見出し画像

心と社会と音楽と Lively up yourself

50年近く生きてきて僕が今思うことは
僕の場合は音楽が好きで、知りたくて、ピアノが上手くなりたくて、たとえばそれは仕事として知名度や報酬が大きくなれば良い訳では無くて僕が信じる音楽の地平のずっと先、出来る事なら果てまで行きたい、心が純粋にそこに浮かぶような、損も得も無い、100%の純度の音楽に包まれたいから。
それは対外的な序列(例えばコンクールの順位とか他と比べること自体)ともあまり関係無くて
やはり僕がこの人生でその好きな事、音楽とどう向き合っているのか、そして取り巻く生活をどう生きているのか、
まっすぐにズルをせずに、自分に正直にいなければ意味が無くなってしまう。別に綺麗事云々ではなく
僕にとって本当に素晴らしい音楽が物事の核心を貫き
到底抗うことなど不可能な程の引力を発していて
僕に強烈な光を発し続ける。
流行り廃りなどそこには大した意味は無い。
音楽は僕が家族を思う心、自然を慈しむこと
日々の暮らしに感謝すること、世界が平和で穏やかであるように願う心、悲しみに寄り添う心、助け合う心、
それらを裏付ける存在なのだ。

だからたとえ余り儲からずとも真っ当な努力を重ねて来た。
仕事が少なければ増やす努力も当然するが先ずはまっすぐな自分の心なのだ。
今もそうだしこれからもそうだ。
我が子たちがいつか僕のそんな心の在り方を
自分なりにわかってくれたらうれしい。

日本に帰ってきて18年、
結婚し、子どもたちが生まれ
現在へと続く生活を始めてから
この国の政治の良いところ、悪いところ
一国民、一生活者、として
感じることは沢山あった。

この何年か感じていたことは
良かったところというのは実は「曖昧さ」
「何となく大丈夫」ということだけで
忙しさ、余裕の無さ、そしてやはり僕ら自身の怠慢により
「とりあえずこれでいい」という気持ちもあったのだと思う。
我が子らが段々と成長するにつれ
いずれ彼らに手渡すこの社会に対する疑問はとてつもなく巨大化し始めた。

僕が僕の信じる音楽の道を歩みながら、家族皆の健康、幸せ、この道で出会った人たちの健康と幸せ、平和、優しさや思いやり、他人の悲しみや苦しみに寄り添う心、
これら本来誰もが当たり前に共感、共有して共に暮らす社会をより良くして行く、という至極当然でありまた必然である精神、を通して今の日本を観た時、
それらのことと今のこの国の有り様は到底許容出来ない程の大きな隔たりがある。

僕は今のままの日本では我が子たちに手渡す事は出来無い。
音楽家として自分の出来ることは先に語った精神を持ち続け音楽を創り続けるだけ。

もう一つは選挙に必ず行きます。

2022年7/9
22:42

自宅にて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?