【言語化】の在り方
言語化の定義
最近というかここずっと、言語化という言葉を耳にタコができるぐらいにあちらこちらで聞く。
そもそも言語化ってなんだ?といった定義をしっかりとする必要がある。
私の中での言語化の定義は、
言葉で「表現」すること。感情や直感的な曖昧なものを「直接的に説明・伝達可能」にすること。
つまり、言語化というのは言葉にして終わりではなく、実際にその言葉を表現して初めて言語化すると言えるのだ。
直接的に説明・伝達可能にする で考えると、別の視点で話しておきたいこともある。
それは ①スタッフ間での言語化と ②チームとしての言語化に分けて定義する必要がある、もしくは同じ共通言語を使用するにしても、選手に発信する際のアプローチを変える必要性があるといったほうが良いかもしれない。
①のスタッフ間での言語化というのはその名の通り、同じチームもしくはクラブのスタッフと共通したイメージを持つことや、共通した言葉を持つことで一段と作業スピードが上がるといった目的がある。
②のチーム単位での言語化というのは、あくまでも選手に伝えるためといった目的があるため、①で行った言語化をそのまま彼らに落とし込むと難しくて伝わらないといった現象も出てくるということだ。
つまり、スタッフ間で作り上げた言語化をより選手達に伝わりやすくするために①の言語化をさらに簡単な表現にする②の言語化への変換作業をするか、もしくは①の言葉を使いながら実際のアプローチ法で具体的にわかりやすい説明を付け足すかの作業が必要になってくるということだ。
例えば、実際に3シーズン前に私のチームで起きた話をすると、デスマルケ(マークを外す動き)を2種類に定義し、ウラに抜け出すタイプ(desmarque ruptura)とチェックの動き(desmarque apoyo)にスタッフ間では分別して言語化をしていたが、実際の現場で子供達に”今からdeamarque apoyoの練習をするぞ”といっても口をぽかんと開けて理解してもらえなかった。
このような状況に巡り合わせたときに必要な作業は、先ほども言ったが彼らに対してのアプローチ法を変えることが必要になってくる。
このアプローチ法に関しては、学年や選手のレベルに応じて、実際にデモストレーションをして表現をする必要もあれば、言葉の説明で時間を少しかけて話してあげる必要もありと様々になってくるだろう。
話を戻すと、つまり言語化の大きな目的としては表現をしてそれが聞き手にしっかりと伝わらないと意味を成さないということだ。
複雑に考えすぎていないか?
この、根本的な「伝える」といった目的から逆算して考えると、言語化する際に考慮すべきことは「具体的かつシンプルに」だ。
これは、練習中に選手達に対してトレーニング・ローテーションの説明をする時や、キーファクターを伝達するときにも共通して言えることだ。
伝わらなければ意味がないのだ。
では果たして、実際にこの具体的かつシンプルにを意識して言語化作業をしている指導者がどれだけいるだろうか。
自分の頭の中のみの言語化作業でストップしてしまってはいないだろうか。
ツイッターやfacebookもしくはyoutubeなどを見ていても、単純な感想として難しく複雑すぎる言葉が多いといった印象だ。
アルファベットやカタカナを並べた何か暗号のような、そんな印象を受ける。
何かその言語化?が自分の中での満足だけにすぎず、では実際にどういった定義なの?とか、実際の現場でそれをどうやって選手達に伝えていくや、落とし込んでいくの?と聞かれたときに100パーセントの回答ができる指導者がどれだけいるのだろか。
もちろん先程の話に戻り、背景として例えばあなたがどこかのチームの分析官でその分析スタッフ間での共通言葉として扱う分だけには良いかもしれない。
ただそうでもなく、ただただことあるごとにアクションに対して独自の意見を押し付けることは、聞き手側からすると大いな混乱を招くことにつながり、ここで私が唱える言語化の定義でいくと、これは言語化でもなんでもなくただの独自のコレクションにすぎないんではないか?
何が言いたいかというと、言語化をするときはあくまでも聞き手目線、共に共有していく人目線でしていく必要があるということだ。
カバーリングは究極の言語化例
守備戦術アクションの一つにカバーリングというアクションがある。
この言葉も歴史を辿れば、あのイタリアという国が展開していた「カテナチオ戦術」のリベロというポジションから生まれた背景もあるとかないとか。
今でこそ、みんながカバーリングと聞けばある程度の共通理解ができるとは思うが、その言語化の背景には深い歴史や昔の人々が現場でのトライアンドエラーを重ねて、培って継承してきたものがある。
何が言いたいかというと、「言語化」っていうものはそもそもにそんな簡単に成立できてしまうものではなくて、いくつもの試行錯誤と現場での失敗・成功体験から体系化せれていくものだということだ。
スペイン人は言語化できているのか? 【言語化】と【名詞化】
ここからは、また違った視点で言語化について考察していきたい。
「スペイン人は本当に言語化できてるよね」といった声をよく聞く。
本当にそうだろうか?
「スペイン語」という言語の構造理解をせずになんとなくスペインのサッカーレベルが高いとういうイメージでそのような印象にはなっていないだろうか?
私の見解を先に言ってしまうと、スペイン人は言語化できている部分もあるが、背景としてスペイン語の構造が言語化への自動化作業を促進していると言ったところだろうか。
例えば、今では日本の現場でも使われることの多い【control orientado(コントロールオリエンタード)】という言葉。
直訳すると方向付けされたコントロールといった意味のテクニックアクションの一つだ。
もちろん、スペインの現場でも頻繁に使われている言葉で、選手達もこの言葉を聞くとある程度の理解はできることから言語化できているかできていないかでいうとできてはいるのだろう。
ただ、一つここで補足しておきたいのは、先ほども述べたスペイン語という言語の構造が言語化作業への手助けを大いにしている背景はあるのではないかということだ。
ここでいうところの”orientado(オリエンタード)”という言葉は動詞の”orientar(オリエンタール)”を変形していわゆる動詞を名詞化していることになる。
つまり、スペイン語の構造上どの動詞も語尾に〜do(ド)と付ければ簡単に名詞化されてしまうのだ。
というように語学の構造を理解した上で、言語化のテーマに戻るとスペイン人指導者は彼らの言語によって言語化作業がしやすい環境にあるということだ。
総括
ここまで、いくつかの異なった視点で言語化に対しての私の見解を述べてきた。
ただ、一番伝えたかったことは言語化というものは人に伝えてはじめて言語化されたことになるということ。
言葉を自分の頭の中で噛み砕いてから、相手へ伝えるまでの一連のプロセスのことを指すということだ。
そして、その際に気をつけなければいけないこととして伝えるだけで終わってしまわないこと。
伝わらないと意味がないということだ。
「具体的かつシンプルに」
簡単そうで難しいことだが、これが究極の言語化に繋がるのではないだろうか。
ここを意識するだけで、現場での効率性が一段と上がるはずだ。
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