99 爪を噛む

 休み時間に伸びた爪を噛む。ぎざぎざと不格好なままでは恥ずかしいから、更に噛み進めて形を整える。ただ、それをして残るものといえば負荷をかけて欠けた歯と噛みすぎて深爪になった指先だけだ。休憩室の隅っこで噛んだ爪をティッシュに吐き出す姿は、誰に見られることは無くとも汚い。元から地味な顔が更に歪んでいくようだ。表から男女の笑う声が聞こえている。職場のテレビで流れているバラエティ番組が苦手だ。特に男性芸人の言葉が、私を突き刺す。自分に言われているわけじゃないのに、責められている様な気分になる。
「お前の顔見てると、泣きたくなるわ」
 売れっ子の中堅芸人が、的確なツッコミで笑いを誘った。スタジオのモデルも森さんも男性社員も皆つられて笑っていた。休憩を終えて出てきた私だけが、口角を上げられずに画面から目を反らした。ここでは森さんがチャンネル権を持っている。ぱっちりした二重の瞳と、誰もが話しかけたくなるような華やかな雰囲気に小柄な体型が可愛らしい。加えて、男でも女でも正社員でも派遣でも気さくに話しかけてくれる彼女は誰にだって好かれている。派遣の男性社員も短期バイトの学生も、皆森さんを狙っている。店長に告白された話も噂に聞いたが、本当なのだろうか。彼女の使うタブレットに小さな傷をつけるのが日課になっている。誰にも気付かれない程度の僅かな傷でも、積もれば徐々に形になるものだ。ついに今日、砂利ぐらいの大きさを生成した。真顔で私怨をぶつけている私に、パッと明るい顔で「佐藤さんが見たい番組あったら教えてくださいね」と言った彼女はこっちなんか見てはいないが。
 気分によって変えているらしいが、彼女の選択するものは大体バラエティだった。映像の中に、コンプライアンス違反にあたるような過激なものは当然ない。発言の一つ一つに目くじらを立てる必要はないはずなのに、捉える側の私のせいで見ている全てがつまらなくなっていく。制服のサイズも髪の色も一緒なのに、表情も言動も彼女とは何一つ正反対な自分自身に芸人の言葉がぐさりと刺さる。泣きたくなる顔でも泣かずに生きなければいけない。整えたはずの爪の先はでこぼこで、皮膚が痛んだ。

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