fijar (引きつける)とseparar/dividir(離れる/分断する)の違いを解説
皆さんは、テクニックアクション・戦術アクションの背景に存在するめちゃくちゃ大事な役割を果たす【戦術意図】をご存じですか?
恐らく大半の方が下記の図に記入されている通り、攻撃のフェーズに5つ、守備のフェーズに5つ計10個の【戦術意図】が存在することは既にお分かりかと思います。
その中でも図にもある通り、左側の攻撃フェーズの上2つ「fijar引きつける」と「separar・dividir 離れる・分断する」が少し特殊なので、今回はこの二つの解説と見分け方をまとめていきたいなと思います。
まずは、「fijar」から。これは、日本語に直訳すると「引きつける」といった意味です。
一般的によく話されるシチュエーションとしては、テクニックアクション「conducción 運ぶドリブル」で相手を引きつけて味方にパスをするといったシチュエーションがあると思います。
要するにボール保持者が行うアクションによって相手を引きつけ、味方の選手をよりフリーなものとする。
ただ、別のパターンでボール保持者ではない受け手の選手が行うアクションによって相手を引きつける場合もあります。
例えば、個人戦術アクションの一つ「幅を取る」を用いて意図である「引きつける」を成し遂げる方法です。
ここの具体的なシチュエーション、内容に関しては後に出てくる「fijarとdividirの見分け方」で紹介したいと思います。
ただ、具体的にどのような内容かを知る前に、「幅」には大きく分けて2つの方法があることを理解する必要があります。
以下のように2つに分けて「幅」を定義することができます。
①取る幅
②いる幅
結論から言うとここの②番を使ってfijar をします。また後の説明でご覧ください。
次に二つ目の「separar・dividir」の説明です。
これは日本語に訳すと、「離れる・分断する」と言った意味。
図にも分かるとおり、今いる場所から相手から離れながら移動をすることで、マークをしていた相手が二人を同時に守れないように、相手のプレッシャーを分断し混乱させるということです。つまり「離れる→分断する」のプロセスのイメージです。
この意図を成すための代表的なアクション例でいうと、「幅をとる」や「後ろの深さ」日本の現場ではビハインドと呼んでいるように聞きます。
ここまでが、「fijar」と「separar dividir」の説明となります。
2つの意図の見分け方
さて、ここまで2つの少し特殊な2つの意図の解説をしてきたわけですがよくこんな質問がされます。先日、私が運営させていただくオンラインスクール「MLTフットボールカレッジ」の授業でも生徒様との間で議論にもなりました
「結局separar(離れる)をしたときに相手がついてきたら、fijarになるのではないですか?」と言った質問です。
確かにそれも一理あるということで、今からその少しややこしい2つの意図の見分け方を順番に説明していきます。
①アクション実行者の意思
まず初めは、アクションを行う選手の受ける意図があるかないかです。
アクション実行者があくまでも自分がボールを受けたいと言った意思を持つ場合→separar dividir
一方でアクション実行者があくまでも、第三者となる仲間がボールを受けることを意識する場合→fijar
先ほどの話でも出てきた、「いる幅」をミドルのチームの左サイドバックがとることで相手を引きつけ、最前線にいるフォワードの選手へのパスコースを提供しています。
ここではあくまでも幅で引きつけた、アクション実行者のサイドバックの選手はそもそも自分が受ける意思はなく味方の第三者へのパスコースを作っています。
結果的に、このあいたパスコースが使われフォワードの選手がボールを受け、幅をとっていたサイドバックの選手は最終的に中の3人目の動きを使って前進まで繋がりました。
②もともと「いる」か「今いる場所から動く」
fijar→ムーブメントなしで最初からそのポジションにいて相手を引き付ける。
これは先ほどの例でもあったいる幅の通りですね。
一方、separar は最初の画像でもあったイニエスタの動きの例でもありましたが、最初のポジションから動いて意図をなすといった形になります。
③DFの対応によって変化する。
最後に、どちらの意図となるかは相手DFの出方によって変わってくると言う見方もあります。
要するに、自分自身は相手から離れてsepararの意図があってもそれに対して相手がついてくるといった対応をするとそれはfijarに変わります。
逆に、fijarの意図でデスマルケを行っても相手がついてこずに中間ポジションを保てばそれはsepararに変わります。
ということは、2つの意図を別々のものと定義しなくても、1つの集合体としても定義できるかもしれないということです。
以上が私が考えるこの二つの意図の見分け方です。
少しでも参考になればと思います。
それでは!
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