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「井上成美」阿川弘之著より

一億総玉砕だけは避けねばならぬ。孤高にして清貧。日米開戦を強硬に反対した、最後の海軍大将の反骨心溢れる生涯。

昭和五十年暮、最後の元海軍大将が逝った。帝国海軍きっての知性といわれた井上成美である。彼は、終始無謀な対米戦争に批判的で、兵学校校長時代は英語教育廃止論をしりぞけ、敗戦前夜は一億玉砕を避けるべく終戦工作に身命を賭し、戦後は近所の子供たちに英語を教えながら清貧の生活を貫いた。「山本五十六」「米内光政」に続く、著者のライフワーク海軍提督三部作完結編。

新潮社


これからも振り返りたい部分を引用記載。

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・米英との戦争に対する井上の予見が極めて正しかったのは、戦後誰しも認めざるを得ない事実であった。

彼が「新軍備計画論」と題する建白書を海軍大臣及川古志郎大将に提出したのは、開戦の十か月前で、「身も蓋もない」井上の物言いが公式の記録に残った。要するに、自分の判断では負けるに決まったいくさだが、それでもやる気かというのであった。
『「新軍備計画論」、あれは格別目新しい意見ではない。私らだって同じことを考えていたんだ』と主張する人が少なからずあらわれた。だが、「考えていた」のと、職を賭し生命の危険を承知の上で意見書を書いたのとは別であった。

・陸海軍の協調がうまく行かなかった主因は?
「陸軍と海軍の教育方針の相違が根本にあったと思います。陸軍は十五か十六の子供時分から将校生徒の教育を始めて、若年の者に戦争のこと以外何も教えないのです。考え方に基本的な違いが出て来るのは当然で、彼らの視野は狭く、海軍士官のように外の物事を広い眼で見ることが出来ませんでした」(米内光政)

・「良き時代の海軍には、日本の他の社会でちょっと見られない、実にのびのびとしたリベラルな空気があった。自由討議とユーモアが尊ばれ。杓子定規は嫌われました。政治問題は別ですが、自分が正しいと思えば、誰の前でどんな激しい主張をしても咎められたりしなかったし、又、意見がよく通った。だから。あの時代を知る者が戦後三菱あたりへ再就職して、大会社というのはこんなに封建的で上に遠慮のある窮屈なところかと、皆驚くんです」

・「previous engagementを反故にすると紳士の資格を疑われる」という英国流の慣習を、英国駐在の長かった岡中佐は気にしたのであった。

・学生の一人に英米と戦って勝てるのかを聞かれ、井上は、戦略上数理の上では勝てないと答え、「それには外交というものがある」と言って、信念や訓練で補うとは言わなかった。

・井上が重視したもうひとつのものは情報である。
正確な情報の裏付けを持たない作戦計画は、希望的観測で動く神頼みのいくさになると、井上は戦略講義の教材用に「合理的敵情判断の方法」「敵情補充の原則」を執筆し、プリントにして学生に配布した。

・米内は、人の近寄りにくい人間にはなってはいけない、すきを作れ、それには酒が一番いいと言って大酒する。井上の方は、人にすきを見せるとか、ちょっと間の抜けたところがあった面白いとか、そういうことは一切無い。「水清ければ魚棲まず」と人に言われて、「水清ければ毒魚棲まず」と言い返したことがあった。

・ヒットラーの「我が闘争」について
原著の方に、アーリアン民族至高主義者のヒットラーが、日本人に対して露骨な侮蔑と嫌悪感を示した箇所があるのを読んで、井上は省内各部局へ軍務局長名の通達を出し、その点について注意を促した。
軍令部の某少佐が、「そうかな。あの本、俺も本屋で買って読んだが、そんなこと書いていなかったぞ」
井上さんは日本語訳で見ているんじゃないんだよと笑われた。三笠書房版(和訳版)には、当然のことながら日本人蔑視黄色人種差別の部分が抜いてあった。

・(井上)軍務局長室の未決書類箱だけは、必ず空っぽであった。一日の仕事を退庁時までに処理できないような奴は駄目というお考えらしかったと、山本中佐は語った。
ある日、夜になって入った暗号電報の訳文を読んで、これはすぐ参謀長の決裁を経ておこうと、上陸した井上を追いかけて行った。「今は私にとってプライベイトな時間だ。必ずしも緊急非常の用件で無いなら、今夜中の決裁を必要とする判断した根拠を説明し給え」、井上はその電報をついに受け取らなかった。

・平素、出雲の幕僚会議でも、井上はこうである。「問題が微妙だから、一度長官と相談して」とか、「念のため東京へ問い合わせて」とか、決して言わなかった。参謀長としての判断を示して「よし、それでよろしい」と言ったら、あとの責任はすべて自分で持った。下の者は仕事がしやすいけれど、井上流だと敵が多くなる。
局長部長参謀長級の地位に昇っても、常に上の意向を確かめ、責任の所在を曖昧にしておく方が、海軍では出世する。中山はそのことも知っていた。はっきり言われるもんだなぁと、今更ながら感心した。

・「海軍大学校の教官の時、私は一度、国軍の本質というものについて考え抜いてみたことがあります。結局、国が危急存亡の淵に立たされて、もはや凡百の政策も役に立たぬ、国家の基本となる独立保持のためギリギリ何とかせねばならぬ、その瀬戸際に立ち上がるのが軍隊の使命だ。したがって失政の糊塗策として国軍を使うとか、満州事変のように為政者の野心やミエで国軍を動かす、これは罪悪だと考えた」

・「井上さんは誰が何を言いに行ったって、曖昧なこと打算的なことなら絶対認めないし妥協もしませんからね。物事をぼかして、まあまあの福芸で行こうという日本式の考え方が好きな人から見れば、人物が小さくて、高い評価なんかとても出来ないんです。判断は常に論理的合理的で、希望的観測を嫌う。風貌は激しい。敵が多かったのは当然でした」

・戦時下最後の総理大臣となった鈴木貫太郎
「負けるということは滅亡するということと違うのであって、その民族が活動力さえあれば、立派な独立国として再び世界に貢献することもできるのであるが、玉砕してはもう国家そのものがなくなり、再分割されてしまうのだから、実も蓋もない」

・武田信玄の遺訓で主将の陥り易き三大失観
一、分別ある者を悪人と見ること
一、遠慮ある者を臆病と見ること
一、軽躁なる者を勇剛と見ること


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