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刑罰0号

普段したくてもできない読書を…と思い自粛が本格的に始まる前に買った「刑罰0号」という本。

元々、ミステリーやサスペンスが好きで学生の頃から小説をよく読んでいた。
少女漫画よりも小説を読んでいたような気がする。

さて、昔話は置いといて。(笑)

早速「刑罰0号」についての話をしていきたいと思う。
まず、軽くあらすじから。(ネタバレしないようにしたいので、ほんとに触り程度)

「刑罰0号」とは、今よりも科学が発展した未来での「死刑」に代わる新しい刑罰のことだ。
犯罪を起こした際の極刑は死刑とされているが、死刑にしたところで被害者の苦しみは報われるのか。
いや、報われないだろう。
むしろ、加害者が死ぬことで気持ちをぶつける相手がいなくなり、どうにもできない苦しみを抱えて生きていくだけだ。
では、どうすれば加害者に被害者と同じだけの苦しみを与えることができるのか、どうすれば被害者の気持ちが報われるのか。
その結果が「刑罰0号」だった。
しかし刑罰0号を施された加害者たちには精神的な後遺症が残ってしまったり自殺してしまったりする事例が続き、刑罰0号は廃止されてしまう。
しかし、廃止後に0号を施された少年がいた。
少年の記憶と被害者の記憶が入り混じりながらも成長していく少年と、それを見守りながら研究を続ける科学者により0号は完成に近づいていく…。

はい、あらすじ長かった!!

何が軽くだよ、ふざけんなΣ(-᷅_-᷄๑)

ということで。
読み終わりまして。

正直、「死刑よりもいい刑罰やん」って思った。

だって、被害者と同じ体験を加害者にさせることができるんだよ?
これ以上の罰なんてないと思うし、同じ思いしなきゃ人の気持ちなんてわかるはずないんだから。
同じ思いしたら流石に犯罪しなくなるでしょ。

でも、読んでいくうちに「あれ?これ違うな?」と感じた。
加害者に刑罰0号を施し、被害者と同じ体験をさせることで被害者側の気持ちは晴れるだろう。
でも、だからといって被害者は戻ってくるのか?刑罰0号を施されたことで命を絶ったり後遺症が残ってしまった加害者の人生は?家族は?その責任は誰が取る?

そうなると、「刑罰0号も結局は死刑と同じだな」と。

誰かの気持ちが晴れる代わりに誰かが犠牲となる。

結局、誰もが幸せに平等に。なんて事は不可能なんだ。



これは、日常生活でも言える事だなと感じた。

誰かが誰かを思って行動する事で幸せになる人がいる反面、無理をしている人もいる。

誰かの思いやりが誰かの幸せとなり不幸となる。

まあ結局、生きていて完璧なんて無理だし、世界中の人が同じ時間に全員幸せになることなんて不可能だ。

その為に少しでも自分ができること。


他人を否定せず、自分のことも否定しないこと

他人から見た自分はおかしな人だろうし、自分から見た他人はおかしな人。
いろんな人がいていろんな考え方が存在しているからこそ、楽しいし便利なものが生まれると思う。
毎日飽きないと思う。

とにかく、他人を否定せず自分の考えを押し付けることもしないようにしたいと思う、今日この頃の俺だァ(EXITさんごめんなさい🙇‍♂️)

他人の考えも吸収していけたらいいな。

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