛け合い、ストーリー、全てが私には勉強になる。

荒川氏のすごいところは、絵が綺麗なところもあるが、キャラクター自身が生きていることにあるとも思う。ストーリー重視ではなく、キャラクターがいて、そのキャラクターがストーリーを作っていく。そんな風に見える。ストーリー重視ではなく、キャラクターがストーリーを作っていく感覚を感じる。そして、それは、農業高校出身ということも関係しているのかもしれない。

銀の匙では、舞台となる大蝦夷農業高校で寮での生活が描かれている。その寮生活をしているキャラクターがポッとこんなことを言う「寮生活を経験して、人間関係関連については強くなったな。いろんな人がいるので落とし所がわかったし」と。

つまり、寮生活を経験して、いろいろな人がいること。それをよく観察、あるいは、よく経験していたのではないかと思う。

特に銀の匙では、キャラクターごとにだいぶ特徴があり、それは、元ネタ、つまり、実際にそのような人物が同級生の中にいたのではないかとも思う。だから描きやすかった。

これらのものを見て思うのは、結局、オリジンは、経験したことの中から出てくるのではないかということだ。

実際に経験した人にしか書けないもの、伝えられないものがある。荒川氏のマンガを読んでいるとそのような感覚を感じる。

ということで、自分自身のオリジンも同時に見つけていこうと思う。自分が書けるものを提供できるように。


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