自分の癖からくるセッションの相性や実践内容#188
今日も私自身がクライアントとしてセッションを受けさせていただき、本当に有り難い時間となっている。
毎回コーチ役に、フェードバックをするわけだが、私個人固有のものからくるものと、おそらく普遍的に重要なことと2種類があるように思う。
フィードバックを受けるコーチ役もその点を分けて認識することは重要に思うし、私もフィードバックをする際、それを言葉にしたいと思う。
私固有のものというのは、私にはこういう癖、こういう特徴があるから、こういう風に関わって欲しいという話。
私は、思考がいつも先行しているように思う。
ロベルト・アサジオリでいうパーソナリティの乗り物は、魂、心、知、身で表されるが、ここでいう知が強い。
セッションは、自分との対話と捉えているのだが、私は標準装備が知の自分との対話になりがちになっているように思う。
真に自分との対話をするには、身体感覚からくるものや、感情、直感、五感を伴ってくるもの。
それができると、体感としては、頭で納得できるだけでなく、腹に落ちる感覚があり、自己一致感があり、すっきりして、楽になれたり、元気になったり、身体が軽くなったり、温かくなったり、ワクワクしたり、といった五感やエネルギーの変化を伴うものに思う。
ゆえに、私は感性、感覚的なものをとくにセッションのときに意識してもらって聴いてもらえると良いと自己認識している。
知が先行するのは、私の研究器質からくるものだろう。それは私の強みであるし、思考の重要性は、感覚的なものに適切なサイズで適切な言葉を与えることで定着することができることにある。
言語化しにくいこと、無意識にあることを、言語化することで腹落ちすることもできる。
しかし無意識にあることを感じ取ること自体、本来思考ではない部分から感じ取っていくもの。
知性や思考も鍛えながら、感覚も研ぎ澄ませていきたいと毎度思う。
そのためにILP(インテグラルライフプラクティス)で、マインド以外を扱ったり、色んな実践を意図的に実践していっている。
でも、自分が昔から研究器質かというと全然違って、超感覚的だったように思う。
その点、研ぎ澄ますという感じもありながら、何か取り戻していくという感覚かもしれないとも思う。
ちょっとした日常はすべて実践なのだということを改めて肝に銘じて取り組みたい。
2021年6月20日の日記より
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