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へらへら笑ってろ(双極性障害の私)。<13>考えること、動くこと。

生きるのがつらいことって、ありますよね。

私の場合、それが極まるのが鬱状態のとき。何度も経験していますが、いちばん酷かったのが、2014年の秋でした。極度の鬱状態。そして、その直後に、いきなり躁転して入院しています。

この秋には、睡眠障害が起きていました。1日2~3時間しか眠れない。当時、無職だったのが今思えば救いですが、体はへろへろになっていました。頭は働かないし、体も動かない。疲れ果てているのに(疲れ果て過ぎて)眠れていませんでした。
あまりにしんどい日々が続いて、もう限界だと思った深夜、私は、外来と入院でお世話になっていた精神科にお電話しました。とても幸運なことに、看護師さんが、その夜当直だった主治医に相談してくださり、出ていた眠剤を追加して飲んでいいということになりました。そして、次の外来受診を前倒しして、その2日後に診ていただけることになったのです。

本当に幸運なことでした。あの日、お電話で対応していただけていなかったら、酷いことになっていたと思います。

そして、外来受診。この日、私は、1時間半くらい主治医と話しました。私のまとまらない、でも、必死の話を、主治医が辛抱強く聞いてくださったこと、内容はもはやほどんど覚えていないのですが、そのことはとてもよく覚えています。

もう生きたくない。

ずっと誰にも言えずにいたことを主治医には話しました。実は、当時の私は、自分の命を終えたくて、身辺整理をしていました。いちばん心配だったのは、当時8歳だった愛犬のことだったので、友人たちに、「飼えなくなりそう」と相談して、誰か愛犬を引き取ってくれないか探していました。そのことも、主治医には話しました。

そのとき、主治医に言われたこと、たぶん、一生忘れないと思います。

「〇〇さん(私の名前)、人間は生きている限り、思考を止めてはいけないんです」。

こうも続けられました。

「考え続けていれば、行動に出られる。行動すれば、何等かのレスポンスがあり、またそれに応えていける。そうやって生きていくんです」。

当時の私は、考えることにもう疲れていました。でも、そんな私に、主治医がおっしゃりたかったことは、「止めてはいけない」の部分だったと、生きている限り、諦めてはいけないということだったのだと、私は解釈しています。

動くこと、行動することの大切さも、私は主治医から教わりました。その後の躁状態での入院は3カ月ほど続き、主治医とはたくさんお話する機会がありました。お互いの好きな言葉を話し合ったこともあります。

当時の私は、なんといっても、躁真っ盛りだったので<Freedom>と答えましたが(わかりやすい)、主治医は、
<なせば成る、なさねば成らぬ、何事も>という上杉鷹山の言葉だとおっしゃっていました。NIKEの<Just Do It>もお好きとのこと。

あれから8年。まだまだ人生の修行中の私は、8年前に主治医に教わった大切なことを忘れかけるときもあります。そんなときは、たいてい心身ともに不調です。でも、不調ながらなんとかもがいて、前に進もうとしているうちに、道が開けるものなのだということも、経験で学びました。
もがくこと=Just Do Itなのだと思います。

ときどき生きる意味を考えます。答えが出ないことが多かったです。でも、最近は、いただいた、いえ、お借りした命を全うし、生涯考え続け、行動し続けることに意義があるのだと思うようになりました。

いま、52歳。あと何年の命なのか、誰にもわかりませんが、ずっとずっとwinding roadを自分のペースで歩んでいきたいです。


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