今、改めて「淫夢ネタ」の問題点を整理する~今年も盛り上がるハッシュタグ #野獣の日 を見ながら
はじめに
本日は2020年8月10日。今年もまたTwitterで #野獣の日 #野獣の日2020 というハッシュタグが盛り上がりを見せている。
いわゆる「淫夢ネタ」としてキャラクター化されている「野獣先輩」と、8/10という日付の語呂合わせである。
ネットのサブカル的文化に触れている人、特にニコニコ動画を見ている人では、まず間違いなく見たことがあるであろう淫夢ネタ。
あるいは、TwitterやYouTubeを見ていれば、それと知らずとも出くわしたことがあるに違いない。
問題点を指摘する人も少なからずいるが、10年以上の長きに渡って「愛され続けて」いるのが現状だ。
筆者も長いことこれを問題視している立場の人間である。
しかし一方で、長くネット/サブカル/オタク文化に触れてきた人間として、一体何が問題なの?…と思う人が多いことは理解できる。
恐らくだが、淫夢ネタに問題に感じる層と淫夢ネタを楽しんでいる層の重複度は比較的低い。
また、ハイコンテクストなネタでもあるため、日常的にそれらの文化に触れている立場でないと指摘しづらい問題点もある。
そのためか、淫夢ネタの何が問題かを分かりやすく指摘するような情報にはあまり出会うことができない。
というわけで、改めて「淫夢ネタ」の何が問題なのかをこの記事でまとめたい。
(先に書いておくが、多層的な問題を含んでいる故に簡潔にまとめることは難しい。長くなります。)
そもそも淫夢ネタとは
※知ってるよ!という人は読み飛ばしてください。
まずは一つの生きた情報としてニコニコ大百科へのリンクを貼っておく。
「淫夢ネタ」と書かれてピンと来ない人でも、この記事にある「語録」や貼ってある画像等を見れば、あぁ見たことがあると思うことだろう。
「淫夢」という語は、2001年に発売されたゲイポルノビデオのタイトル『真夏の夜の淫夢』から取られている。
このマイナーなゲイAV作品が何故注目を集めたかと言うと、とあるプロ野球選手(出演当時は大学生)がこのビデオに出演していたためである。
その後2006年にニコニコ動画がサービス開始すると、この作品映像がニコニコ動画上に違法アップロードされ、アングラ的な人気を持ち始める。
ニコニコにおける主要文化としてのMAD動画(複数の画像・映像・音声などを組み合わせたもの)の素材に使われるなどし、登場人物には不可思議なあだ名が付けられ(その代表が「野獣先輩」である)、セリフは「淫夢語録」としてミーム化。
始まりはアングラであったように見えたこの「ネタ」はどんどんと広がりを見せ、今では普通にネットを使っていても見かけない日はないというレベルになっている。
まとめると、一つのゲイAV作品に端を発する映像・画像・登場人物・セリフなどが「ネタ」化されたものの総体が「淫夢ネタ」である。
淫夢ネタの面白さ
問題点を指摘する前に、なぜこの「ネタ」がこれほどまでにウケたのかについての見解を書き記しておく。
(10年ほど前は筆者もニコニコ動画でこの手の動画を見て楽しんでいた。言い訳のつもりはないのだが、これを「ただ差別的なだけであり、何が面白いのかまったく理解できない」と捉えて欲しくない。ここまで人気になってしまっているにはそれなりの理由があると考える。)
参考にしたいコンテンツとして、ニコニコ初期の人気動画「あいつこそがテニスの王子様」を挙げてみる。
2.5次元舞台の走りとも言えるミュージカル・テニスの王子様の映像が、これもまた違法アップロードされたものである。
この動画、歌・セリフにいわゆる「空耳」コメントが付けられて人気を博した。
確かに演者の活舌が微妙な節はあるのだが、音程の不安定さ、2.5次元舞台の物珍しさ、また慣れない人間から見たらある種滑稽なミュージカルというフォーマットそのもの、それらのチープさが面白がられたのだろう。
一方の淫夢ネタでも活舌の悪いセリフ回しが「語録」化したり、設定や展開の雑な部分がネタにされたりと、両者に通じる点は多い。
ついツッコミを入れたくなったりちょっと笑ってしまうような作品のチープさ。
決して行儀のいい笑いではないかもしれないが、これ自体は一つの楽しみ方だろう。
しかしながら、淫夢ネタがここまで人気になってしまっている理由は、作品のチープさが面白い…だけでは説明が付かない。
その理由を考えるに、ゲイ差別を切り離すことはできない。
一方で、多くの淫夢ネタ消費者は"意図して"ゲイ差別をしているわけではないだろうし、"直接的に"ゲイ差別そのものを楽しんでいるわけでもないと考える。
つまるところ、これは悪ノリであり、内輪ネタであり、不謹慎ネタであるのだ。
まず、元ネタがAVであることに意味がある。
AVに関するネタを大っぴらに楽しんで見せれば、「大人」は眉を顰めるであろう。
しかし、「淫夢ネタ」として直接的なアダルト描写を避けミーム化された表現は、「一般人」が見ても何のことやら分からない。ところが、内輪の人間にはこれがAVネタだと分かる。
敢えて広く、輪の外側にも見えるよう開陳することで、内輪ネタとして強く機能するのである。
更に、これがゲイAVであることで、アダルトコンテンツのセンシティブさに同性愛のセンシティブさが重なる。(※同性愛そのものがセンシティブなのではない。下手に触れたら「大人」に怒られる、或いは「炎上する」性質のものだと淫夢ネタ消費者らは認識しているだろう…という意味だ)
つまり、大っぴらに触れにくい内容を、それとは分からない形で「一般人」の前に開陳して見せることが楽しいのだ。
(「まずいですよ!」という「淫夢語録」は、まさにこれを証明するような形で使われている。)
そして、この楽しさが、これほどまでに淫夢ネタが広がりを見せてしまった理由だろう。
淫夢ネタの問題点① ゲイ差別という問題
根本的な淫夢ネタの問題点は、やはりゲイ差別的であるという点に尽きる。
前項では敢えて書いていないが、やはり『真夏の夜の淫夢』という作品が面白がられた裏には、ゲイ向けのAV作品という存在が、或いは男性同士のセックスが、滑稽に感じるという意識があることだろう。
また、前項で書いた、同性愛がセンシティブなものだという意識がネタ化の機能を果たしているという点。
そういった意識は、社会問題としてのゲイ差別・同性愛差別を真正面から受け止めていれば生じ得ないはずだ。
そして、もっとも直接的に問題なのは、一部の「淫夢語録」、或いはそれに端を発するミームが明らかな差別表現である点だ。
以下、筆者の知る限りで特に問題だと思ったものを二つ挙げる。
一つ目は、「ホモガキ」という表現である。
どう使われているかと言えば、いわゆる「淫夢厨」(要は、ところ構わず淫夢ネタを使いまくるガキンチョ的存在)を、同じ穴の狢たる淫夢厨が、揶揄してこう呼ぶのである。(或いは、自分は"マナーのいい"淫夢ネタ消費者だという自覚を持っているのかもしれないが…)
二つ目は、「ホモは〇〇」または「〇〇はホモ」という表現である。
これは様々に派生的な形で使われており、〇〇に入れられる語は多様で、必ずしもゲイ・同性愛に関係があるわけではない。
例えば「ホモはせっかち」という表現(これが大元?AV本編で急かすセリフが多いことがきっかけで生まれたらしい)もあれば、「ツイ消しはホモ」のような表現も使われている。
共通して言えるのは、必ずしもゲイの言い換えとして「ホモ」という単語を使っているわけではないということ。
BL消費者などが「ホモ」の語を使う場合も同様だが、どうやらゲイを指して「ホモ」と呼ぶのが差別的であるという認識はあるようで、そのような使われ方は少なく見える。
しかし、ゲイ・同性愛に関連する文脈で「ホモ」という単語自体が面白いものであるかのように扱われている。これはゲイ差別・同性愛差別以外の何物でもない。
今は小中学生ぐらいの子どもでも当たり前にインターネットを使う時代である。
一つ目の表現…文字通り「ガキ」と呼ばれるような時期から、こういった表現に触れる可能性は十分に考えられる。
事と次第によれば、このようなミームを使っていた本人が、淫夢ネタというコンテンツを通して、自分がゲイであるというセクシュアリティを自覚する…なんて事態すらもあり得る。
改めて、淫夢ネタを面白く感じることは否定しないし、そのすべてが差別的だとは言わないが、総体として、或いは発展の結果として、淫夢ネタはゲイ差別コンテンツであると評さざるを得ない。
淫夢ネタの問題点② AVへの望まない出演・映像の拡散
「そもそも淫夢ネタとは」の項で述べたように、この作品が知られることになったきっかけは、プロ野球選手が学生時代これに出演していたことが"発覚した"ことである。
その当人は、出演について「後悔しています。当時は若くお金が必要でした」と述べている。(発言はWikipediaから引用しているが、内容を踏まえ、敢えて出典明記はしない。)
つまり、『真夏の夜の淫夢』という作品は、本人の望まないAV出演という大きな人権問題を含んでいるのである。
また、出演者が真っ当に承諾をしていたのであっても、不要に映像が拡散されることを承知しているはずはない。アダルト作品という性質もあり、これを無断アップロード・転載したり、更に登場人物に妙なあだ名をつけるなどして面白がる行為は性暴力である。
淫夢ネタの問題点③ 著作権と作品へのリスペクト
最後に。
『真夏の夜の淫夢』という作品の映像・画像が無断でアップロード・転載されていること自体が著作権侵害である。
ただ、筆者は個人的には著作権そのものを強く問題視しているわけではない。
より問題だと考えるのは、その使われ方である。
飽くまで筆者個人のスタンスであるが、作品へのリスペクトが感じられるならば、誰かの著作権侵害行為を殊更に指摘・批判しようとは思わない。(具体例は挙げないが)
しかしながら、『真夏の夜の淫夢』という作品の映像が「淫夢ネタ」として消費されている様は、果たして作品へのリスペクトがあると感じられるだろうか。
筆者としては、徹底的に「ネタ」として面白がっているだけであり、それこそ「野獣先輩」のようなあだ名付けなど、作品に対しても出演者に対してもリスペクトに欠ける冒涜行為だとしか感じられない。
この点において、単なる消費者に過ぎない一般庶民はまだしも、時に著名なクリエイターや表現者でさえも淫夢ネタを積極的に消費していることには驚きと落胆を禁じ得ない。
例えば、声優の原田ひとみや漫画家の佃煮のりお(またの名をバーチャルYouTuberの犬山たまき)など。
こういったクリエイター・表現者は、自身の作品・出演作品について、淫夢ネタ同様の扱われ方をしても構わないというスタンスなのだろうか。
終わりに
「淫夢ネタの面白さ」項に記したように、この「ネタ」は真正面から問題点を指摘したところで盛り下がるような性質のものではないだろう。
むしろ火に油を注ぐことになるだけかもしれない。
ただ、ネット上で決して無視できない一大文化となりつつも、その性質があくまでも内輪ネタ的であることからか、問題点を指摘する(できる)人があまりにも少なすぎるように思う。
無自覚にこれを消費していた人にも、そもそも淫夢ネタなんて知らなかったという人にも、出来る限り知って、考えて欲しい。
そろそろやめにしませんか?
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