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愛する苦しみ

 もし、大切な人を亡くしたら、立ち直れないと思うかも知れない。でも、ほんの小さな光を見つけることができると、希望と言う光と、同時に影ができる。

 自死遺族が立ち直れないのは、愛と言う苦しみがあるからかもしれない。愛が突然居なくなったら、自分を責めるでしょ?

 愛する人がなかなか逝けないのは、たぶん、「絶対」私たちが、愛しているからなんだよ。それは自分のタイミングで良いと思うんだ。無責任に思えるかも知れないし、そんな事なんて思えないよね?

 でも、魂は存在しているよ。記憶の中にもね。だって、目に見えない空気だって存在するんだから、誰も魂は否定できない。

 多分ね、光を求めたら、影ができると思うの。影の中に愛する人がいるかもしれない。ちゃんと背中を守ってくれているかも知れない。

 断言するとね、それは学問になっちゃうから、学問では、人の死は解決はできないんだ。

 どんなに心理学を勉強した私でもね、無理だって分かったの。ただ、光が少し見えて欲しいと思っているよ。

 自分のペースでゆっくりと。

 苦しいと思ったら、愛が溢れて涙になっていることに気づいてね。この世に存在する意味がない人なんていないから。

 私たちは愛の結晶。亡くなった大切な人も愛の結晶でしょ?愛されていたんだから、私たちは結晶だよ。

 もし、大切な人が突然居なくなったら、愛されていた記憶を大切に「いかして」みよう。たまには、亡くなった人も愛されすぎたら離れてしまうから、時々は他のことも考えるの。

 愛って見えないし、難しいよね。

 愛されすぎると、怖くなるでしょ?

 だから、時々、違うことを考えるの。愛する人のために、自分のために。

 もし、自分を責めてしまうなら、仏壇のお花を反対方向に向けてあげて。それは愛する人のために、少しかも知れないけど、「おあび」にね。

 毎日、泣いてしまってもいいんだよ。これ以上、辛いことは、世の中にはないから。

 




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