古代の薩摩940年 #49

第二部 弥生時代 張良の助言=学人の竹簡記録
私たち6人は張良先生の話を道々聞きながら北から南まで、東から西までくまなくまわり、農業、林業、鉱業、建設業、薩摩の国防衛計画など多岐(たき)にわたり、多くの助言をいただいた。
先日、鹿児島の本部に村長、副村長と七人協力隊など100名近い集まりは久しぶりだったが、熱気が伝わってちょっと緊張した。これからの戦略・戦術をみなで共有するため、松蔵さんの司会で話が進み、私が1つ1つを提案した。
①北の伊佐村と東の都城(みやこのじょう)村にかなり大きな水田耕作地帯の建設。
②凍結していた出雲の砂鉄、石見の銀鉱石、別子の銅鉱石の採掘再開。相手村には水田耕作指導、鉄製農具の提供、備蓄米の提供、桃や栗の木の苗提供。
③これらの運搬のために大型船の建造。
④受け入れ港である川内港と志布志港の改築造成。なお、漢との交易は坊ノ津と鹿児島で行なう。
⑤西側の出雲、石見と、東側の別子との航路開発。
⑥竹簡・木間の多量作成。60歳以上の高齢者作業用。
最後に万一どこからか敵が攻め込んできた場合、どうするか、

実は、先日張先生と市松殿の話し合いが密かに行われた。
秦・漢の歴史と現状をよく知る二人は現実的な解決法について長い時間話し合った。私は筆記係として同席。二人の意見は「いつか必ず薩摩の事が広く知られるようになる。そして野心のある者が軍を従えて漢か朝鮮半島から、攻めてくる。」という認識で一致。
専守防衛を第一とする防衛策として北の球磨国との境界線である出水村を最重要地点とさだめ、具体策を練る。東は串間村、都城を日向国との境界線とする。北は狭いから、守りやすいが、東は国境線が長いから地形をじっくり調べ、対策をかなり綿密にする必要と結論。具体策は隼軍団の健を中心に検討。細かな戦術を幾通りも想定し、軍団の訓練を急ぐ。というものだった。

今日の会議では要点だけを説明し、これを⑦番目の提案とした。
最後に薩摩の国是として
①王を造らない。
②国の中心を担うものは決して世襲してはならない。
③薩摩の国全員で働き、平等に分配し、幸せになる。
の3点を確認し散会した。

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