「あり方」や「人間性」という言葉を避けたい#231
8月2日、昨日の旅行から一夜あけて、私の身体の疲労感から、日々のトレーニング不足を感じる。
さて、今日もいろんな方とお話させていただいた。
抽象概念を扱うことの光と影
私の関わる人というのは、対人支援者に関わる方々になるのだが、ここでよく出てくる人としての「あり方」、そこに行き着くのだが、ここで思考停止になってしまっている感が半端なくある。
そこで言っている「あり方」という言葉は何を指しているのか。
抽象概念ゆえに、わからないけどとりあえずそこに色んな要素を集約させて使う便利な側面のある一方で、思考停止になっていないのか。とも思う。
その意味では、成人発達理論やインテグラル理論といったものはドンピシャでここの解像度をあげるために社会的な価値がある。
たとえば、発達理論を活用したレクティカのLDMAというアセスメントでは、リーダーシップという言葉をさらに細かくサブスキルに分解していって測定している。
私もあり方という便利な言葉を使いながら、と同時に、思考停止にならないようにその言葉を意図的にさけて具体的な言葉を示していきたい。
コーチに必要なスキル
たとえば、今のコーチとしての私の発達は、実は一見コーチングとは関係ないように見えるスキルが重要になってきていると感じている。
それは何かというと、ジャーナルでも何度も述べてきたが、一言で言えば、内面的なものではなく、もっと外面的なものへ意識を向けていくことである。
これは多くの中級者以上の多くのコーチやマネージャーに言えるのではないかと思う。
内面理解を進めていくうちに、ぶち当たるものがある。
無意識、シャドーの領域には、フロイトやユングを始め、いくつかの階層でわけており、自分で気づけることには限界がある。
私たちの内面は外面との相互作用によって起きているのであり、社会とは切っては切り離せない人間ゆえに、外面への解像度をあげていくことによって、はじめて気づく自己の内面がある。
魚が泳いでいる水を自覚できないように、私たちのも自覚できていないものが多い。
私で言うと、もっと社会のタブーになっているものへ関心を寄せたり、もっと高度なシステム思考へと習熟度をあげていく必要性も感じる。
それが結果的にセッションでの問いの質につながる。
今書きながら、私の中に湧いてくる感情から、私はこんなメッセージを強く発信したいんだなということに気がつく。
2021年8月2日の日記より