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【エッセイ】タバコと僕とセンチメンタリズム。リズムに乗ってドンドコドン。

2021/2/5

 僕はタバコに火をつけた。オイルライターの芳香が鼻に届く。煙を肺まで届かせてからフーッと吐き出す。タバコの先から出る煙が空に吸い込まれるように昇っては消えていく。
 冬はタバコの減りが早い。空気が乾燥していてよく燃えるからだ。すぐに短くなってしまう。少し物足りないような気分のまま灰皿に押し付けて火を消して2本目を吸おうか迷うが、結局、吸わずに家に戻る。

 僕はタバコを美味しいと思ったことは一度としてありません。ではなぜ吸っているのかと訊かれても僕は答えを持ち合わせていない。
「やめられないから」
 正直なことを言えばその一言だけです。
「緩やかな自殺を図っているんだよ」
 少し格好つけさせて言わせてもらえば、そういうことなのかもしれない。

 僕は人生において何度か禁煙を試みたことがあります。覚えている限りだけでも3回はあります。3度目の正直なんて言葉を嘘っぱちにするくらい失敗してきました。
 そしていつしかやめようとも思わなくなりました。大切な何かを失ったみたいに僕は禁煙への意欲を失った。

 初めてタバコを吸ったのはいつのことだっただろう。なぜ吸ってしまっったのだろう。もうずいぶんと昔のことのように思える。実際にすごく昔のことなんだけど。

 それは僕が高校生の頃だった。当時の僕は好きな女の子にフラれて心が傷つき、そんな自分のセンチメンタリズムに酔っていたのかもしれない。

 僕は心の自傷行為としてタバコに手を出した。深夜、家族が寝静まった頃に家を抜け出して近所のコンビニに買いに行ったのを覚えています。
 夏の暑い夜で履いていたビーチサンダルがアスファルトと擦れて乾いた音を立てていた。コンビニについた僕は唯一知っていたマルボロという銘柄の赤いパッケージのタバコを店員に注文しました。身長も大きかった僕は年齢確認をされることもなく無事に買えました。
 近くの公園のベンチに座って火をつけて吸い込んでみると最初は吸い方もわからずにむせ込んでしまって格好悪くて、涙が出てきて。何度かやっているうちに上手く肺に入れられるようになって、その夜以降は毎晩深夜に家を抜け出して公園でタバコを吸うのが日課になってしまいました。

 もうすぐ僕は人生の半分を喫煙者として過ごすことになります。歳を取ったんだなと思います。

 タバコはそもそもの最初から僕のセンチメンタリズムと結びついていて、僕はいまだに心の自傷行為をやめられないでいるのかもしれません。
 そろそろいい歳なんだから大人にならないといけないのに、センチメンタリズムを捨て去ることができません。大人になれればタバコをやめれるだろう、って皮肉な話だけど僕はそう思います。

 今夜も僕はタバコを吸う。緩やかな自殺を図るように、心の痛みを吐き出すように。
 弱い僕なのです。心の痛みをタバコに乗せて吐き出さないと生きていけないのです。

 弱くたっていいのです。誰だって痛みを抱えて生きていく。寄りかかれる何かを必要としているのだから。
 だからあなたもたまには力を抜いて何かに寄りかかってみてはどうだろう?タバコだけはオススメしないから他の何かに。
 
 それではみなさん、良い一日を。

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