見出し画像

心理学を本質的に学ぶなら心理学を一度離れること#305

時刻は23時40分。

今日も色んな方と対話していた。

ここ半年ほど、色んなコーチやセラピストと対話して、最も多く言葉にしたうちの1つが、

「心理学を本質的に学ぶなら心理学を一度離れることである」

という言葉だろう。

それはなぜかというと、心、内面を理解しようと思っても、本質的に内面を学ぶには、外面を理解しなければならないからである。

内面と外面は相互に関連しあっている。

言うまでもなく、育った家族環境、日本という文化的な影響、21世紀の資本主義の影響を受けている。

別の理由で説明するなら、「守破離」の守から破にいくためには、一度離れる必要性があるためである。

地元の良さは、地元から離れてはじめて感じれるように、一度離れなければ、そのことを健全に批判することは難しい。

まさに進化のプロセスが、同一化、差異化、統合という流れをとおり、差異化のために心理学を離れるのである。

これに関して、もう少し詳しく述べるなら、内面と外面を、さらに個人と集団でわける、ウィルバーの四象限が参考になる。

心理学というのは、個人・内面であり、そこから離れて、個人・外面である脳科学、生物学、物理学などと結びつける。

集団・外面であれば、システム理論、カオス理論、複雑系の科学、ウェブオブライフ、ディープエコロジー、経済学など。

集団・内面であれば、文化的な背景や文脈など。

もちろんすべて学べるわけではない。

だが、必要最低限の教養として理解するレベルでいいのだと思う。

たとえるなら、ビジネススクールで学ぶMBAが、ヒト・モノ・カネ・情報など、網羅的に学ぶわけだが、カネにしても公認会計士、税理士のほうがカネの専門家として詳しいのは当然で、経営者として意思決定する最低限の知識を学ぶのである。

それと同様に、コーチ、カウンセラーとして心理の専門家として最低限知っておくべきことを学べばよいのである。

さらに階層をあげるならば、先程あげた四象限は、「科学」という範疇に絞ったものであり、科学そのものは、四象限でいう外面の話、真美善でいう真だけの話。

そこから、四象限の内面である、美と善。

芸術の領域や倫理道徳の領域にも広げることがより全体性につながる。

私自身も、どこまで網羅的にできているかといえば、偏りだらけなわけだが、これまでを振り返ると、心理学にハマり、心理学に冷め、また一段深くなって心理学にハマり、一段深く心理学に冷めるということを繰り返しているように思う。

2021年10月15日の日記より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?