古代の薩摩940年 #21

第一部 不老不死の妙薬 李斯と徐福
李斯:「いよいよだな。市松を私にくれないか?」
徐福:「これはまた、いかに!」
李斯:「あの若者と1年暮らして大いに気に入った。素直で理解が速い。倭国においておくのはもったいないではないか?」
徐福:「ありがたいお言葉です。本人と相談してみます。」
李斯:「3年たったら、県令にしてやる。その間、鉄は必ず送り続けろ。それともう少し人を増やしてやりたかったが、万里の長城の修復が未だ半ばな上に、阿房宮(あぼうきゅう=大宮殿)や始皇帝陵の建設で人手が足りない。何とか全国の罪人の刑を軽くしてやることで70万人は集めることができたが、それでも何年かかることやら、見当もつかない。」
徐福:「私は県令には固執しませんが約束は守ります。」
李斯:「やっぱりそうか。お前もう帰って来ないつもりだな。まあ、いいわ。一族連れて行け。薬は見つかった時でいい。皇帝もそうおっしゃった。匈奴との戦いもある。どうしても鉄は欲しい。倭国の王様になるなよ。桃源郷で暮らせ。」
徐福:「ありがとうございます。」

やっとここまでこぎつけた。
それにしても李斯殿には参った。すべてお見通しだった。小細工など恥ずかしい。さすが大秦国の丞相だ。うわさでは悪賢い冷徹な悪人という評判だった。しかし人を見る目は市松のことでわかった。本人の意思ということでなんとか承諾してもらった。彼は次世代の倭国の中軸になる男だ。他の連れてきた4人の若者たちも船づくり、米作り、家づくり、鉱石精錬の専門家に預け、1年半じっくり鍛えてもらった。
人材も思ったほど苦労せずに集められた。それというのも法が厳しすぎることや、税の過酷さ、万里の長城建設による人手不足などで、民衆の不満がくすぶっているのをひしひしと感じたからだ。
さてこのままで持つのか。それでも始皇帝が存命のうちは、反乱は起きないだろうが、そのあとは?私が倭国へと誘った一族は皆快諾だった。いやいや私が心配することではない。先を急ごう。

この物語は、薩摩の古代の歴史をドキュメンタリー風にしてみました。
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いつか映像にしてくださる方がいると嬉しいです。 吉峯盾

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