パッションさえも持てないようなら辞めるべき
みなさんに質問です。
なんでもいい、サッカー指導者・デザイナー・youtuber なんでもいいからみなさんが行うことに対して”パッション”は注げていますか?
もし、注げてないと感じるのであれば今すぐそれをやめるべきだ。
なんとなく、現場に行ってなんとなく指導して、なんとなく決められたことを行って、なんとなく時間が過ぎていく。
そんな人に限って、環境のせいだとかって言い訳をする。
環境ならなんぼだってある。選択肢だっていくらでもある。
そのいくつもの選択肢の中からその選択、環境を選んでいるのは自分だってことをまずは知ったほうがいい。
サッカー指導者の話をすると、情熱さえもない指導者から受ける指導なんて誰も受けたくない。
私は、この6年間多くのスペイン人指導者たちを見てきたがやっぱり彼らが現場に立っている時は何かこうすごく輝いて見える。
それはなぜか?みんなパッションと共にサッカーと生きているからだ。
お金のためでもない。やらされてるわけでもない。
彼らは本当にサッカーが好きだ。
バルセロナの街クラブの指導者の月の給料なんか、1ヶ月の車のガソリン代で消えてしまうくらいのものだ。
お金も少ない、負けたらすぐクビにされる緊張感マックスな現場。
普通ならすぐにでもやめたくなってもおかしくないような環境。
そんな極度な緊張感と共にして、なぜ彼らはここまでして現場で指導をし続けられるのか。戦い続けられるのか。
私はいつも彼らに聞く。”なぜそこまでして戦い続けられるんだ?”と。
じゃあ、いつもどの指導者からも決まった回答が返ってくる。
”パッション(情熱)だ”と。
それ以外ないんだと。
目の前の1試合1試合にかける思い。ここに彼らの強さがある。もちろん彼らを囲む環境がそうさせることもある。ただはっきり言おう。このスポーツにかける思いの背景には彼らの壮大なパッションを感じる。
1シーズンを通して、うまくいくことの方が少ないだろう。ただ、チームが掲げた目標に対して1シーズン戦い続けた後に味わう爽快感・達成感は一味違うものがある。
そんな常にパッションを注げれるような環境を16・17歳から経験している彼らを本当に羨ましく思う。
ただ、そんな彼らにか囲まれてそづ現場に立てている自分は幸せ者だなと感じる。
まずは、自分が行うことに対してパッションを注ごう。そしたら、自然と周りにも同じように熱い情熱を持った人間に囲まれることになる。そういうもんだ。
”人間は環境の子”この言葉は本当にその通りだ。
まずは行動しよう。パッションを持とう。そしたら自ずと周りの人間・環境が変わってくるから。
終わり。
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