(本)電力崩壊

自分の勤務先の業界のこともあり、電力のシステム改革や原子力の再稼働については、割とアンテナを高く張って情報を得ています。
福島第一の事故の後、一気に原子力発電所は危険という風潮が高まり、今も根強く反対派の方がいらっしゃいます。
一方で、政府は最近、原子力を推進するような方針を打ち出したり、電力料金の値上げやカーボンニュートラルを背景に、原子力発電にとって追い風が吹いている状況でもあります。

本書は、電力業界を概観し、著者の意見が述べられています。
鋭い指摘だなと思ったのが、原子力の規制のあり方です。

安全に携わる業務をしたことのある人はなんとなくでもご理解いただけるかもしれませんが、労働災害が発生してしまった時のネガティブコストは非常に大きいのが現状かと思います。怪我した、病院に行って終わりなんてことはなく、外部の関係者への報告、原因の分析、再発防止対策の検討と実施やその有効性の評価・・・
で、「安全第一」の標語にもあるように、それらのルールは大抵の場合、時間と共に増えていきますが、スリム化の方向に進むことは極めて稀です。
指摘する側としては簡単で「再発したらどうするんだ?命や安全に変えられるか?」といえばOK。勢い、以前のルールに肉付けしていくような形で、ルールは増えていってしまいます。

竹内さんはバスの事故を例に出しています。
バスで事故が起こり、その原因を調べたところ運転手の居眠りだった。政府は、類似の痛ましい事故が再発しないように規制が強化した。
ここまでは、誰も文句がない所でしょう。
ただ、国としての最終的なゴールが「交通事故による死傷者数を減らす」ことだったら、本当にこの対応は正解なのか?
規制強化により、バス料金が大幅に値上げされたことを仮定します。すると、コスト面からバスを選択していた人は、自家用車での移動に切り替えます。
もし、バスによる交通事故の平均死傷者数と自家用車のそれとを比較した場合、後者の方が大きかったとすると、規制側は結果として
「規制強化により、交通事故による死傷者数を増やした」
ということになるわけです。

この視点は大事な割に多くの人が欠いている見方な気がします。
もちろん、人命にはかけがえのないものであり、それを守るために対策をとることを否定するつもりはありません。数字の話じゃないんだ!と言われれば、そういう側面もあるでしょう。
でも、技術であり人間が携わるいかなるものも、リスクゼロとするのは現実的に不可能であるという当たり前の前提に立つと、少しマクロな視点に立って
”全体としてはどうなのか”
というマクロの視点も忘れてはいけないと感じています。

上の議論も、他人(バス業者)が乗客の命を奪うのと、自家用車で自分で交通事故を起こすのは意味合いが違う!とか、安全とお金(バス料金)は別次元の話だ、という様々な反対意見も考えうると思います。自分としても、仮に自分の知人なりがバスに乗っていて、バス会社の過失により怪我したことを想像すると、その過失を厳しく追求するでしょうし、再発防止を求める気持ちは間違いなく出てくると思いますし・・・

アメリカなんかでは、この辺の損得計算がシビアに行われているとのこと。
国民性みたいなものも影響しているんでしょうかね?


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