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この社会は常に“準備室“である。「未来の準備室」をはじめます。

先週白河で、「未来の準備室」という勉強交流会を実施しました

先週白河で、「未来の準備室」という勉強交流会を実施しました。今回は第0回として、「地域の大人と、地域の高校生の接点を考える会」をテーマに設定。高校の先生方・地域の方・行政の方・NPOの方、それぞれ有志の方にこっそりお声かけさせていただきました。

高校生と地域、高校と地域とが、お互いにとって幸せな関係になるために、地域の様々な人が、立場を超えて、一緒に未来について考える場を作りたい。

NPOカタリバ双葉みらいラボの本田さんに、福島県立ふたば未来学園での地域協働の事例を紹介していただいた後、参加者と一緒にディスカッション。

市役所職員、子育て支援者、司書さん、地域おこし協力隊、小学校教員、高校教員、教員OG、カフェスタッフ、酒蔵さん、ローカルヒーロー、薬剤師さんetc...様々な立場の方と一緒に、<地域と高校生>について思うことを話しました。

今回、この勉強交流会を第1回です!初回です!ドヤ!っと打ち出さず、第0回として、「肩書きは背負わずに来てください」「私的な立場で来てください」とこっそり実施した理由は、特に高校の先生方に安心して参加してほしかったからです。実際、今回ご参加いただいた県南地方の先生方はパワフルな先生ばかりで、余計なお世話だったかもしれませんが...ともかく、学校の先生と、地域の人が、同じテーマで話し合う場を、作りたかったのです。

「高校生びいきのカフェ」を掲げるEMANONで、2020年に改めて大人の集まる場づくりをはじめたいと思っている理由があります。

それは、2020年現在、地域の高校・高校生を取り巻く環境が激変していると感じるからです。

近年、<地域と高校生の協働>というテーマで行政や市民団体の事業、高校の授業が行われることが増えています。主体は、教育委員会が所管する高校や公民館だけではなく、市町村や都道府県などの自治体、商工会議所や青年会議所の地域団体、そしてNPOや任意団体など、多岐に渡っています。実施規模も、クラス単位から全校生徒対象、自由参加方式から動員がかかっているものまで、様々です。

今年度、個人的に数えるだけでも、福島県環境課が主宰するふくしまナラティブスコラで登壇したり、栃木県下野市・壬生町・上三川町さん3自治体の合同視察を受入れたり、国立那須甲子青少年自然の家と一緒に県立高校の探究授業づくりに挑戦したり......さまざまな立場やスケールで<地域と高校生の協働>が取り組まれようとしていることを感じています。

(ふくしまナラティブスコラの開催報/福島民友2020.08.31)

新しい学習指導要領が掲げる「社会に開かれた教育課程」、それに伴う「総合的な探究の時間」の実施、高等学校を中心とした地方創生の推進、コンピテンシー評価に舵を切る大学入試などなど...

いま、様々な立場の人が<地域と高校生>の協働に取り組もうとするその背景には、教育制度改革や地方創生政策があり、内閣府も文部科学省も、高校と地域との協働を後押ししています。

カフェ EMANONができる前の2012〜15年ごろは、年に一回のシンポジウムで、震災復興のために地域にもっと高校生の居場所を!地方の高校生に豊かな学びを!と、わたしたち自身が必要性を確認しながら、それを広く訴えていました。地域の未来のためのビジョンを確認してから、現状まちに欠けている機能を確認、そして実践的実験的にそれを補っていく。そんな活動スタイルでした。

高校生のためのサードプレイス、EMANONは、その議論の積み上げの先に立っています。当時は、まだ地域と高校生の協働の必要性を認知してくれる人は少なかったし、制度的な裏付けもほとんどなかった。ゆえに、なぜそれが必要か、まずは議論を耕すことから行っていました。

(地方と高校生というテーマで、鯖江市役所JK課の事例をベースに、若新雄純さん、社会学者の開沼博さん、地元の高校生・大学生と議論したシンポジウムの打ち上げ写真@2014年)

時は2020年。いまや、高校や教育委員会の側から「地域の話を教えてください」とか「地域の探究を一緒にやりましょう」というお話を頂きます。数年前とは、フェーズが変わったことを実感しています。

フェーズが変わったということは、課題も変わるということ

多様な主体が<地域と高校生>に携わるということは、その内容の質的な目標や、授業目的の認識にズレが生じる可能性を意味します。

なぜ、「地域」なのか、そもそも「地域」とはどの範囲か、「地域課題解決」とはなにか。

教科学習や、大学入試との関連はどうなるのか。地域での活動は、受験より大事かそうではないか。

学校は子どもを囲い込んでいるのではないか。地域側は子どもを使うだけで、教育する気はないのではないか。

課題は枚挙に暇がありませんが、フェーズが変わったことで、これまで表面化していなかった課題が現れます。しかし、ここにぼくは、新しい学びの時代の可能性を見たいのです。

ここには、多様な主体の間でズレている認識をすり合わせながら、異なる主体が持つ異なる知見や資質を認め合い、学びに生かしていく姿勢が求められているからです。まず大人たちが、です

子どもたちには、カリキュラムを通じて「正解のない問題に対して」「他者との対話や協働を通じて」「最適解や納得解」を導けるように、その能力を伸張できるようにとの働きかけが行われています。アクティブラーニングや探究学習はその一つの手段です。

働きかけるわたしたち大人側も、子どもたちと同様に、多様な主体と共に、まだ答えのない学びの環境を考えることが求められています。その学びの環境づくりは、唯一解ではなく、最適解になります。優秀なコンサルタントに学校運営改善を依頼しても、従来のように教員に負担を集中させても、目標に到達することはできません。

なぜなら、現代の学力は、学習者個々人の能力や教師個々人の力量だけに規程されるものではなく、教室の関係性や文化、学校の組織としての力や家庭・地域の社会環境等と密接に結びついている(志水・高田2012)からです。生徒個々人の努力以上に、教員個々人の授業づくり以上に、高校生を取り巻く学びの環境をいかに充実したものにするのかが求められています。

多様な大人たちが、理想の学びの環境の実現という「正解のない問題に対して」「他者との対話や協働を通じて」「最適解や納得解」を出していく。

そのような大人が学校のまわり、すなわち地域にいるならば。高校生が大人たちとの対話や協働を行う舞台となる地域は、豊かな学びの環境そのものになるはずです。

だから、<地域と高校生>をとりまくフェーズが変わったということは、課題の変化であると同時に、新しい可能性が地域に出現することを意味している、と考えています。

対話の文化に裏打ちされた、高校生の学びのための大人のつながりとコミュニティ。今回の勉強交流会「未来の準備室」には、そのつながりとコミュニティの場になるようにとの願いを込めました。

(「教室」と「準備室」の違いってなんだと思いますか?と会の中で参加者のみなさんに聞いてみた結果のふせん)

よそものを受け入れる、ふたば未来学園とカタリバの挑戦に、福島と白河が学ぶこと

2020年は、どんな組織もコロナ禍に対する対処を求められている年です。まさに「正解のない問題に対して」どのような最適解を出すのか、常に求められています。教育現場も例外ではありませんが、福島県内ではいち早く、福島県立ふたば未来学園が、「同時双方向(リアルタイム)型」「オンデマンド型」「課題提示型」の複数のスタイルで、オンライン授業を実現しました。

わたしはこの春、NPOカタリバ双葉みらいラボのパートナー(副業)という形で、ふたば未来学園の授業がオンライン化していく様を、間近で体験させてもらいました。

未知の状況=コロナ禍での一斉休校に対して、いち早く対応できた決定的な理由は、SGH指定を受けていたことや、ICTに精通している教員が多いということではないと感じました。それよりも重要な理由は、先生方同士、そして先生方とNPOカタリバとの対話の文化が根付いていることです。NPOカタリバ双葉みらいラボの長谷川拠点長が着任して以来、「よそもの」であるNPOが、県立高校の中に入って、教員と共通の目標を目指して協働していく。ふたば拠点のスタイルです。

協働には様々な形があると思いますが、学校と私たちのようなコーディネーターがいた時に、お互いにお見合いになってしまったり、一方が他方に仕事を丸投げたりするような形では上手くいきません。ふたば未来学園とカタリバは対話を繰り返し、取り組みにおける役割分担を丁寧に行ってきたことで、より良い協働関係を築くことができたのだと思います。
---ふたば拠点の横山和毅さん

記事中で横山さんが語ってくれた通り、そして、先週の白河の勉強会で本田さんがお話をしてくれた通り、対話の繰り返しと役割分担が、高校生と地域の協働を進めるカギ。そう思っています。

国立教育政策研究所が21世紀型能力として示す「思考力」や「実践力」のためには、同質性の高い集団の中での議論ではなく、世代やジェンダー、バックグラウンドの異なる構成員が存在する集団の中での議論が不可欠です。

<高校生と地域>を考えるとき、高校生を取り巻く大人たちが、対話ができる状態であるか?それがいま、<高校生と地域>というテーマで高校生に関わろうとするすべての主体に求められていると感じます。

これから対話と協働に取り組もうとする県南地域や福島県の地域・高校にとって、いち早くよそものを受け入れ、対話を繰り返すことで未知の状況にも対応して乗り越えてきた、ふたば未来学園の取り組みから学ぶことが多くあると思います。

そして、地域協働は「来るべきものである」と思う

下記は、未来の準備室第0回で出てきた、大人たちの「問い」です。

Q.地域は高校生をどう思っているの?
Q.高校生は、地域に何を期待しているの?
Q.10年後、20年後の高校生はどうなっているの?
Q.地域と高校生の接点はどうつくればいいの?
Q.高校生と地域をつなぐ人は誰?

シンプルな「問い」がたくさん出てくるほどに、白河での高校生と地域の協働は、まだはじまったばかりです。大人たちの対話の場はもちろんですが、地域の人材バンクや、地域探究を進めていく上で必要なルーブリックもまだありません。

教員だけではなく、ぼくのようなコーディネーターだけでもなく、多様な人が関わりながら進む地域協働を実現したい。
そんな未来からは、まだかなりの距離があるように感じるかもしれません。ちょっとこれ無理じゃないと思うかもしれません。

ただ、今日は最後に好きな言葉を紹介したいです。哲学者のジャック・デリダ曰く、「民主主義は、常に来るべきものにとどまる」といっています。英語では"democracy to come"です。

この言葉には2つの含意があります。1つには、民主主義は実現されてしまってはならないということ。民主主義は常に実現の手前にあり、十分なものではありません。なぜなら人は、自分で自分を支配することができません。過ちを犯しますし、失敗します。完璧ではない人たちが集まって、自分たちで自分たちのことを支配することは、およそどんな制度でも完璧にはなしえないのです。だから、いま現在この国(地域)で完全な民主主義が実現されている!と声高に訴える人のことは、怪しんでみなければならない、という意味です。

2つには、民主主義は、目指されなければならないということです。完全な民主主義が存在しないからと言って「民主主義なんてどうせ無理だ」と、民主主義を捨てるということは、誰か他の人間に全ての決定を委ね、決めてもらい、文句を言わないということを意味します。1つめの含意で示したように、いま完璧な民主主義が(残念ながら)実現されていなくとも、それを諦めずに目指していくことが必要なのだ、という意味です。

いつかどこかの時点で、完璧な民主主義が実現するわけではない。でも、諦めずにその実現は目指していく。ぼくは、そんな「来るべきもの」として、<高校生と地域の協働>のことを捉えています。

この社会は常に、いつかの未来の「準備室」。一足飛びには実現しなくとも、それを諦めずに目指していくこと。諦めない人たち同士のつながりとコミュニティ。

そんな、未来の準備を楽しむつながりを、白河市本町から広げられたらいいなと思っています。わたしたちはいつでも、「未来の準備室」に参加してくださる方をお待ちしております。

会の最後に、ふせんにメッセージを残してくださった参加者の方、ありがとうございました。そして、このような考えをまとめる機会をくれた白河地域の参加者のみなさま、運営に協力してくださったNPOカタリバ双葉みらいラボの本田さん&川瀬さん、本当にありがとうございました!

【このnote執筆の参考書】

今求められる学力と学びとは―コンピテンシー・ベースのカリキュラムの光と影 石井英真,2015
来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題 國分功一郎,2013
学力政策の比較社会学 志水宏吉,高田一宏,2012
高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)解説 総合的な探究の時間編 文部科学省

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