個人的な、あまりにも個人的な所信表明。それは実存。
今回の記事は個人的な頭の整理のため、読みにくいところがあるかもしれないし、特に結論やオチのある話ではありません。ごめんなさい。
ただアドバイスや指摘などをいただけたら助かるので読んでもらえると嬉しいです。
僕は学生の頃、実存主義にハマった時期があります。
キルケゴールやハイデガーの解説書やニーチェやサルトルの著作を読み耽りました。
それに実存主義的な作家と言われてる安部公房、大江健三郎、カフカ、カミュの作品が好きです。
しかし、頭が悪くて実存主義をしっかり理解できていないからか、上記の作家のなにが実存主義的で、他の作家と違うのか、明確な答えが僕にはわかりません。
それでも自分も実存主義を思想的背骨とした作品を書いてみたい。
体系だって哲学史における近代哲学の思想の流れを勉強したわけではないから、僕は理解が浅いです。
デカルトから始まった近代哲学、カントの認識論、ヘーゲルの観念論、ヘーゲル左派から出発したマルクス主義という流れ。
ヘーゲルへの批判としてキュルケゴールから始まり、ニーチェ、ハイデガー、ヤスパース、サルトルと繋がる実存主義。
これくらいの大雑把な流れしか知らなくて、各哲学者の詳細な思想は理解できてない。
サルトルの実存主義については、NHKの100分で名著の解説が分かりやすかったので、そこから抜粋して引用します。
①実存は本質に先立つ
人間の本質は決まっておらず、現実に存在すること(実存)が先立つ。だから現実の中で自ら選択して現実の中で意味を選び取らねばならない。
②人間は自由の刑に処せられている
世界や存在に意味は無い。だから人間は根源的に自由だ。その絶対的な孤独と責任が人間に不安を与える。
③地獄とは他人のことだ
決して理解し合えない「他者」と相克しながら共生せざるをえない。人間はそんな「地獄」に生きる。
④希望の中で生きよ
根源的に与えられている「自由」を活かすためには、「状況」に対して自らを「投企」していくべきである(アンガージュマン=参加・拘束)。
僕は実存主義を次のように理解しています。
自分の存在理由やアイデンティティを、自由の孤独と責任に苦しみながらも、自らの選択と行動で選び取っていく。
国家や宗教、共同体といった既存の価値観の枠組みに縛られず、自由に孤独な存在として世界と対峙して自分の生き方やあり方を探る。
僕は小説において、人間の存在としてのあり方、世界との対峙の仕方を描きたい。人物の実存を描きたいのです。
近代思想の流れとして、実存主義とマルクス主義→構造主義→ポストモダニズム、という流れだったと理解しています。
しかし、その後の思想史的流れは現代思想も文芸評論も勉強してないから知りません。
今の時代、政治も経済(資本主義的価値観)もマスメディアも信じられず、個人が信じて頼るべき存在がない。寛容性が失われて社会の分断が進み、多様性の尊重と共にコミュニティが細分化されて共同体が希薄化することで孤独感も増しています。
そんな現代だからこそ、僕はまた思想の潮流として、実存主義が求められる時代が来ると思っています。もう来てるのかもしれないけど勉強してないから知りません。
小説に実存主義を落とし込むとしても、サルトルの時代の実存主義に留まるのではなく、今の時代に合う実存主義にアップデートしていないと意味がないとは思っています。
そのためには実存主義について再度勉強したいし、現代思想も勉強しないといけない。
でも頭で書きすぎることになっちゃいそうで怖い気もしています。創作と評論は別物だろうし。
とりあえずマルクス・ガブリエルの新実存主義を読んでみようと思います。前作の実在論はわりと面白かったし。
とりとめのない内容で、すみません。
今後の執筆に対する、個人的な所信表明でした。
それでは、また。
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