ウィルバーの思想の基底、立脚点である永遠の哲学#241
明日、友人と一緒にしているインテグラル心理学の読書会に向け資料を作っていた。
まずは明日第一章を扱うのだが、インテグラル心理学を読むのは4〜5回目くらいだが、資料づくりに、改めて書き写しをしていくと新たな気付きが多い。
読むことと、書き写しがこれほどまでに理解するにあたって理解度が違うのかと毎度驚いている。
ケン・ウィルバーの思想の立脚点
ウィルバーの思想は、オルダス・ハクスリーが「永遠の哲学」(1947)で語った「すべての宗教は、教義・経験において深い構造を共有している」という信念に基づいている。
ゆえに、ウィルバーは、永遠の哲学の思想家であり、それが正しいという前提に立って思想を展開している。
「永遠の哲学」がいう深い構造とは、「存在の大いなる入れ子(・連鎖)」のこと。
それは、物質・身体・心・魂・スピリットという存在の諸段階からなるもの。
ウィルバーは、実証されないものはすべて疑うという近代の知的態度に警鐘を鳴らしている。
永遠の哲学も、科学的認識方法の限界を自覚から出発しており、魂の次元固有の方法があることを主張する。
よって、インテグラル心理学も、この存在の大いなる入れ子を骨組みとして、さまざまな心理学をそこへ内包していっている。
「真に統合的な心理学であれば、そのモデルの中に必ずない方しなければならない」インテグラル心理学P51より
前-近代(プレモダン)から近代(モダン)への移行
こういった永遠の哲学、大いなる入れ子は、プレモダンの大きな功績であるが、近代の知的態度によって排除されてしまった。
「大いなる入れ子とは、実際には、存在(being)と認識(knowing)に関する大いなるホロン階層である。すなわち、それは世界そのものの諸段階であると同時に、世界をどう捉えるかに関する諸段階でもある。
言い換えれば、永遠の哲学を主張する人たちが見出してきたのは、存在論(ontology)と認識論(epistemology)の両方が重要だということであり、両者は分かつことのできない2つの側面なのである。」
インテグラル心理学P81
「近代的な見方によって明らかになったのは、存在論と認識論を差異化(区別)する必要があるということであった。もし近代および後近代を通して、この発達プロセスを完了させ、差異化されたものを統合することができていたならば、こうした変化は全く歓迎すべきものだっただろう。だが、実際に起きたことは、両者がバラバラになるということだけだった。近代はその孤立した主観性だけを頼りにして、認識論のみを大切にしたのである。他方、存在論は、主観主義というブラックホールの中へと落ち込んでしまい、その声が二度と聞こえてくることはなかった。」
インテグラル心理学P81
意識というものは、認知の発達ラインに密接に関わっている。
それは、道徳性にしても、自己像にしても、認知できなければ磨くこともできないからである。
だが、意識には、認知だけではなく、魂やスピリットも入ってきている。
むしろ、高次の段階においては、そういった魂やスピリットのラインがペースメーカーになる。
そういった点から、永遠の哲学ないし大いなる入れ子をベースに、各宗教に共通するものを見ていくのは非常に重要になっている。
インテグラル心理学にもおすすめの入門書として、以下が挙げられている。
・「混迷の時代を超えて-人間復興の哲学-」EFシューマッハー
・「忘れられた真理-世界の宗教に共通するヴィジョン」ヒューストン・スミス
・「シャンバラ-勇者の道」チョギャム・トゥルンパ
このあたりも今後読み進めていきたい。
2021年8月12日の日記より
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